序章 クロノス・カタストロフィ

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ユリィは清潔なベッドの上でメソメソしていた。 やや薬品の匂いがする部屋の片隅に、ベッドはあった。白い壁、フローリングの床、全て艶々していて、妙に清潔だった。 ユリィは三人に気づくと、ぴたりと泣き止み、時折しゃっくりをしながらやって来た。 ミリンダはいない、いない理由をユリィに聞くと、ユリィはしゃっくりをしながら答える。 「急いで会議に行っちゃった」 「そりゃあ、そうだよなあ。先生が一人死んだんだから」 ヤクートはなんの気なしの調子で呟いた。 全員、異論はなかった。 「それより、また街に行ってご飯を食べることになったんだ。ユリィは行けそう?」 司は出来る限りの優しい声でユリィに問いかけた。 ユリィは、はにかみながらうなずいた。 ディスエルは正直この提案には不服そうだった。 すでに承諾済みだったので、特に文句は言わないが、ユリィが京極の残したメッセージに関わることがそんなに良いことだとは思わないようだ。 「ヤクート、一旦出よう」 「ユリィの着替えは鈍いぜ、イライラするかも」 「別に、待てばいいさ」 ユリィが急いで身支度をするのを、司とヤクートは外で待つことにした。 出口に向かい、扉を開け放ち、左右を見る。光の膜を含んだ通路は、薄く発光していた。  司とヤクートは壁に寄りかかり、衣擦れの音を聞いた。 司は少しだけその音にどきりとした。 「女って面倒だよな。男の何倍も身支度に時間がかかるんだぜ」 「それは仕方ないよ。男よりずっと綺麗好きな生き物だって歴史が証明しているもの」 司とヤクートはニヤリと笑う。 「下卑た笑いだな、クズ共」 ディスエルの言葉が背後から突き刺さった。司はどきりとして、振り返った。ヤクートは振り返らずにぴいぴい口笛を吹いた。 「女性って不思議だなって笑ってただけだよ」 司は微笑み首を振った。 「ならばいいが、男が顔を付き合わせてにやにや笑っていると、下卑た想像をして鼻の下を伸ばしているようにしか見えないぞ」 「知らなかったよ。気をつける」 「君は、悪意に鈍いな」 ディスエルはさっと身体をずらして、背後から来たユリィが通れるようにした。  ユリィはおっかなびっくり顔を出して、司に笑いかけた。 顔色も血色も悪くなかった。 「よかった。じゃあ、街に行こうか?」 司が三人を見回して提案すると、全員うなずいた。 司が前を歩くと、ヤクートが続き、ディスエルは少しだけ後ろに陣取り、ユリィは足を早めて、ヤクートの後ろを歩いていた。  司は足を緩めることにした。ディスエルとユリィに配慮してのことだった。 光を含んだ廊下を四人は影と影を結びながら歩いた。 「で、結局、ラビニアはどうして殺されちゃったんだろう?」 ヤクートが両手を首の後ろで組み呟いた。 「そもそも、殺されたんだろうか?」 司はふと、突拍子も無い考えに支配された。 ヤクートもユリィも虚を突かれたようだった。ディスエルはちょっとだけ、考えをまとめるように顎に手を当てた。 「だとしたら、なぜだ? なんで、そんなことをする必要がある?」 「仮定ですらないよ、思いつきに過ぎないから」 「君の直感は馬鹿にできないような気がする。精査する価値があるとは思うよ」 司はディスエルをまじまじと見た。 思った以上に知的好奇心の強い子だ。もっと、淡白であっさりとした性格だと思っていた。 悪く言えば冷たい性格だと思っていたのだが、ディスエルは一言で言って思慮深かった。 「けれど、我々も身の振り方を考える必要があるかもしれない」 ディスエルが顔を陰らせた。 「ラビニアは私たちに忠告をしただろう!」 ヤクートとユリィがいまいち飲み込めない顔をしていたのでディスエルは少しだけ声を大きくした。 「ウリエルは私たちを殺すつもりかもしれない。  ラビニアは私たちを守ろうとしていたし、ウリエルと仲が良かったわけでは無い。  