序章 クロノス・カタストロフィ

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  司は時間魔法の魔法式をいくつか試してみたのだが、昨日と同じくなんだか魔法がひょろひょろしていた。方向が定まらず、途中で失速したり、消えたりしてしまった。   三十分も続けると疲れが溜まってきて、司は芝生の上に座り込んだ。   太陽が煌煌と照らしてくるのを、司は見上げた。   涼しい風が汗ばんだ顔を涼やかに撫でていく。   司はヤクートの方を見た。   ヤクートは空間魔法を練習しているようだ。摩擦力が半減する空間を作る練習のようだが、なかなか上手くいかないらしい。   司と同じく、ヤクートも座り込んでしまった。   ヤクートと司は背中合わせに座り、こつんと頭をぶつけ合った。 「無理だね」 「無理だよなあ」   こんなちょっとの時間でどうなるものでもないらしい。   司はユリィの方を見た。   ユリィは星座魔法寮よりの場所に陣取って、シャルシャを頭に乗せ、うんうん唸っていた。 「ユリィはなにをしてるの?」 「星座魔法を使うために頑張ってるんだ。三角星の防壁を出したいんだってさ」 「ユリィは召喚魔法のこともそうだけど、絶対に人を傷つける魔法を覚えたくないんだね」 「そういえば、そうかも」   司は、ユリィのことがどんどん愛おしくなってくるのに気づいた。   ユリィの一生懸命な姿を見ていると、本当にとことん優しい子なんだと理解できる。クロノスもきっと、そういう心を持つ存在を好むだろう。   架空の王様でなければだが。   ユリィがうーん、と唸ると、三角形の光が小さくて細い腕の前に現れた。ユリィは顔を赤くしながら、ひたすら頑張っていたが、防壁は少しずつ薄れ、消え去ってしまった。   司はヤクートと一緒にひたすら魔法の練習風景を見つめていた。   ユリィは司とヤクートの視線を受けて顔を赤らめた。 「そにしても、本当に、魔法ができないんだな、司は」 「うん、本当に魔法を使ったのは、これで四回目くらいだもの」 「あんなに機転が利くのにな」   司は首を振った。 「あんなの、ただの思いつきさ。あぁ、何というか、今からでも戦闘座学講習はコンクエスタに任せたいよ。僕には無理だ。そりゃあ、戦術書は読んだことがあるけれど、実践とじゃ全く違うじゃないか」   司はホークの言葉を思い浮かべた。   実践と知識を混同しているのも、ゆるゆると直していこう。   ホークの言った意味が少しだけ分かった。本を読むだけでは、魔法は上手くはならない。  何事も、知識だけでは、如何ともしがたいということに、いい加減気づいてきた。   まだ、肌で感じたにすぎないのだが。   司は、立ち上がった。ヤクートが立った拍子に地面に倒れこみ、司は見上げた。黒い瞳がこちらをじっと見つめている。   司は、手を差し出した。 「よし、もう一息だけ頑張ろう!」   ヤクートはにやりと笑い、司の手をぱしりと握った。 「ようし、やってやるとも」   ヤクートは再び知恵熱を出したように目を閉じ、うんうんと唸り始めた。   ユリィとヤクートがほとんど同じ姿勢で同じ表情を浮かべているのに気づいて、思わず笑ってしまった。   司も同じ姿勢、同じ表情を浮かべてがんばることにした。   魔法はなかなか上手くならなかった。   歯車はひゅんひゅん飛んだが、当てるつもりもないのにヤクートのすれすれを飛んだり、シャルシャの隣を通り過ぎて怖がらせたりした。   ユリィがあわててシャルシャをなだめている間に、司は何度も頭を下げた。ユリィもシャルシャもどうやら許してくれた。 「平井君の魔法、照準以外は完璧なのにね」   二回目の休憩を取っている時に、ユリィは首をちょこりと曲げて呟いた。 「なんだか、何かに邪魔されてるみたいな……」   ユリィは、じっと司の腕を見つめた。   手首にある鷹の腕輪だ。 「それ、取ってみたら?」 「だ、だめだよ!」   ユリィが善意で差し伸べる手を、司は弾き飛ばすように拒否してしまった。ユリィはひどく傷ついた顔をして、うつむいてしまった。 