序章 クロノス・カタストロフィ

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それから、四ヶ月も学校を過ごした。毎日が新鮮で、人と触れ合える幸せが、空っぽな自分を満たしてくれるような気分だった。 授業があり、テストがあり、友達と遊ぶ時間があった。 勉強はしていたしテストの成績も、そうそう悪いものにはならないだろうと、司は考えていた ある日、司は早朝に飛び起きて、急いで朝食を摂った。身支度もそこそこに教室へと向かい、ぎょっとする寮生達を尻目に、教室へと向かう。 今日から夏季休業だった。 前学期分の成績表をもらえば、あとは二ヶ月も自由時間だ。 成績表をもらうのは楽しみだった。 時間魔法に限っては、司の才能は抜きんでていた。  なんでも思うままだったし、先生から習ったことは全て吸収できた。それに比べると、空間魔法や星座魔法、神話魔法はひどく未熟で、平均より下か、ちょっと上だった。  召喚魔法は、京極をして、なかなかだ、という評価だった。 三教科もの評価があまり良くないのはコンプレックスにならかなった。司にとって一番大事なのは時間魔法だけだった。今はそう思えた。 司は歯車のペンダントをくるりと回した。 司の時間が、急激に加速した。 驚く寮生の合間を縫い、寮の扉を通り過ぎると、螺旋階段の隙間を飛び降りて、最下階に着地する。 ヤクートとユリィが寮の扉の前で待っていて、ヤクートは手を挙げユリィは少しだけ、顔を傾けた。 「居残り組は、僕たちと……」 「万年金欠腹ペコのディスエルだけ」 「なんだ、じゃあ、あんまり変わらないね」 司はヤクートら三人以外の生徒には空気のように扱われていた。もともと、空気のように扱われるのは慣れているし普通だから気にはならなかった。 「あ、成績表が来たよ!」 ユリィが空中を見上げて手を伸ばした。 相変わらず、不意を突いて現れる学校関連の用紙は、三人の頭上にはらはらと落ちてきた。 司は文字の羅列を見た。 「時間魔法はサブも、マスターも『S』か、すごいな。お前ならやると思ってたよ」 ヤクートは遠慮なく司の手元を覗き込んだ。 「でも、召喚魔法が『A』で、知学が『A』以外は、全部『C』だよ。『D』じゃないだけ良かったけどね」 「俺は大体、『C』か、『D』、やっぱりなあ」 ヤクートは恥ずかしそうに通知書をポケットに滑り込ませた。 ユリィは上機嫌だった。 「召喚魔法『S』だった! 知学も『A』その他は、『C』とか、『D』だけど」 「なんだよー、落ちこぼれは俺だけ?」 「そのようだな。今更、嘆くことでもないだろう」 ヤクートが嘆いていると、尊大で、滑らかな声がした。三人が振り返ると、ディスエルが通知書をつまみあげていた。 「私は、神話魔法以外、全て『A』だ」 「授業に一回も出てないのにか⁉︎」 ヤクートが身を乗り出した。 「一年時の勉強なんて、教科書をちょっと見ればできる」 ディスエルは顔を背けながら、嘯いた。 「いわば、算数の初歩を教えているようなものだ。自慢できるほどのものでもない。だが、『S』評価となると話は別だ」 ディスエルは目を細めて司とユリィを見つめた。 「ユリィはたしかに召喚魔法に卓越しているが、『S』ランクを取れたのは驚きだな。平井が取れたのは、あまり驚かなかったが」 「私だって飛び上がるほど驚いたよ。でも、私すでに中級まで使えるし、もしかしてって思ってた」 ユリィは本当に嬉しそうに顔を綻ばせていた。 ディスエルは調子っぱずれな歌を聞いたような顔をした。 「いいか『S』ランク認定を一つでも受けた生徒は有事の際に駆り出されるリスクが出てくるんだ。私はそれが嫌だから、『S』ランクを一つも取らなかったわけだが?」 肩をそびやかすディスエルは、強がっているようにも見えた。同時に、本音を言っているようにも見えた。 ユリィは唇を震わせた。 「有事ってつまり戦争、ってこと? 戦争に行かなきゃならないの?」 「そういうことだ。稀ではあるがな」 縮み上がったユリィの肩に手を置き、ディスエルはひらひらと手を振ってその場を後にした。 ユリィはしゃくり上げていた。 「魔法を使った戦争なんて、五百年間も起きてないよ」 司は、あわててユリィに助け舟を出す。ユリィはちょっとだけ救われたような顔をしたが、その後もめそめそしていた。 「ディスエル、ちょっと待った」 司は千鳥足のディスエルを呼び止めた。 