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司の部屋には、薄いロウソクの火だけが灯され、薄暗く照らされていた。
間取りも、内装も変わっていなかったが、机の上だけは想像だにしないほどとっ散らかっていた。
司の悪い癖で、本をたくさん持ち込むから仕舞う場所がなかった。
司は机の前の本を片付けながら、机に座り、ユリィはその後ろのベッドに丸くなって座り、ヤクートは机とベッドの合間にある壁に寄りかかっていた。
「とりあえず、問題を整理しようか。まず、一つ。大きな問題が、ユリィにかかってしまった強制戦闘の呪縛(ギアス)だ。
これを解除しないと、ユリィはディアと命を賭けた戦いをしなければならない」
司はそこまでを、そこら辺にあった紙切れ一枚にメモした。
「わ、私、どうすればいいか分からない!」
「ユリィが選ばれるなんて、俺も予想外だ。どうすりゃいいんだよ、司?」
司は、苛立ちが表に出ないように表情を取り繕った。
本当は司だってどうすればいいのか分からない。
ヤクートやユリィは司を頼りにするあまり、自分で考えることを放棄することが多い気がする。
それでは、二人のためにならない。
「とにかく、僕一人だけの知恵じゃどうにもならない。
それに、僕は虚数世界に来て日が浅いんだ。
君たちの方が、分かることもたくさんあるはずだ」
「て、言ってもなあ」
ヤクートはピンとこないように、首を傾げた。
司は、ため息を吐きそうになるのをこらえた。
「いいかい、ヤクート。
僕にも分からないことはあるし、ディスエルにも分からないことはある。
君の頭が必要だ。
それとも、君の頭のなかは空っぽなのかい? 違うだろ?」
ヤクートの反応はまだ鈍い。
「俺は、お前が作戦さえ立ててくれたら、言うように動くよ。……悪い、疲れちまった。俺は部屋に帰る」
ヤクートは気を悪くした。
というより、落ち込んでしまったようだった。
司は激しく後悔をしたが、今は、ユリィへのケアが最優先だと思い直した。
ヤクートはドアを開け放って、振り返った。
「……またな」
ぶっきらぼうに言い捨てて、ヤクートは行ってしまった。
「うん、また、きっと会おうね」
司は右手を挙げて応えた。
ヤクートがいなくなると、司はユリィに向き直った。
青い髪を抱きしめながら、しゅくしゅくと泣きじゃくるユリィに、司はたしなめるような言葉をかけられなかった。
まずは、なだめすかしてから、これからにつながる話をするしかないようだった。
「ユリィ、大丈夫だよ。ほら、泣き止んで」
司は不器用にユリィを抱きしめた。
小さい手が、すがるように司の制服の胸元を握りしめる。
司は心臓がこれまでにない速さでとくとくと鳴るのを感じながら、振りほどこうとはしなかった。
司は、ユリィの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「僕、あんまり、人と関わらなかったからさ。今まで君たちと巧くできたのは、君たちがよっぽどいい人だからだと思うんだよね」
司は、胸の中のちっぽけなコンプレックスを吐き出すように語りかけた。
「だから、絶対に死なせないし。君たちの前で死んだりもできないと思うんだ。だから、一緒に考えようよ」
ユリィは必死ですすり上げながら、何度も強く頷いた。
「よし、じゃあ、問題点をもう一つ整理するよ。
ラビニアを殺したのはいったい誰だったのか?