「ご、ごめんなさい。余計なお世話だよね……」   ユリィがしゅんとしたので、司は言葉に詰まった。 「いや、そんなつもりじゃないんだ」   司は首を振ってみせた。   ユリィは覗き込むように司を見上げた。 「これは、大切な物だから。友人にもらったもので、ちょっと脆くなってるんだ」 「そうなんだ。でも、平井君、多分、それって魔法道具だよね?  魔法道具が魔法を阻害する場合って結構あるんだよ。もしよかったら、試してみれば、いいんじゃないかと」 「これだけは、外せない」   司は首を振った。 「治療の刻印でも施されてるのか?」   ヤクートが腕輪を四方八方から見ながら尋ねた。   司は首を振った。 「理由は言えないけど、外せない」   ヤクートもユリィも顔を見合わせた。 「と、とにかく、これは外せないんだ。理由は言えないけどね」   司が必死で弁解をすると、二人とも黙り込んでしまった。 「いつか、話してくれるか?  ほ、ほら、俺も秘密を打ち明けたしさ」   ヤクートの表情が少しだけ傷ついたように曇っているのに気づいて、司は今までにない痛みを感じた。   確かに、ヤクートは自分が憑き物筋であることを打ち明けてくれたのだから、打ち明けるのが当然のような気がする。 「信頼が足りないとかじゃないんだ。僕も、話していいか分からないんだよ」   掛け値なく本当のことを打ち明けると、ヤクートは曇った表情を元に戻した。 「分かった。打ち明けられる時が来たら、打ち明けてくれよ」   ヤクートは司の肩を軽く殴って、微笑んだ。   司は、肩にぶつかった優しさを撫でつけて、笑い返した。 「そうだよ、ヤクートだって、全部は打ち明けてないでしょ!」   ユリィの頭の天辺がヤクートのあごにぶつかった。   ヤクートはあごを抑えながらも、お説ごもっともの顔をした。 「踏み込んで欲しくないことだってあるってば!  私だって、ヤクートに心の一番デリケートな部分に踏み込まれたら、一生口利いてやらないんだから!」   ユリィは、決然とヤクートをにらんだ。 「分かってるって、全く。お前の頭ときたら、石より硬い」   ヤクートはよろよろしながら、何度もうなずいた。 「ところで、ユリィとヤクートはどうして一緒なの?  昨日、同じ派閥に所属してるって言ってたけど、それだけで仲良くなるもの?」   ユリィは内気だが、ヤクートには結構、きつく当たったりもするから、兄妹同士のようにも感じられる。   姿や人種は別なので、そんなことはきっとないのだとは思う。 「魔法の授業のたびに、必ず居残りだったからな。ディスエルもだけど」 「最初は、ヤクート怖かったんだよ?  肌も黒いし。体大きいし、乱暴なんだもん」   ユリィはヤクートをじとっと見つめた。   ヤクートは肩をすくめた。 「乱暴ではないはずだけどな。俺は別にお前の前で暴れたことってないだろ?」 「昨日、暴れたばっかりじゃない」   ユリィは冷静に指摘した。   ヤクートはたはは、と笑って、ペンダントをいじり始めた。その顔がひどく侘しく見えたので、司は話題を深掘りして意識をそらすことにした。 「仲良くなったエピソードとかさ、ないの?」 「ああ、それは語るも涙、聞くも涙の大冒険活劇が!」 「無いよ。本を読んでた私を、ヤクートが連れ回したんだ。  森に山菜を採りに行ったりね。  ディスエルは大抵それについてきて、食べ物を無心してきたんだ。  結局、全部、ディスエルが食べちゃうんだよね。  断食ばっかりだから、お腹がすいてしょうがないって」 「ちなみに俺は狩猟民族だから、イノシシを狩ったりもできるんだぜ。武器が使える白兵戦なら、魔法が使えるやつにだって勝つ自信がある」   ヤクートは胸を張った。   司は、食料を得るそんな方法があったのかと感心しながら、自分の十二年間を振り返った。   イノシシは無理でも、山菜なら採れる。   司は、三人が羨ましくなった。   三人とも、今話したようなエピソードがあって、仲良くなったのだろうか。   司は友達の作り方を知らないが、こんな方法で友達を作れたらきっと誇らしい。 