だとすれば、私たちの身に何か、大きな危険が降りかかることは、想像に難く無い」 「それに、京極先生がこっそりメッセージを残してくれた。  こっそりってことは、知られるのは好ましく無いんだと思う。隠すとすれば、ウリエル学長に対してかもしれないし」 司もディスエルに同調した。 「もしかして、ウリエル学長に殺されないために、逃げを打ったのかも」 「一番ありえそうだな」 司の考えに、ディスエルはおおむね満足のようだった。 「ただ、ラビニア先生の性格に合わないというか。あの人なら、ウリエル学長とも戦いそうな気もするけどね」 司は腕を組んで、首を傾げた。 三人は、すでに渡り廊下の所までやってきていた。 入学試験のコロシアムの脇を通り過ぎて、アーチを通り過ぎれば、街に着くはずだ。 司は廊下の窓をひょいと飛び越えて、コロシアムの方に向かう。三人もそれに続こうとしたが、ユリィがバランスを崩しかけたので、司はその手を取った。 ユリィは顔を真っ赤にしてお礼をぶつぶつ呟いた。 「あの女とは誰も戦おうとしない」 ディスエルの声は震えていた。 振り返ると、ディスエルが蒼白な顔をしているのに気づいた。 「あの女は最強だ。絶対に誰も勝てない。本来なら、逃げるべきなんだ。私だって奴に目をつけられたと分かった時点で逃げようと思った。だが、そう思わなかったのは」 ディスエルは司たちを見つめたが、すぐに顔を背けた。 「なんでもないとも。くだらないことを言わせるな」 なぜか踏ん反り返ってしまったディスエルに、司は不思議と悪感情を持てなかった。 ユリィも同じだったらしく、にこにこと微笑んでいた。ヤクートはやや呆れたように肩をすくめていた。 司はディスエルが避けた話題には触れないことにし、ラビニアの話に戻ることにした。 「そういえば、京極先生もラビニア先生に殺されるぞ、って言ってたような」 司は入学から間もない頃にラビニアと京極が会話していたことを思い出した。京極はもしかすると、ラビニアを助けたのだろうか。 それならば、どうして京極も逃げようとしないのか。 「『完璧な歴史年表』!」 司の頭に、言葉が浮かんだ。 「ラビニア先生は、多分、『完璧な歴史年表』をホークの書斎からなんらかの理由で持って行ってしまった。  ウリエル学長は『完璧な歴史年表』を求めていたんじゃないだろうか? それとも、破壊するためかは分からないけど、とにかく、ラビニア先生は『完璧な歴史年表』を回収して、それがウリエルにばれて、逃げを打ったんじゃないだろうか」 「完璧な歴史年表なるものがあるとして、たしかにそれは考古学的資料としてすぐれているのかもしれないが、あの女は、歴史になんて興味を持っていないはずだぞ」 司は三人の、特にディスエルの反応が良くないのにがっかりしたが、すぐに自分の体験を話すことにした。 「……本当の正体は分からないんだ。言葉通りの意味じゃないんだと思う。じゃなけりゃ、ドラゴンなんて出てこないだろう?」 「……興味深い話ではあるな」 一通りの説明を終えると、ディスエルがぽつりとうなずいた。 「至極面倒なことに、あのおばけ雑巾がいる以上、図書館が使えない。厄介だな」 ディスエルががりがりと頭を掻く。  司は、我慢すればいいだけだと言いたかったが、残酷な気がした。  みんなの前で恥ずかしい秘密をばらされる苦痛を、司だけはあまり感じなかった。 「図書館は、まあいいよ。街に向かっているのは、主に本屋に行くためだろ?」 「平井司、君は大きな勘違いをしているぞ。私の腹を満たすためだ」 ディスエルはとんでもないと首を振った。 司はディスエルの性格の爛漫さに、けらけらと笑ってしまった。  ディスエルはそっぽを向いて、すたすたと歩き出した。 「大体、私が君たちについていくのは、ご飯がもらえるからだ。それ以外の理由はない」 「お前って本当にふてぶてしい野良猫みたいだな」 「そういう君は頭の悪いイノシシだろ」 「誰が、猪突猛進だコラ!」 ユリィがクスクス笑った。 「ユリィ、君は肝の無いハムスターだ」 ディスエルは八つ当たり気味に、ユリィを指差した。 