振り返ったディスエルの目の下にはよく見るとクマがあった。顔色も悪かった。 「四人でご飯を食べに行こうよ」 「残念ながら、金はない」 「ないなら貸すさ。あんまり、高いのは無理だけど」 「私に貸しを作ってどうするつもりだ?」 「友達が困ってたら助ける。それだけだよ」 ディスエルは嘲るように鼻を鳴らしたが、司のすぐ横にまで移動すると、物問いたげに辺りを見渡した。 「食堂は開いているのかな? 僕、あそこのカレーにやっと慣れてきたんだ」 「開いてると思うぜ。でも、その内に閉まるかも。俺たちしかいないから、稼ぎも大したもんにはならないだろうから」 「せっかく安いのに。次からは街に足を伸ばすしかないかな」 「街にも安い店はあるさ。ちょっと、味は落ちるかもだけど」 ヤクートも少し心配そうに首に提げた巾着を見下ろしていた。 金欠はディスエルや自分だけではないらしい。 司は、ゆっくりと視線を回した。 「当然、お昼には時間があるし。図書館にでも行こうか?」 ラプ子さんの話を聞いてから、ずっと行きそびれていたが、今日から夏休みだし、永遠にいかないわけには行かない。 ユリィは怯えたように司を見つめた。 ヤクートもあまり気乗りがしないようだ。 ディスエルは図書館の方へとすでに歩き出していた。 「ディスエル、お昼まで、これを食べるといいよ」 司は服のポケットから包装紙にくるんだサンドイッチを取り出して、白い腕に握らせた。  ディスエルは包装紙をビリビリ破いてあっという間に食べだした。 「平井、やはり君はいい奴だな。君は私の食料庫そのものだ」 ディスエルはパンを頬張りながら随分と失礼なことを口に出したが、誰も何も言わなかった。  パンを貪る様が、やけに幸せそうに見えたので、口を噤むことにしたのだろう。 「図書館に行くには、渡り廊下から校舎側に出て、体育館の反対側にっと」 別に分かりきっていたが、話題を変えるために手順を呟くと、みんな何となく渡り廊下を抜け始めた。 廊下を抜けると、八月の陽気が降り注いできた。 この世界がどこにあるかは分からないが、どうやら日本と同じくらいの場所にあるらしい。  それを証拠に、季節的な寒暖の差は、司のいた場所と全く変わらなかった。 司はゆっくりと深呼吸した。 風の匂いも、重さも全て同じだ。 眩く光る金色の校舎をぐるりと回ると、図書館がある。 四人はじっくりと時間をかけて、図書館の前まで歩くことにした。 芝生が乾いていた。弾力があり、靴の裏をふかふかと押し返してきた。 やがて、渡り廊下の喧騒も聞こえなくなってくると、図書館にたどり着いた。 金色の装飾がされた門がそびえている。 四人の背丈の十倍も二十倍もある。 司が門の前に立つと、一人でに開いた。  そのまま、導かれるように門の中へと入っていくと、巨大な書架が無限に広がっていた。  一部の隙間もなく埋め尽くされた本棚、それ以外は何もない。 いや、一つだけあった。 ボロ雑巾が通路の真ん中にぽつんと置かれている。 毛布ほどの大きさで、継ぎ接ぎだらけ。ずず、ずず、とナメクジのように這っている。 「うう、うう」 とボロ雑巾が呻いている。 司も含め、四人とも閉口して、体を寄せ合った。 「ユリィ・イスフィール、十二歳、弱虫、臆病、十歳の頃におねしょをしたことがある。その日は木に吊るされて折檻されたが、あまりにも泣き声がうるさいので見兼ねて降ろされた」 「……やめてやめて! 恥ずかしい過去をさらさないでください!」 ユリィが頭を抱えて百面相をしていると、ヤクートがこれ以上ないほど激しく笑い始めた。 「ヤクート、十二歳、馬鹿、単純、十歳の頃、魚を狩猟するために、銛を使っていたが、自分の足を突き刺し、全治二ヶ月」 「うわあああああ! や、やめろ!」 ヤクートの絶叫たるや、ユリィの比ではなかった。 「ディスエル・スタブローギン、十二歳、高慢、傲慢、つまみ食いが百七十九件、横取りが八百九件、ネコババが二十七件、起訴されるほどでもない小犯罪多数」 「こ、このお化け雑巾!」 ディスエルが珍しく取り乱したのを見て、司は吹き出しそうになった ディスエルが本棚の本を抜き取って、投げつけると、ボロ雑巾はひっくり返った。 中から、小さな女の子が現れた。 ユリィとどっこいどっこいくらいの背の高さだった。 髪色は金色で華々しく、対照的に顔は青白く、瞳はトルコ石のようだった。 ボロ雑巾を引っ掛けながら、女の子は立ち上がった。 「ここは、私の居場所です。お引き取りください。