「いいなあ、三人とも、お似合いだな」   思わず呟くと、ユリィがちょっとだけ嫌そうな顔をした。   ヤクートはぷっと吹き出した。 「別に、仲は良くないぜ、特にディスエルは食べ物のことがなかったら、絶対に俺とかユリィとかとは関わろうとしなかったと思うし」 「私もディスエルも、ほかに、話してくれる子がいないから……」   ユリィもヤクートに同調した。     ただ、二人とも、照れ隠しであることは明白だった。   本当に仲が悪かったら、こんなふうに集まったりはしないと思うから。   司はそう言いかけた口を閉ざして、魔法の練習に戻った。   ペンダントを見つめて、丸暗記した魔法式を展開させてみる。   魔法で出来た歯車はひょろひょろと空中を滑りながら、中庭の真ん中に落ちた。   司は歯車を持ち上げようと、右手をあげた。   歯車がゆっくりと持ち上がり、生き物のようにばたりと落ちた。  司は諦めて、歯車を消すと、時間を見た。あと三十分で、時間魔法講義マスター過程が始まる。   ユリィもヤクートもそれぞれのマスター過程の講義に行くはずだ。   司は時計を二人に見せた。 「そろそろ行こう。道が分からなくなると悪いし」   ヤクートもユリィも、頷いて、その場で解散となった。   司は、急いで窓を飛び越え、廊下を走った。   ちょっとだけ顔をあげて、教室棟を見る。二階の時間魔法実習室に向かう予定だ。   渡り廊下を横切って、教室棟を目指し、急ぎ歩いていると背後に気配を感じた。司はさっと振り返った。   コンクエスタが一人、立っていた。 「さっきの茶番は何だ?  あれでも魔法のつもりか?」 「うん、まだ下手なんだ」 「なんで、お前なんかが、戦闘座学講習に選ばれるんだ!」   コンクエスタは、いらいらと司をにらみつけた。   歩調が早く、司を追い抜くつもりらしい。司はあわてて足を早め、コンクエスタと並列して歩いた。   コンクエスタは、司をじろじろとにらんだ。 「おい、次の授業で優劣をはっきりさせよう。教師にどちらが多く特別点をもらえるかだ」 「別に、どうでもいいじゃないか、そんなこと」 「なにぃ⁉︎  お前には、魔道師である誇りがないのか?」 「無いね、今のところ。それにもしも、魔道師の誇りってものが、醜い自己顕示欲に過ぎないなら、僕は未来永劫、そんなものは持たない」 「自己顕示欲なんかじゃない!   魔道師の存在意義は強くあることだ。  誰にも負けない力を持たなければならない。そうか、これで理解ができた。  お前には矜持がないから、ユリィやヤクートといった落ちこぼれと付き合っているんだな」   司は初めて、コンクエスタに関心が湧き上がるのに気づいた。   嫌悪と、好奇が強く頭を渦巻いていた。 「僕にも理解できた。  ここの人がなんで競争心でしか行動できないのか。  人の上に立つことしか考えていないんだ。   そんな方法じゃ本当に強くはなれないと思う」   コンクエスタは司をじろっとにらんだ。次の言葉を待っているようだ。  強くなるためなら、きっとどんなことも厭わない性格なのだと、司は感じた。 「たとえ、個々の能力は低くても、心を通わせることで手に入る力はある。  僕は、ここに来て、そう感じた。たった一人の賢君が世界を支配しても、すぐに限界がくるよ。  君には、友達いないだろう?」 「そもそも必要性を感じないな。協力するだけなら、下僕で十分だ」 「そう、じゃあ、いつか勝負してあげるよ。僕の友達と、君の下僕と、僕と君で。そうすれば、分かるさ。それまで勝負はお預けで!」   言い残して、司は走り出した。コンクエスタは追ってこなかった。   芝生を踏みしめながら、教室棟に向かう。足を速めたり遅めたりしながら、時折、コンクエスタを振り返るが、こちらをにらむばかりだった。   もう、何十メートルも離れてしまうと、司は気にすることをやめた。   気づくと教室扉の真鍮色の扉が目前にあった。   司は、扉を開け放ち、教室を探して再び走り出した。
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