「わ、私、そこまで臆病じゃないもの!」 ユリィは必死で否定したが、司はなるほどな、と思った。 「そこまでにしよう。ほら、アーチが見えてきたよ」 馬鹿馬鹿しい会話をしているうちに、アーチは目前に迫っていた。 四人は石造りのアーチの前で立ち止まり、足を踏み入れた。 その瞬間、身体の中に熱がこもり、捩れるような感覚が駆け抜けた。 身体の中で、うねりが渦を巻き、痛みがなくなった瞬間。 四人は街にたどり着いていた。 大きな惑星が空に浮かんでいること以外は、最初に来た時とほとんど同じだった。  多くの人で賑わい、歯車や星座のオブジェが行き交っている。 司は、本屋を探してぐるりと視線を回した。休暇中の学生が何人か見えた。 人を押しのけながら進むしかないほど賑わっているので、本屋の前までいくのも大変だった。 司は、本屋を見つけて、預言者の店員を探した。 書店には、本がずらりと並んでいるが、中で本を選んでいる人は稀だった。  オレンジ色のランプで照らされた店内は、厚みのある茶褐色の本棚で、高級感にあふれていた。 司が店を見渡していると三ヶ月前の女性の預言者が愛想よく笑いながらやって来て、司に本を渡した。 「珍しい予言でびっくりだったわ。こんな実数世界の作り話に興味を持つなんて、勉強熱心にもほどがないかしら?」 女性の預言者はニコニコと笑いながら、司から銀貨を受け取った。 お茶の葉占いの本、というシンプルなタイトルのものだった。 「あの、僕もう一冊くらい本が欲しいんですけど……」 「予言では、見つからない、と出ているわ」 女性は肩をすくめてどこかに行ってしまった。 司は三人を振り返った。どういうことだろうと首を傾げてみるが、三人とも、見当もつかないようだった。 「『完璧な歴史年表』って、本当に三人とも知らない?」 三人とも首を振るだけだった。 「この世界の人にも知られないような、何か強い力を持つ本なんだ。でも、それがなんで歴史年表なんだ……」 司は、じっと考え込んだ。 「とりあえず、昼飯を食べさせてくれ、そうしたら一緒に考えてやるとも」 ディスエルの顔が少し白くなり始めていた。   見るからに栄養失調だったので、司はディスエルの言う通り、考えを一旦だけ外においておくことにした。 書店の扉に向かい、歯車仕掛の機械にコインを入れると、扉が開いた。 四人は、どこかの料理店に飛ばされていた。  最終的に、四人が選んでいたであろう店だった。  端っこの席に三人で座ると、ウェイターが早速、料理を運んできた。 カレーライス、クラブハウスサンド、肉盛りとライス、カルボナーラ。カレーライスは司で、クラブハウスサンドはディスエル、肉盛りとライスはヤクート、カルボナーラはユリィだった。 司は三ヶ月経っても、この状況にまったく慣れることが出来なかった。 司は両手を合わせて「いただきます」と唱えた。 ディスエルが怪訝そうに司を睨んだ。 「ディスエル、なんでそんな怖い顔をするの?」 「君は神様を信じているのか?」 「違うよ。これは、日本の慣習なんだ。神様に由来するものじゃないんだ」 ディスエルは、納得げにうなずいた。 「ならば、何も言うまい」 ふんわりとした説明でディスエルが納得してくれたのは、司には意外だった。  合掌の行為を宗教と結び付けないのは、日本人くらいのものだ。 「ディスエルが思ったよりも素直な人で良かった」 「馬鹿にしているのかな?」 「ディスエルがすごく良い人だって言っているのに、どうして馬鹿にしていることになるの?」 「やっぱり、君は厄介なやつだよ」 ディスエルは僅かに苛立たしそうだった。 ユリィはくすくす笑った。 ヤクートは大笑いだった。 「とにかく、その本を貸したまえ、食べながら読む」 「借り物の本を汚すなよ?」 誰も注意しないので、ヤクートが忠告すると、ディスエルはぎろりと睨み返して黙らせた。  ヤクートは司と顔を見合わせて、「お手上げ」の口の動かし方をした。  司は笑いかえすだけだった。 司は視線をカレーに戻すと、スプーンで突く前に匂いを嗅いだ。 