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寮に戻り、自分の部屋に向かうと、女の子が泣き叫ぶ声がした。司はぎょっとして、自分の部屋の前まで行った。
ほの暗くなり始めた寮の廊下で、ユリィが必死で何かと格闘しているのが分かった。
ユリィの体は薄く発光しており、光は禍々しい赤色だった。
召喚獣が、心配そうにユリィの匂いを嗅いだり、くるくると身体の周りを回っている間も、ユリィは泣きじゃくっていた。
「ユリィ、逆らっちゃダメだ!」
司が叫ぶと、ユリィは身体を止めた。恐怖に目を見開き、司を探すように視線を彷徨わせている。
司はゆっくりとユリィに近づいて行った。右手を伸ばして、ユリィの左手を取る。
「聖戦が、始まっちゃたの?」
「まだだ、だけど、京極先生の講習がある。ユリィは講習に参加しなくちゃならない」
「私、嫌だよ。殺し合いの授業なんて!」
ユリィは青い髪を振り乱して、地面にへたり込んだ。
ここで逆らえば、ユリィにどんな危険が及ぶか分からない。今は、連れて行くしかない。
「聞いてくれ、ユリィ。ここで呪いに逆らえば、君は死んじゃうかもしれないんだ」
ユリィは顔を上げて、恐怖に目を見開いた。皮膚は泡立ち、顔は蒼白だった。
司はユリィの右手を取って、胸の前で握りしめた。
「必ず、君の呪いを解く。だから、それまで頑張って! 何が何でも、君を助けるから! いいね! 今は行くしかない!」
ユリィは納得が行かないのか、俯いてしまった。
司はユリィの手を少し乱暴に引いた。ユリィは振りほどきはしなかったし、驚くほど無抵抗で、司の隣を歩いていた。
「ユリィ、戦うことばかりが戦いじゃないんだよ。
戦いの裏にある補給とか、補助だって、大切なことだ。
それさえすれば、誰も君に文句を言うことはできない。呪いも君を殺さないよ」
「そんなこと、分からないもの。平井君みたいに、私、なんでも分かるわけじゃないし」
「僕にだって分からない事はある。
どんなにあがいても分からない事はあるんだ。
だから、買い被らないでほしい。君の協力が必要で、君がいないと、僕は君に何もしてあげられない。
いいかい、頑張ってくれ!」
ユリィは、ほんの小っちゃな子供のようにこくりとうなずいた。司はユリィに微笑みかけて、歩き出した。
「少し、時間がないから、魔法を使うよ」
司は、目を閉じた。
金色のペンダントをくるりと回し、自分とユリィを加速させる。ユリィは、司の顔をじっと見ていた。
「離さないでね?」
司が釘を刺すと、ユリィは司の手を強く握りしめた。
了解をもらったのだと解釈して、司は走り出した。
ユリィもそれに続いて走り出す。
螺旋階段のところまで行くと、ユリィの身体を抱え上げて、司は階段を滑るように降りて行く。
入り口付近まで行くと京極が立っていた。
京極は、袖と袖に両手を隠して、険しい顔をしていた。
「ユリィ・イスフィール、君だったとは」
京極の声には言葉に反して、意外な響きがなかった。むしろ、恐れていたことが起こったと、嘆くような表情だった。
「その子は私が預かろう」
司は、ユリィを地面に立たせ、右手を引いた。
「僕も訓練に参加する事はできませんか?」
「不可能だ。ギアスを受けたものしか、参加は許されない。観戦も許されていない、こちらは校則だがね」
「おかしいじゃないですか。見守ることもできないの?」
「新しくできた校則でね。ウリエル学長が公布したものだが」
司は心臓がとくりと鳴るのを感じた。
京極はユリィを受け取ると、司の耳に顔を近づけた。
「合図は判ったな?」
京極の謎めいた言葉に、司は顔を上げたが、京極とユリィはすでにいなくなっていた。
司は京極の言葉の意味を考えながら、自分の部屋に戻ることにした。
6
ベッドに入る前に、食事と風呂と、歯磨きを済ませていようと思った。
今日の夕食は、ハンバーグとポテトサラダ、パンだった。
どうして、望んだだけで食事が現れるのかは分からないが、今日ほどこれが便利だと思った事はない。
司は本で散らかった机が汚れないように膝の上にお盆を置いた。フォークとナイフを、素早く使って、ハンバーグを食べ始めた。
頭が痛い。
