序章 クロノス・カタストロフィ

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ロウの部屋には、古い鏡や、置物がそこかしこに置かれていた。建物の四方には、四神が祀られているようで、朱雀、玄武、白虎、青龍の置物が置かれている。 部屋は呆れるほど清潔で、無音。 やや、漢方薬の匂いがした。 ユリィはほどなくして立ち上がった。 司とディスエルは顔を付き合わせ、ヤクートは落ち着きなくそわそわとしていた。 ヤクートはウロウロをやめた。ロウの足音をいち早く聞きつけたのか、司に目配せをした。 ロウはほどなくして入って来た。隣には京極と校医のミリンダを連れていた。 ミリンダは、ぼうっと天井を見るユリィに早歩きで近づいていった。 京極は、ロウに勧められて、丸椅子に座り込んだ。 ロウは部屋の奥からもう一脚、折りたたみ式の椅子を持ってきて、腰掛けた。 二人とも、着物の袖で手を隠すように腕を組んだ。 「状況を説明してもらおうか」 京極は、慎重な声色で尋ねた。 深く重みのある声だった。 「ラビニア教授に本を借りようと思って、部屋までお邪魔したんです。そしたら、爆発したんです部屋が」 京極は眉根をよせた。 「本当に魔法攻撃による爆発でラビニア教授は殺されたのかな?」 司は京極の質問の意図を汲み取れなかった。 「いや、愚問だったな。それ以上のことは分からない、そうだな?」 司は黙ってうなずいた。京極は、次にディスエルやヤクートにも確認を取るようにしせんを移した。 二人とも従順にうなずいた。 「京極先生は、なぜ爆発ではないと思ったのですか?」 「君の知るべきことではない。だが、よく考えてみれば分かるかもしれん、君たちでも」 京極は、ちらりとディスエルを見つめた。 ディスエルは突然にあごへと手を伸ばし、目を閉じた。 「ロウ教授、お茶を淹れるとしよう。最近、とても暑いからな」 京極は腰を上げ、ロウに給湯室の場所を尋ねた。 「京極先生のお茶はさぞ美味しいでしょう。あちらです」 ロウは部屋の奥を指差した。 京極はすぐに給湯室へ向かった。 「さて、一応だけど、義務として君達にもっと詳しい事情を聞かねばなりません」 ロウは三人の顔を見比べるように視線をずらした。 三人は顔を見合わせた。 正確な時間や、ユリィがひっくりかえった経緯など、色々と聞かれたが、あまり明瞭な回答ができたとは言えなかった。 ロウはそれでも満足そうだった。 質問が途切れたかけた時、京極が草履で床をこする音が聞こえた。 京極は、まずロウにお茶を差し出した。 ロウは丁寧にそれを受け取り、口につけ、吐息を漏らした。 次に、ヤクートへとお茶を差し出した。 司とディスエルへお盆を差し出し、二人がお茶を受け取ると自分は座り込んだ。 校医のミリンダは、ユリィを抱え上げながら、その場を後にするところだった。 ディスエルと司は視線を交わし合った。 司はお茶を見下ろした。 お茶っ葉がコップの底にこびりついている。 司はお茶っ葉の形を覚えければいけないような気がして、食い入るように見つめた。ディスエルは一瞥しただけだった。 京極は司とディスエルをちらりと見た後、お茶に口をつけた。 「これ以上のことはこの子達には聞けまい」 京極はロウに水を向けた。 「のれんに腕押し、と言ったところですか」 ロウも概ね京極に賛成らしく、残念そうに立ち上がった。 「四人とも、絶対にこのことは口外してはいけませんよ。まあ、君たち以外に、学校に残る生徒は数少ないですから、広まりようはないですが」 ロウは司とディスエル、ヤクートを引率するためか、入り口に立った。 三人は無言で立ち上がり、ロウの引率に従おうとした。 「二人で帰れますか?」 ロウが唐突に司とディスエルに尋ねた。お互い面食らって、顔を見合わせていると、ロウは例の蛇のような微笑みを浮かべた。 「ヤクート、君に用があるのです」 ヤクートは驚きに体を硬くしたが、ロウは頓着しないように手招きをしていた。 司とディスエルはすぐに宿舎を出た。 外に出ると、妙に蒸し暑かった。 