スプーンで、焦げ茶色のソースをすくい、ご飯と一緒に食べると、新鮮な辛さとスパイスの刺激が心地よく口の中を刺激した。 司は続けてカレーを食べた。 ヤクートとユリィは少しだけ気が進まなそうな顔をしたが、食べ始めるとあっという間だった。 ウェイターが慌てて水を注ぎに来た時には、全員が食べ終わっていた。 ディスエルはかなりのスピードで本をめくっていたが、サンドを食べ終わると同時にどこかに投げ出してしまった。 「意味がわからない」 ディスエルが嘆かわしそうに頭に手を置いた。 「ディスエルでも理解できないのか? 実数世界の占いってすごいんだな」 「もう少し頭を働かせろ、この馬鹿者め」 「んだと?」 ヤクートがやや喧嘩腰に身を乗り出すが、ディスエルは余裕綽々で、水が注がれたグラスを飲み干していた。 「京極の残したメッセージの意味が分からないと言っているんだ」 「それは、本を使っても読み取れないものだったってこと?  それとも、読み取れたけど、京極先生の意図が分からないってこと?」 「後者だ」 ディスエルは相変わらずいらだたしげに唇を噛んだ。 自分の理解できないことがあるのが、どうしても許せないらしい。 「京極の残したマークは、幸福の太陽。幸せを暗示する予兆だ。  なんで、私たちにそんなものを見せた?」 「見間違いってことはないの?」 「見間違いではない。私の記憶力は完全だ。   まあ、太陽自体にほかの意味があるとすれば、タロットカードでは『確定した未来』だとか、そんな感じだが、もっと何か、別の意味があると考えたほうがいいだろう」 「ねえ、ディスエル、確定した未来って、どう言う意味なんだい?」 「その意味の通りだよ。  何か確定した出来事が近々起こる。  確定した内容は、ほかのカードの兼ね合いで推理するわけだが……」 「推理するための材料がないってことか……」 ディスエルは再び太陽の章を見下ろしたが、はっと顔を強張らせた。 「さて、悪いが私が手を貸すのはこれまでだ。ご飯をおごってくれてありがとう」 ディスエルはさっと立ち上がり、そそくさと去って行った。 司も慌てて立ち上がった。ここで、ディスエルに抜けられるのは困る。 「ディスエル、ねえってば」 白いブラウスに包まれた肩を掴むと、ディスエルは司の手を払いのけた。 「頼まれたことは全てやった。君を手伝う義理はもうない」 ディスエルは無感情な声で言い放った後、扉へ向かった。 硬貨を持っていないディスエルは普通に外へ出るしかないようだから、まだ追いかけて説得するチャンスはある。 司はヤクートに硬貨を握らせて、走り出した。 ヤクートは頬杖を突き、肩をすくめていた。 ユリィは「頑張って!」と、ちょっと他人任せに励ましてくれた。 司は微笑みを返して、走った。 ディスエルの歩みはかなり遅い。  店を出て、賑わった街に出ると、ディスエルがのそのそと人波を縫って歩いていた。  司はディスエルの背中をめがけて、全速力で走った。  勢い余って人にぶつかりそうになったが、なんとか避け切って、ディスエルの腕をつかんだ。 「頼むよ、僕たち四人の命に関わるかもしれないんだよ?」 「三人の間違いだろう。  私がこれ以上に関わらなければ、殺されることはない。  誰に殺されようが、ウリエルに殺されるのだけはごめんだ。  もしもこのまま、調べ続ければウリエルの気に障ってしまうかもしれない」 「ディスエル、君は何か気づいたんじゃないのか、太陽にどんな意味があるか?」 「違う!」 ディスエルは吠えた。 空気がぴりりと音を立てる。 否定だったが、逆に肯定になってしまった。ディスエルは感情を露わにしてしまった自分を恥じ入るように顔を赤らめた。 通行人が何事かと振り返った。 司はじっとディスエルの瞳を見つめた。 「何も気づいていない。本当だとも」 ディスエルは低い声で呟いた後、素早く踵を返した。  両手を揺らしながら、夢遊病者のように逃げるディスエルに、司は口を閉ざしそうになった。 「ディスエル! 