司は急に食欲が無くなって、盆を机に置き直すと、消えてしまった。惜しくはなかった。
ベッドに入って考えをまとめようとしたが、ユリィの傷ついた姿が頭にチラつくような気がして、気づくと布団を引っぺがしてウロウロしていた。
仕方なしに、机について、本を手当たり次第に手に取った。どれも、この状況を打開できそうなものではない。
もう一度、図書館に行くことを考えたが、無気力感が身体にのしかかるだけだった。
司は、もう一度、ベッドに入った。
同じことを繰り返すだけだった。
司は、三回目にベッドに入った後、身悶えするように寝返りを打って、ぱちりと目を開けた。
頭がくらくらとした。
頭痛を抑えるために、こめかみに親指と小指を載せると、痛みが和らいだ。
鈍痛のする頭で考えることにした。
ユリィの聖戦参加、ラビニアの死、京極のメッセージ、もう一人の自分自身、外の世界の王ディア。
姿や言葉が浮かんでは消えていった。
こんな夜は、きっと夢を見る。
司は、ホークにもらったブレスレットを眺めた。
ブレスレットをもらってから、夢を見ていない。
司が生まれつき使うことができた魔法は、ブレスレットをつけた時点で使えなくなってしまっている。
ホークは司が使っていた魔法を、高度な召喚魔法と言っていた。ホークほどの魔術師が言うなら、『S』ランクに相当する魔法なのかもしれない。
移し替える対象が必要だとして、司がブレスレットを外せば、対象になるのだろうか?
司はブレスレットをかざして、左手を置いた。
外してしまえば、ユリィにもヤクートにも、ディスエルにも、存在を認識されなくなる。ホークは辛うじて司の存在を拾えるだろう。
やっぱり、外してはいけない。
司はブレスレットから手を離した。
ブレスレットは、司の魔法を明らかに阻害している。
訓練の時から感じていたことだ。
司の体質を封じるための細工だとホークは言っていたから魔法と体質は何か関係があるのだろう。
夢を見なくなって、夢から召喚を使えなくなったことと、魔法がやや上手く使えないことは、容易に結びつく。
司は、ホークへの苛立ちが急にふつふつと燃え上がるのを感じた。
やっぱり、ホークの秘密主義は頭にくる。
合理的じゃないし、欺瞞的だし、不明瞭だし、とにかく、なんらかの手段で、ホークと連絡を取る必要があるような気がした。
司は、ブレスレットに念を送ってみたり、ペンダントに念を送ってみたりしたが、ホークに言葉が届く事はない。
ホークは困ったことがあればすぐに連絡をする様にと言っていたが、考えてみるとその手段がない。
司はまた身体を投げ出して、目を閉じた。
夢さえ見られれば、どれだけ楽だろう。
夢の中から、物体を取り出す能力。
王の夢、王の臣下の夢。
数々の便利な魔法道具。
魔法道具さえあれば、なにもかも上手くいくような気がする。
それには、友達との絆を棒に振らなければならない。十二年間も我慢してきた。
そうして、やっと手に入れることができた。
もう、失いたくないし同じものがまた築けるとも限らない。
司はベッドに顔を押し付けた。
ユリィやヤクート、ディスエルの顔や言葉が浮かんでくる。大事で大事でたまらない。愛おしくてたまらない。
どんな宝物をもらっても、手放したくない仲間。
けれど、宝物がなければ、仲間が傷ついてしまうかもしれない。
傷つかないためには、絆を断ち切らなければならない。
司はごしごしと目を擦った。
涙が流れるのに気づいた。
眠いからではなかった。
こんなに悲しいのは初めてだった。
手に入れた絆がなくなったと想像しただけで泣いてしまった。
情けなかった。
一人で生きていくのに慣れていたから、きっと仲間がいなくなっても大丈夫だと思っていたのに。
司は涙を完全に拭くと、目を閉じた。
もしも、時が来たら、やるしかない。
そうならないためにも、ベストを尽くさなければならないけれど。
覚悟を決めるまでに、随分と時間がかかった。
あれこれと考えた。ブレスレットを外すだけで、全てが終わり、代わりに、司は力を手に入れる。
司はゆっくりと、ブレスレットに目を向けて、腕から外す光景を想像した。
外した瞬間、周りが自分を誰も認識しない、おかしな空間に放り込まれる光景も想像した。
人の温もりを知った今、許容できるだろうか?