日本の夏のように、蝉は鳴かないから、やけに静かだった。 「京極先生の言っている意味、分かったかい? 爆発じゃないのは、君たちでも分かるって」 「むしろ、私たちの方が分かるくらいだろう。爆発ではないというのは」 「ディスエルは根拠を持っているんだ?」 「答え合わせをしようか? 君と私の優劣をはっきりつけよう」 司はディスエルのプライドの高さに呆れたが、可愛いような気持ちもして、うなずいた。 「巨大な魔力が爆発したなら、魔力の粒子が見えるはずだ。 この辺りはただでさえ魔力の粒子の含有量が多くて、夜になったら可視化するほど。 爆発の魔力が通り過ぎたなら、昼間でも魔力の粒子が見えたんじゃないかな」 「ご名答、では、私からも根拠を言おう。 人間が血溜まりになるほどの爆発が起きていたら、私たちだって死んでいたはずだが、そうはなっていない。 屋敷を吹っ飛ばす程度の爆発であれば、生きるか死ぬかはどっこいどっこいくらいだろう。つまり、あれは爆発ではなかった」 「爆発で五体バラバラになるって話は聞くけど、実際にはどうなんだろうね」 「さてね、本当のところは分からないが」 ディスエルは適当に相槌を打ちながら、挑戦的に司を見つめた。 司はディスエルの挑戦を受けないといけないような気がして、考えをまとめた。 「根拠は、もう一つあるよ。ラビニア教授の帽子が転がってた、無傷だ。爆発ならそうはいかない」 「つまり、ラビニアは別の手口で圧死させられたのかもしれない」 「しかも、魔力を使わない手段で?」 司とディスエルの頭には同時にある人物が浮かんだはずだった。 「ヤクート、大丈夫かな?」 司はあわてて取って返そうとした。 「落ち着け、さっきの今で、殺人を繰り返すとは思えない。それに、京極はしばらく監視のために居座るつもりだろう。それより、私たちはやらねばならないことがある」 「ヤクートの安否以上にやらなくっちゃならないことって?」 「京極のメッセージだ」 ディスエルは言いつつ、石造りの床に這い蹲り、小石を一個だけ取り上げた。 小石で模様を書いているのが分かった。 司にも覚えがあった。 「やっぱり、あれってメッセージだったの? お茶の葉占いだよね? ディスエルは分かる?」 「私が占いなどという絵空事に興味を持つと思うか? 書籍を探すほかないが、正直言って、図書館に行こうとは思えない」 言いつつ、ディスエルは模様を描き終え、腕を組んだ。 「街に行く他はないか……やめだやめ、くだらない。犯人を突き止めてどうすると云うんだ」 ディスエルは小石を放り投げた。 「街で食事するついでに、ってのはどう?」 「合理的だな、平井司」 ディスエルは向けかけた背中を急いで元に戻した。 ディスエルはこれで確保できたが、司はヤクートが心配だった。 宿舎の中華風の建物を振り返り、ヤクートが今にも出て来はしないかと気を揉んだ。 ヤクートは程なくしてやって来た。 珍しく本を抱えていた。 ヤクートは大事そうに民族衣装のポケットに本を仕舞うと、司とディスエルに笑いかけた。 「やっぱり、ロウ先生はいい人だな」 司はディスエルと話していたことをすっかり言いそびれてしまう危険性を嗅ぎ取ったが、だからと言ってすぐに説明する気にはならなかった。 三人は、まず医務室に向かうことにした。 「まあ、その方が後腐れがないだろう」 ディスエルは数秒の間は渋ったが、結局、受け入れた。 司の見立てでは、渋々というのは演技だった。 その証拠にディスエルは、医務室へと急いで向かっていた。いつも眠くて気だるそうにするディスエルにしては、あまりにも迅速だった。 「早く食事にありつきたいだけだ」 「あんまり速く動くと、余計にお腹が空くんじゃないの?」 ディスエルのわざとらしい言い訳に、司はちょっとだけ意地悪な気持ちで質問した。 ディスエルは答えず、司に顔を見せようともしなかった。 ただ、膨らんだ頬が首筋と髪の毛の隙間から、ちらりと見えたし、おまけに頬はピンクに染まっていた。
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