平井司とその愉快な仲間たち」 声は嗄れていて、骸骨がしゃべっているように感じる。 「さもなければ、今のは序の口です。もっと恥ずかしい過去をばらしますとも」 「君は、全知なんだね?」 「察しがいいですね。ボロ雑巾でないのが分かってもらえて光栄です」 「知らなかっただけだよ。君が君であると知っていたら、ボロ雑巾だとは思わなかったさ」 「気味が悪いと思わないんですね」 ごろごろと喉を鳴らしながら、女の子は司の方へと歩いてきた。 腐臭がした。 「とにかく、お引き取りください。ここは、私の場所です。本が読みたいのであれば、教授陣に掛け合ってください」 しっしと腕を振った後、女の子は、出口を指差した。 司は、ちょっとだけ迷って、三人を振り返った。 ユリィは必死で首を振っていた。ヤクートは凍りついていた。ディスエルは今にも女の子を処刑したそうな表情で睨みつけていた。 「五分だけでいいから、ここにいさせてよ」 「言っておきますが、五分で周り切れるほどの大きさではありません。今回は本を借りにきたというよりは、下見に来たというような感じなのでは?」 図星だったが、ダメならダメで、ちょっとだけ見ておきたかった。 「聞く気はないようですね、このゴミ虫めが。  私の全力を以って、あなたを追い出すしかないようです。  平井司、十二歳、聡明、柔和……。  いけません、これでは褒め言葉です。  邪智、優柔不断、これと言った恥ずかしい過去はない。  コーヒー牛乳を窃盗したくらい?  社会に貢献する活動を細々と続けている。  いや、何か恥ずかしい過去があるはず。  …………ふんっ」 女の子は鼻を鳴らして、その場に座り込んだ。 「あなたの過去はなんだか見えにくい。不思議な力に阻まれています」 司の顔をじろじろと見つめながら、がらがらと呟いた。 「胡散臭い男ですね。帰ってください!」 司に向かってボロ雑巾を投げると、女の子は書庫の奥に消えてしまった。 ボロ雑巾からは、腐臭が漂っていた。 ユリィが嗚咽を我慢するようだったので、司はその場を後にすることを決めた。 「あれが、ラプ子さん、かな?」 門を通り過ぎて、暖かい芝生を踏むと、司は三人に尋ねた。 「噂を聞くに、間違い無いと思うぜ。いやあ、天邪鬼を絵に描いたような奴だな」 「本当に化け物なのかもね、でも、この世界にお化けっていないんだっけ?」 「何か新しい魔法なのかもしれないぜ」 司とヤクートは顔を付き合わせながら、思案にふけった。 「下手の考え休むに似たりと言うだろう。考えるだけ無駄だよ」 ディスエルはあくび混じりに指摘した。 「バカにしているけど、じゃあ、ディスエルには分かるの?」 司は、首を傾げて尋ねた。 「私の明晰な頭脳が指し示すに、リビングデッドなんだろうな」 「ゾンビってこと? ますます怖いよ」 ディスエルの答えに、ユリィは身震いした。 「やけに自信たっぷりだけど、証拠は?」 「うう、うう、という、うめき声、嗄れ声、あの肌の色の蒼白さを見ると、そう思わずにはいられない」 ディスエルは目を細め、図書館で見た光景を思い浮かべているようだ。 「なんでリビングデッドが図書館に紛れ込んでいるんだ? しかも、あの子、俺たちと同い年くらいだと思うぜ」 「リビングデッドなら、その限りではない。何百歳かもしれないだろう」 「うへえ、本当だったら気の毒だな」 たしかに、図書館を彷徨い続ける人生は決して楽しいとは言えないだろう。  それが、もし何百年も続いているのなら、あれくらいひねくれたって不思議ではない。 「全知、だったよね? あの子、すごい魔導師なんだきっと」 「もうちょっと建設的なことに知識を使えって気もするけどな」 司が興味津々に尋ねると、ヤクートは呆れたように肩をすくめた。 「ともかく、ラプ子は、ただの生意気な女の子だったってことだ。そのうち、教師が駆除するだろう」 「そんな言い方……」 ユリィはディスエルを不安そうに睨んだ。 「駆除は案外と間違いでもないだろう。リビングデッドは排除対象に指定されているはずだから」 ディスエルが補足すると、ユリィはまた縮んでしまった。 「図書館が使えないのは困るけど、あの子にとってあの場所が唯一安らげるのなら、尊重してあげよう」 「お前、お人好しすぎるぜ! ほんっとうに、なんでこんないい奴と友達になれたんだ? 俺は」 ヤクートは皮肉げに言おうとしたようだが、言葉に親しみが滲んでいるように感じて、司は嬉しかった。 