全てを失うことを。
いや、許容してみせる。
ヤクートやユリィ、ディスエルとの絆よりも、三人が幸せに生きることの方がきっと司には大切だ。
扉を叩く音がした。
司は目を開けた。
ゆっくりと音の方へと歩きドアノブを回すと、青い髪が見えた。司はユリィを見下ろして、ぎょっとした。
身体中に絆創膏や包帯を、着けられたり巻きつけられたりしていた。
司が、目を丸くしていると、ユリィは疲れ切ったように微笑んだ。
「部屋の隣で誰かが騒いでるの。
多分、私が聖戦に選ばれたのが気に入らないんだと思う。
それで眠れなくて。ここで、眠っていい?」
答えるまでに、随分と時間がかかったが、司は了承の声を返した。
ユリィは顔を明るくして、司に導かれるまま、部屋に入った。
司は、ベッドを振り返った。
洗濯されてはいるが、さっきまで自分が入っていた布団に他人を入れるのには抵抗があった。
女の子となれば、それも一入だった。
司は困ってしまったが、ユリィをベッドに寝かせることにした。
ユリィはぼんやりしていて、司と同じような躊躇を思い浮かべないでいるようだ。
ユリィはベッドに入り込むと、ぼうっと天井を見つめた。
「ディスエルの部屋には行かなかったの?」
司がたずねると、ユリィはゆっくりと視線と視線が合わさる位置に目を移動させた。
「迷惑だった?」
「違うよ。ただ、男の僕の部屋じゃなくて、ディスエルの部屋の方が寝やすかったんじゃないかと思って」
「神話魔法寮は、ほかの生徒が入れないの。不純異性交遊を防ぐ、とかで」
司は曖昧に笑みを返すだけに止めることにした。
「ヤクートに比べると、平井君は信用できるし、一緒にいて心が落ち着くし……」
「信頼されて嬉しいよ。うん、すごく、すごく嬉しい」
司は、微笑んだ。
「眠りなよ。大丈夫だから」
司はユリィが寝付くまで椅子に座り込んで、じっと監視することにした。
ユリィは、うとうとと目を開いたり閉じたりしていたが、しばらくして、すー、すー、と寝息を立て始めた。
司は、部屋の電気を消して、窓から差し込む月明かりともう一つの世界から差し込む光を頼りに、部屋を後にした。
司は、部屋を出ると、ペンダントを回した。
光が空中で三度、脈打つと、ぐにゃりと空間がねじ曲がった。
巨大な歯車仕掛の犬が、空中から現れて、司に体をこすりつけた。
司は召喚獣を座らせて、その腹のあたりに頭を載せた。召喚獣は母犬のように体を丸め、司の頰を舐めた。
「そういえば、名前を決めてなかったっけ」
司が目を開け、召喚獣に問いかけると、じっと見つめ返すのが分かった。
「ペロにする?」
少し不服そうだが、ペロはうなずいた。
司はペロの毛皮のような鱗のような不思議な感触の腹に顔を埋めた。
「迷う必要なんてなかったね、ペロ。
僕には君だっているし。
召喚獣を召喚して行ったら、きっと寂しくないよね」
ペロは答えない、犬の召喚獣らしく、荒く呼気を繰り返すだけだ。
「その時が来たら、僕は全てをかなぐり捨てる。それ以外、ないんだ。いいよね? 三人とも、許してくれるよね?」
ペロは、司の顔を舐めて、愛おしげに微笑んだ。
眠れ、とペロの瞳が言っているような気がした。
司は言う通りにした。
目を開けたら、完全に覚悟を決めた自分になっていたらいい、と念じながら。
司はゆっくりと目を閉じた。
今度は急速に眠りが訪れた。
司は、暗い闇の中で、揺りかごに揺られる夢を見た。
小鳥のさえずりが、ちゅんちゅんと耳を刺激した。
司はまぶたの裏が真っ白になったのと、小鳥のさえずりを合図に起き出して、伸びをした。
ペロは、司に顔を擦り付けて、空中に溶けて消えてしまった。
司は、ペロにばいばいと手を振って、後ろ手でドアを開いた。