ウリエル学長だったのか、京極先生だったのか、ロウ先生だったのか、それとも、ラビニア先生の自作自演だったのか」
司は、意見を求めるようにユリィを見た。
サファイアのようにどこまでも青い瞳がこちらをじっと見つめている。
司は潤んだ視線を一心に見返しながら、ユリィと向かい合う。
「君を守る。どんなことがあっても、だから、考えよう」
「私、分からないけど、ウリエル学長が、やったんだと思う」
「だとしたらどうして、こんな回りくどい方法を使って、僕たちを追い込んでくるんだろう?」
司には、心当たりがあった。
ウリエルは、ホークを引きずり出すつもりなのかもしれない。
ホークの教え子である司を、ぎりぎりまで追い詰めて、ホークが出てくるまで待っている。
ホークを殺すために。
ホークがこの学校に戻ることを躊躇したのは、ウリエルがいたからこそ。
書斎に隠れていたのも、ウリエルからの攻撃を恐れてかもしれない。
ウリエルが来たとしても、あの書斎なら、きっとホークは負けない。
ウリエルとホークにどんな関係があるかは知らないが、少なくともホークはウリエルに隙を見せてはならないと言った。
いい関係であるはずがない。
「とにかく、君のギアスを別の人物に配り直す方法を探してみるよ。
図書館に行かなきゃ。
落ち着くまで、ユリィはここにいてもいいし。帰ってもいいし」
「一人……」
「ごめん、でも、図書館には行きたくないんだろ?」
「ここにいる。一緒にご飯食べようね?」
「君の望む通りに」
司は微笑み、席を立った。
部屋を出ると、扉に鍵をかけ、左右を見る。
もちろん、他の生徒はいない。
何か怪しい動きをしている人物もいないようだった。これなら、安心してユリィを置いていくことができる。
もっとも、それでも不安なことは不安なので司は何かの魔法を使っておくことにした。
召喚獣が一番いいだろうと、司はペンダントを回した。
すると、くるくると歯車が回転する。次の瞬間、司の前に熊くらいの大きさで歯車仕掛の犬が現れた。
司は、干し肉を召喚獣に与えて、座らせた。
召喚獣は金色の毛を揺さぶりながら、親しげに司を見上げている。
両脚の左右に、歯車がはめてあり、ぎこちなく回転している。
赤い瞳が司を見上げるので、もう一度だけ干し肉を上げた。
「なにかが来たら、遠吠えをあげてほしい。ユリィが出るときは、護衛してあげてね」
召喚獣は従順にうなずき、司の部屋の前で伏せをした。
司は図書館に向かうために、螺旋階段へと続く廊下を走った。
図書館に行って、まず調べなければならないのは、スクロールによる呪縛の解き方。
可能であれば、ラビニア殺しの犯人の情報だ。
司は廊下を渡り終えると、螺旋階段の手すりを滑るようにくるりと一回転し、その勢いのまま階段を降り切った。
司は、綺麗に着地して、寮を抜け出すとペンダントの歯車を回転させた。
やわらかな緑色の光が体を包み、羽を持ったように身体が軽くなった。
地面を跳ねるように歩き、渡り廊下の窓を通り抜けた。
図書館への道を疾駆していると、生徒が数人、のろのろと歩いているのが見えた。
数えで十二人、エリナもいる。司は生徒の近くの建物の影に移動して、息を潜めた。
魔法を解き、普通の時間速度を保ったまま。十二人を見た。
きっと、聖戦に選ばれた生徒だろう。
耳をそばだてれば、声は容易に聞こえてくる。
「どうするってんだい。相手は四神クラスの召喚獣を十二体も出せる女だろう? それと戦うって? ぞっとしないね」
エリナの声だ。気怠そうに肩をすくめている。
「いやいや、でもさあ、これはチャンスな訳だよね。よその世界の王を殺すチャンス。名をあげるチャンスだ」
エリナの声に続いたのは、やけに自信満々な声だった。
「チェルシー、あんたの自信過剰ぶりには参るよまったく」
チェルシーと呼ばれた男子に同調するような声が四つ、エリナに同調するような声が五つ。ちらほらと聞こえ始めた声を、低い声が遮った。