僕は君の味方だ! なんで、それを拒むんだよ! この天邪鬼!」 挑発も無駄だった。 ディスエルは振り返りもしない。 ヤクートと、ユリィが司の背後に駆け寄ってくる気配がした。 二人とも、何が起こったか分かっていないようだった。 司は、自分でも分かるくらい硬い笑顔を二人に向けた。 「行こう。ディスエルには時間が必要なのかもしれない」 「どういうことなんだよ、 司? ディスエルどうしちゃったんだ?」 司はヤクートを振り返って、考えを整理した。 「多分、だけど、あのメッセージの中でウリエル学長に関することが予言されたんだよ。  それが、どういうことか、僕には分からない」 司は首を振った。 「ウリエル学長と太陽って、何か関係があるの?」 「ウリエルは、太陽の一部をこの世界に召喚できるって言われてる」 司は驚きのあまり、自分の目が大きく見開かれるのに気づいた。 ヤクートは、頭をぽりぽりと掻いたあと、何か記憶を探るように目を閉じた。 「確か、百人の魔道師を一撃で葬ったのも、その魔法だったはず。  太陽の一部を召喚したら、地球をまるごと破壊することだって可能だ。  ウリエルはそれであんなに自信を持っているんだろうな」 ユリィが身震いをした。 「ウリエル学長って、本当に怖い人。  ディスエルが逃げちゃうのも分かるよ。  一度でも殺人を犯すと、歯止めが効かなくなって、周りも攻撃する。  ディスエルはそれもあるから、関わりたくないって思うんじゃないかな」 まだ、声色が優れないがユリィは一生懸命に状況を整理しようとしているようだ。 ユリィならではの優しい解釈だと思う。 司も自分なりに考えることにした。 そう、やっぱり怖いのだろう。 司は、結論づけた。 「ともかく、京極先生はウリエル学長の存在を暗示した。  ってことは、あの事件の当事者に僕たちがなってしまったことに気づかれたのかもしれない。  だとすると、ラビニア先生の言葉通り、僕たちの身に、何か危険が及ぶのかもしれない」 ユリィがまたしゃくり上げた。 「大丈夫だよ、ユリィ、何とかするってば」 「なんで、そんな自信があるの? 太陽を呼び出せる人を倒せるわけ……」 「倒す必要はない。目的を挫けばいいんだ」 司はペンダントを見下ろして、もう一人の自分に微笑んだ。 ペンダントの中の自分も微笑み返した。 「なんでこんなことになっちゃったのかなあ? 俺たち、普通に学校生活を送ってただけだぜ?」 「本当だよね……平和に過ごせたら、一番良かったのに」 司は、二人の声を聞いて、急に罪悪感がせり上がってくるのを感じた。  もしかして、自分のせいでこの二人を危険な目に合わせているのかもしれない。  そう考えると、自分と一緒に過ごしてくれているこの二人にとって、自分は害悪でしかないのかもしれない。 司はブレスレットを見下ろした。 孤独には慣れている。 「おーい、司、どうした?」 ヤクートが心配そうに司の顔を覗き込んだ。 「これからの事を考えてみたんだ」 もしも、二人にこれ以上の危害が及ぶようなら、ブレスレットを外して、自分との繋がりを切る必要があるかもしれない。 司がブレスレットをした腕をだらりと下げると、ユリィが手首のあたりを握りしめてきた。 「大丈夫! 平井君のせいじゃないもの!」 ユリィは強い瞳で司に語りかけた。 司は答えられなかった。 百パーセントそうだとは、言い切れない。 三人は足並みもばらばらに、街をあとにした。 3 校舎に帰ってきたと同時、何か異様な熱気が辺りに立ち込めているのに気づいた。  金色の校舎は陽炎にぐらぐらと揺さぶられている。  焼けた金属の匂い、焼き着けられたばかりのハンダのような匂いがした。 次の瞬間、どう! っと、獣が喚くような音がする。 耳がぴりぴりと震えた。 三人は顔を見合わせ、ゆっくりとアーチのとなりの闘技場を覗き込んだ。闘技場から、音が聞こえたような気がした。 司は、闘技場の入り口に忍び寄り、大きな赤い扉を少しだけ開けた。闘技場の床は火傷をするくらい熱い。