ドアを開くと、ユリィがしょぼしょぼした目で虚空をじっと見つめていた。
司は、ユリィに向かって手を挙げ「やあ」と笑った。
ユリィはそっぽを向いた。
やや、むくれているように見えた。
「どうかした?」
司が向かい側の椅子に座ると、ユリィは顔をピンク色にして、首を振った。
「なんでもない、平井君こそ何かあったの? 変な顔」
「うん、ちょっと、意識改革をね」
「時々だけど変なこと言うよね、平井君。難しい言葉を言って、煙に巻こうとしてない?」
「そんなふうに見えた?」
司は微笑みを浮かべることにした。
「ディスエルも同じなの。都合の悪いことがあると、難しいことを言って、追及を交わそうとするの」
「……ディスエルと僕は違うよ」
「でも、似てるもの。どこか似てるの。結構二人とも、気があうみたいだし」
ユリィは気があうと言った瞬間、自分で自分に針を刺したような顔をした。
心配になってユリィの顔を覗き込むと、ピンク色の顔が赤くなった。
「確かに、ディスエルは特別な存在だよ。
初めてだった、難しいことを一緒に考えてくれる友達って。
飲み込みも早いし、僕が飲み込めてないことはディスエルが飲み込んでくれるし、ディスエルが飲み込めていないことは、僕が飲み込んであげれられる。
楽しいよ、ディスエルと一緒にいると」
ユリィは司をまじまじと見つめた。
「そう、そっか! ディスエルに、友達が増えて嬉しい!」
明るい声には、どこか翳りがあった。
司は違和感の正体を探すために、ユリィの顔を見つめた。
「ユリィ、何か変だよ?」
「平井君は心配性だなあ。
私は、ディスエルに友達ができて嬉しいんだよ!
うん、そうだもの!」
「嬉しいのは確かみたいだけど、ねえ、僕、何か気に触ることを言ったかな?」
「言ってないよ。司君は、いっつも正しいことしか言わないもの」
言いつつ、ユリィは必死で目元をぬぐっていた。
「じゃあ、私、今日も訓練があるの。
観戦はできないから、平井君は、図書館ででも待ってて?
ヤクートやディスエルと一緒に、お昼ご飯食べようね? きっとだよ?」
ユリィにしては矢継ぎ早な口調。司に顔を見せないように深く俯いて、ユリィはその場を後にした。
司はユリィの手を取ろうとしたが、風のようにすり抜けてしまった。
司は椅子に座り込み、何がいけなかったのかを考えた。
椅子がきい、きい、と音を立てる。
音が頭にこもるような感覚が過ぎる。
頭痛は治まっていたが、だからと言って、倦怠感がなくなったわけではなかった。
司は、本の山に向き合い、頭痛に効く飲み物を思い浮かべた。
念が通じたのか、空中から、レモネードの瓶とコップが現れた。
司は瓶を手に取り、コップにレモネードを注ぐ。
ゆっくりと喉に流し込み、飲み干すと、少しだけ倦怠感が収まった。
司は、図書館に行くことを決めた。
その前に、一応、ヤクートとディスエルを誘うために、空間魔法の塔、神話魔法の塔に向かうことにした。
椅子から立ち上がり、司はレモネードをもう一度だけコップにレモネードを注ぎ込んだ。
コップを手に取って、部屋を後にする。
ドアを開け放ち、体を出口にさっと向ける。レモネードを空になるまで飲み干すと、胃袋がキンキンに冷えたが、目覚ましには良かった。
司はコップを空中に離して、走り出す。コップが背後で空間に飲み込まれる気配がした。
こんなに急いでどうするんだろう。
司は、急に躊躇いの想いに囚われて足を止めた。
ヤクートは快く来てくれるだろうし、ディスエルはきっと朝に弱い。ゆっくり行っても、結果は変わらないかも知らない。
擦れたスニーカーの靴裏が、恨めしげに床を滑っている。
時間はまだまだある。
いや、本当にそうだろうか?