「諸君、あまり、意気込み過ぎないでほしいし、やる気を失って欲しくもない。この戦いに関して、我々には大きなメリットがない」
「はい、先生!」
「どうしたね、アレクサンドロス」
司は聞き覚えのある名字を聞いてひっくり返りそうになったが、どうやら、チェルシーという上級生もアレクサンドロス姓を名乗っているらしい。
「メリットならあります! すっごく強い召喚獣と戦えるんですから!」
チェルシーはかなりの自信家だということが分かった。
司にはあまり、好感が持てなかった。
「一人、足りないようだが……」
京極が遮って、視線をさまよわせた。
「胸に刻印が浮かんだやつを、招集したのに、ひとり来ないってことは、怖気付いちゃったんじゃない? 君の妹だったりして、いっひひひ」
「悪い冗談はよしとくれ、あの子にゃ無理だよ」
エリナの表情は声から簡単に察することができた。よっぽど呆れた顔をしているのだろう。
司はユリィが選ばれたことをエリナに知らせたら、いったい、どんな顔をするのだろうと考えた。驚くか、嘆くか、それとも大喜びか。
「とりあえず、もう一人の招集を待つ。君たちは格寮で、実戦訓練の準備をしてきたまえ」
京極の言葉に、司は開いた口が塞がらなかった。
ユリィがこれから、実戦訓練を定期的に行わなければならないという事実。
どう考えても、ユリィには無理だ。
司は加速の時間魔法を重ねがけして、生徒と京極の脇を通り抜けた。
京極と目があったような気がしたが、京極は何もなかったように、また視線を前に向けていた。
司は、ほっと胸を撫で下ろして、図書館の建物に向かった。
前方にまでくると、魔法を解いて、巨大な扉を押しあける。
図書館から漏れる光の先を目を細めて見つめていると、例のお化け雑巾が目に入った。
お化け雑巾の隙間から、くりくりした瞳がこちらを覗いている。
司は、「やあ」と声をかけた。
「ふん、平井司ですか、この時刻に来ると私の全知が告げていました。
でも、帰ってください! 貴方みたいな欠点のない、人間らしくない人間は、気持ち悪いです!」
お化け雑巾、通称、ラプラスの間のラプ子さんは、決して歓迎ムードではなかったが、司はその横を突っ切ることにした。
と、にゅっと子供らしいきれいな手が伸びて、司の足首をつかんだ。
たまらずバランスを崩し、頭から床に突っ込むと、ラプ子が立ち上がった。
「だめだと言っているのに何故に聞かないんですか? 天邪鬼ですか?」
「君ほどじゃないけどね」
司は座ったまま額を摩ると、ラプ子の方を振り返った。
ラプ子は本当に小さかった。
よく見ると、ユリィよりもずっと小さい。
無造作にドレスをたくし上げて、転ばないように歩いているから、中に大きな厚手のだぼだぼなかぼちゃパンツを履いているのが分かった。
西洋人形のようだった。
「何をするんだい、まったく」
「それはこちらのセリフです」
ラプ子は胸をそびやかして、腰に手を当てた。
司は、額をぶつけたのとは原因の違う頭痛に頭を抑えた。
ラプ子はそれが気に入らなかったらしい、とても不愉快な顔をして、司の足を蹴り始めた。痛くはなかった。
「マザコンの癖に!
この学校に来たのは両親を探すためでしょう?
友達なんて捨て置いて、さっさと探しに行っちゃってください!
このとっつぁんぼうや!」
司は心が一瞬、打ちのめされたのを感じた。
確かに目的を忘れていた。
両親を探して、自分が黒い穴から創られたという妄想を振り払いたかった。
この三ヶ月間、司は忙しいのと楽しいので、すっかり母親探しを忘れていた。
司は大切なことを思い出しはしたが、それって本当に大切なんだろうかと思った。
「今は、友達が大事なんだ。好きで好きでたまらないんだよ、あの人たちが」
司は深呼吸した。
酸素が身体中に行き渡り、一瞬だけ失ってしまった活力が再び戻っていく。
「だから、両親のことはどうでもいい。あの三人を守る。それだけだよ」
「おねしょのユリィに、うっかり自傷のヤクート、軽犯罪のディスエルがですか?