「ともかく、知学の教室には本がたくさんあったから、ラビニア教授に本を貸してくださいって頼みに行こう」 「お前、勇気と行動力に満ち満ちてるな。ラビニア教授、めちゃくちゃ怖いじゃん」 「いや、優しい人だよ。ちょっと怖そうに見えるのは、いつも真剣だからさ」 言いつつも、この三ヶ月のラビニアを振り返ってみると、確かに怖く感じることはあった。ホークの書庫で出会った時は、もっと優しかったと思ったのに。 一般人として出会った時と、生徒として出会った時では、何か態度が違うのかもしれない。 司は、ちょっとだけ伸びをしながら、教員宿舎の方へと向かった。 校舎から、一キロも離れた所に、宿舎がある。 校舎から伸びた石造りの道を四人で歩いていると、洋館や和館、東洋風の建物が軒を連ねていた。 色々な文化をごった煮にした闇鍋のようで、目がチカチカした。 洋館のような建物が、ラビニアの教員宿舎だ。 宿舎の中の左手に見える洋館へと急ぐ道すがら、ハリル・京極とすれ違い、挨拶をしたが、京極は不機嫌そうに見返すだけだった。 司はしばらく振り返って京極を見つめていたが、 「司、本、本!」 という言葉で我に返る。 司はなんで立ち止まったのかよく分からないまま、建物を引き続き探した。 四人で石造りの道を歩き、ひとしきり迷った後、顔を見合わせた。 「洋館は三つ、どれなんだろう? 名札とか下がってないし……」 「あてずっぽうにベルを鳴らしてみるか?」 ヤクートの提案を吟味してみるも、それくらいしか方法は無いと司は結論づけた。 四人で一番近くの洋館を見上げる。 ゴシック様式の装飾に、赤い扉、白い屋根には光沢があり、夏の陽光を余すところなく弾いていた。 「まずは、ここかな」 司が足を踏みいれようとした時だった。 何か不穏な気配がして、足を止めるとわずかに地鳴りが響いた。 ユリィが身体を大きく震わせたので、司もヤクートも肘打ちを食らったような形になった。 続いて、破砕音。 続いて、衝撃。 四人の目の前で、建物が引き裂かれた。 バラバラになった五体が辺りに撒き散らされ、四人はひっくり返りそうになった。 砂埃がもうもうと立ち上がり、瓦礫ががらがらと崩れている。 司は砂埃の中を、目を凝らして見つめた。 血溜まりがあった。 ユリィが気を失うのと、司が手を引っ張って支えるのは、ほぼ同時だった。 血溜まりの脇には、ラビニア愛用の帽子が転がっていた。 司はユリィをヤクートに預け、足を引きずるような気分で、まず帽子を取り上げた。 多少、傷ついてはいるが、形を保っている。 帽子を置いて、血溜まりの方へと歩くことにする。 骨のようなものがチラリと見えたので、司はあわてて視線を逸らした。 辛うじて冷静さを保てたのは、いつものようにもう一人の自分が見返していたからだ。 「誰かに、言わなきゃ。そうだ、京極先生がまだ、どこかにいるはず!」 司は京極を探すために走り出そうとしたが、地面に伸びているユリィを介抱するのが先だと考え直した。 ユリィは幸い、気を失っているだけのようだった。 司は、ユリィを地面に寝かせ、ヤクートに視線を向けた。 「近くにいる先生を、誰でもいいから助けに呼んでほしい!」 「待ってろ! すぐ呼ぶから!」 ヤクートの顔は蒼白だったが、気丈に振る舞っていた。 ディスエルは興味が引かれたようで、血溜まりのそばに膝を突き、目を凝らしている。 司はユリィの意識がなかなか戻らないのにドギマギしながらも、時々、ディスエルの方を気にすることにした。 ディスエルは血溜まりを矯めつ眇めつ見た後に、お手上げだとばかりに首を振った。  司は、ユリィを抱え上げながら、血溜まりをよく見ようとしたが、急に嗚咽がせり上がってきたので、顔を背けた。 まだ、腐臭はしていないが、錆び切った鉄のような匂いはする。 司は嗚咽を漏らすまいとしながら、視線を挙げた。 慌てふためいたような足音が近づいてくる。 音と共にやって来たのはロウだった。 ロウは、珍しく血の気が引いたような表情をしていた。 「君たちは、私の部屋で待っていてください。場所は分かりますね? 中華風の建物です」 ロウは言いつつ、携帯端末を取り出した。 「ベッドに寝かせておくように」 手早く言いつつ、ロウは血溜まりの前にかがみこみ、どこかへ連絡を始めた。 司はユリィを抱えたまま、ロウの建物を探し歩いた。 宿舎の外れに、中華風の建物があった。
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