右膝をつけると、制服がぶすぶすと音を立てるような気がした。 ユリィとヤクートが背後にいた。 司は二人を振り返った。 自分のために、これ以上この二人を危険に晒すわけにはいかない。 司はペンダントに手を置いた。 使うのは、拘束の時間魔法。二人の動きを完全に封じてどこか安全な場所に移してから、この先にある何かを見る。 ペンダントの自分もそう言っているはずだ。 司はペンダントを見下ろした。 ペンダントは、司の行動を否定していた。この二人を連れていかなければならない。そう命じている。 「何でさ?」 (必要だからだ) これまでも、言葉足らずで秘密主義だったもう一人の自分。  生まれてから一番、司はもう一人の自分に苛立ちを覚えた。 「君は、何者なんだっ!」 司は怒りのあまり、ペンダントをかなぐり捨てそうになったが、それだけはしてはならないと自分を制した。 闘技場の奥から漂う熱気が肌を刺激した。 言い争うような声が聞こえる。 「うちの教授監督官をあなたが殺したのは分かってるんですよお、ディアさん?」 「知らぬと言っているだろう。妾は小さき子を殺そうとはせぬ」 「だ、け、どお、ラビニア教授監督官の宿舎からは、魔力で壊された形跡がないんですよねえ。だとすればあ?  召喚獣による攻撃、というのが、いっちばん、脈があるように思うんですよねえ。  我々にラビニアを殺す動機はありませんし、貴女でしたらあ、侵略戦争の一環で、優秀な魔道師を暗殺するくらいしますよねえ?」 ウリエルの声は、嗜虐心と暗い喜びで、弾んでいた。 「妾は、侵略など考えぬ」 ディアの声は抑制が効いていて、あくまで冷静なのがよく分かった。 「とにかく、潔白を証明したいのならば、私の条件を呑んでいただけませんこと?」 ウリエルはスクロールを取り出した。  見覚えがあった。  ウリエルとディアが最初に出会った時にも、ウリエルが見せびらかしていた。 「サバト(聖戦の儀)か……お主のところの学生と戦わされるのは、気がひけるがのう。  しかし、それで妾の潔白が本当に証明されるのか?」 「えぇえ、もちろんですとも、このサバトは潔白な者だけが勝ち抜ける仕組みになっています。  うちの学生にも犯人はいるかもですし、潔白でなければ、そちらを処分できるかもしれませんしねえ」 ちょっきーん、とウリエルはハサミで何かを切るような仕草をした。 司は、スクロールをまじまじと見た。 「手を乗っけてくださいますよねえ?」 「……いいじゃろう。王としての潔白は証明せねばなるまい」 「では! 私のところの学生十二人と、貴女で殺し合いをする。  そういう条件を設定します。貴女は、十二体の召喚獣を操れると聞きましたし、別段、差し支えないでしょう? 相手は未熟な子猿ですし」 「もっとハンデが必要なくらいじゃが、いいじゃろう」 ディアが歩く衣擦れの音がした。 司は身を乗り出して、闘技場を見た。 赤髪の女性が差し出したスクロールに銀髪の女性が手を乗せる。その瞬間、光がスクロールを包み込み、十二個の光の欠片が、空中に飛び散った。光の中の一つが、コロシアムを横切って、司の前に現れる。 光は司の前に過ぎり、揺れたかと思うと、司を飛び越えて、ユリィの胸に吸い込まれていく。司はあわててユリィを庇おうとしたが、時すでに遅しだった。 ユリィの体を光が打つ。 ユリィが着るワンピースの胸元の辺りに、赤い刻印が刻まれた。 司はユリィの手を取った。 「まさか、君が?」 ユリィは召喚魔法で『S』判定を取っていた。  ならば、選ばれるのも仕方のないことかもしれない。  だが、戦う意思を持たないユリィが選ばれるなんて。 司は闘技場を振り返った。 ウリエルが司の瞳を確かに視線で射抜いている。 ぐちゃり、と果実が潰れたような笑みを浮かべている。 司は、へたり込んだ。 もしかすると、ウリエルがラビニアを殺したのかもしれない……。  僕たちを合法的に殺し、ディアを殺すために。
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