ふんっ! 貴方の器の大きさに感服しますよ」
ラプ子は賞賛の言葉を吐いたが、皮肉であることは明白だった。
司はあはは、と笑った。
「やっぱりさ、欠点がないと、支え甲斐がないだろ?」
ラプ子はふんっ! と鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった。
また、お化け雑巾に戻ってしまったが、隙間から顔を出して、司をにらむ。
「この図書館には、全ての本があります。
どんな知識でも得られます。
明日の天気も、百年後の天気も、全て載っている本もあります。
文字通りどんな知識でも、思いのままです。見つけられれば、ですが」
ラプ子はガラガラ声で言った後、もぞもぞと雑巾から這い出て、書庫を指差した。
書庫は無限に連なっていた。
「手当たり次第では、一生かかっても本は見つからないかもしれない。
そんなものです。
だから、ここに来ても無駄ですよ」
「そっか、じゃあ、君の協力が不可欠なわけだ」
「やはり、気づきましたか。やっぱり、厄介な人です」
ディスエルもラプ子も、司を厄介、と評することが多い気がする。
そんなに面倒くさい性格に育った覚えはないのだが。
もっとも、十二年間、俗世と離れていたようなものだから、自分の性格がどんなものかなど把握のしようがないことに、司は今更に思い至った。
もしかすると、ヤクートやユリィも、司は変な奴だと思っていたかもしれないし。
イライラさせていたことも、一度や二度ではないかもしれない。
そう考えると、不安が一瞬、身体を駆け巡るのに気づいた。
「不安なんですね。やっぱり、人間は不安に苛まれている方が可愛げがあります」
ラプ子は、満足げに笑った。
「一応、知識を得たい場合には、私を通すことになっています。
その場合、献上品か、私の出す謎かけに応えてもらう必要があるのです」
「謎かけで」
司は即答した。
ラプ子は不機嫌そうに眉を動かしたが、すぐに咳払いをして真顔を取り繕った。
「いいでしょう。私の愛用の飲み物を当ててください。四択問題です、牛の乳、みかんの果実、ラム酒、水銀」
「水銀だね?」
考えるまでもなかった。
ラプ子は目を剥いた。
「どうして、即答なのですか? それに、その選択肢は明らかに外れっぽいでしょう!」
「腐食を止めるために、水銀を飲んでいるんでしょう?
声ががらがらなのはそのせいだ」
「ぷーっ! 悔しい!」
ラプ子は、地団駄を踏んだ。
「こんな、いけ好かない人に、大切な知識を与えなければならないとは! もっと難しい問題を出すべきでした!」
「教えて欲しいんだ」
司は廊下を転げ回るラプ子に声をかけた。
ラプ子は、顔を両手で抑えていたが、指の隙間からくりくりした瞳を覗かせた。
よいしょと立ち上がり、ラプ子は膝を抱えて司の言葉を待った。
「聖戦の儀のギアス、呪縛を解く方法だ」
「ふーん、ま、いいでしょう」
ラプ子はぐるぐるとその場で回って、本を一冊、書棚から取り出した。
「ギアスとは、端的に言って呪いのことです。
通常の呪詛と違って、回避は難しく絶対的な力を持つものが多いです。
ギアスに逆らった呪受者は、場合にもよりますが、死んでしまいます。
今回のギアスは……ふむ?」
ラプ子は大きな本を抱え込み、じっと考え込んでいる。
「死にますね。百パーセント死にます。このギアスの特性上、呪縛を取り除くことはできず、移し替えることはできるようですね」
司は期待に身を乗り出した。
もしも、ほかの人間に移し替えられるなら、ユリィを救うことも十分できるはずだ。
「肝心のギアスを変更する方法はというと、ふーむ、スクロールに触れて、被契約者が呪文を唱える、というわけですね」
「簡潔で分かりやすいんだけどさ」
司は首を傾げた。
「呪文って?」
「それには、献上品の提供をお願いする他ありませんね」
「それも含めて、じゃないの?」
「私の裁量次第です。
ここまで教えても大丈夫だと思えば教えます。
教えてはならないと思えば教えません」
ラプ子は、本を棚に仕舞い、またボロ雑巾を被った。
「……今日はあなたとたくさん喋って、多少ですが退屈が紛れました。
献上品を持ってきてくれるならば、明日も構ってあげていいですよ」
すごく理不尽で可愛いことを言ってくれたので、司は声をあげて笑った。
雑巾から再び顔を出したラプ子は、べえーっと舌を出した。
司は「じゃあ、また明日」と言い残して、図書館を後にすることにした。
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