司は、聖戦がいつ行われるのかさえ知らない。
ユリィも司も一杯一杯で、日程の確認という基本情報すら、交換できなかった。
司は思考が停止しそうになるのを感じた。このまま、立ち止まってはいけないことはよくよく分かっている。
立ち止まりたいわけではない。
司は立ち止まったままの自分を見下ろして、無理やり足を引きずった。
ヤクートやディスエルに会えば、きっとこのもやもやした気持ちも晴れるはずだ。
司は、ペンダントを操作して、いつもの動作で時間魔法寮を後にした。
8
空間魔法寮は、床も地面もぐにゃぐにゃした、変な場所だった。
矢印や、罫線が何本も、空中に浮かび上がり、魔法式すら浮かび上がっている。
宇宙のように無限に広がる空間なのに、よく見ると、時間魔法寮と同じくらいの広さだった。
司はヤクートを探して、寮に一歩踏み込んだ。
すると、金色の歯車が足元に狂い咲いた。
クルクルと回る歯車は、司を中心にあたりに広がっていく。
「空間魔法寮に入ると、魔法使いの心象風景が鏡のように映されるんだってさ」
ヤクートの声が前方から響いてきた。
視線を前に向けると、勇壮な森が司の方へと迫ってきていた。
司は森の中心で、ニヤリと笑うヤクートに同じくニヤッと笑い返した。
「司、悪いけど、俺、やらなくちゃならないことがあるんだ。
でも、司やユリィのためにならないことはしないつもりだからさ。
俺は馬鹿だし、司にできることと、俺にできることは違う。
だから、ディスエルだけ連れて図書館に行ってくれ」
「ヤクート、君は自分をすごく見くびっていると思うよ。
三人寄れば文殊の知恵っていうでしょう?
僕たちにない発想が必要だし。
確かに、僕が出来ることとヤクートが出来ることは違う。
つまり、僕に出来ないことが、ヤクートに出来るはずだ、そうだろう?」
「そうだよ。だから、俺は俺にしか出来ないことをやろうとしているんだ」
ヤクートは司の目の前までゆったりと歩くと、肩に手を置いた。司はヤクートの手が本当に力強く、優しいのに気づいた。
司には、ヤクートのやろうとしていることは分からない。
信頼すべき、とは思ったが、ロウに呼び出されてからのヤクートの豹変を考えると、看過するのは危険にも思えた。
ヤクートは今にも遠ざかろうとしていた。
ヤクートの手を取ろうとしたが、急に生えた黒い樫の木が遮った。
ヤクートの森が、司を抑え込んでいる。
司は歯車の空間でヤクートの空間を押しのけようとしたが、わずかに歯車の空間が広がっていくだけだった。
簡単に、魔法による干渉力を考えた時、力が強い方が空間を塗り替える力を強く持つはずだ。
ということは、司とヤクートの今の力には大差がないことになる。
ヤクートはいつの間に、これほどの力を手にしたのだろうか?
それとも、もともと、ヤクートにこれだけの力があったということなのか。
司は少し嬉しくなった。
同時に、寂しかった。
ヤクートを馬鹿にしていたわけではないけれど、やっぱり、優越感をヤクートに対して感じていたのだろうか。
違う。
司は、ヤクートがちょっとだけ遠くに行ってしまったのが寂しい、それだけだ。
ヤクートが自分なりに友達を助ける方法を考え出したのなら、決して、邪魔はしてはいけない。
これは、司が望んだ展開でもある。
ヤクートが司に依存しているのではないかと考えていた。
ユリィも。
ヤクートとユリィは、ちゃんと自分で考えて自分の意思で戦う覚悟を決められる人たちだったのかもしれない。
まだ、確証はないけれど。
確証が本当であれば、司はきっとユリィやヤクートに必要のない人間だということだ。
二人に自分が必要なくなったら喜んで身を引こう。
司はブレスレットを見下ろして拳を握りしめた。
自分は自分がやれることを、やればいい。
次はディスエルを迎えに行かなければならない。
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