序章 クロノス・カタストロフィ

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神話魔法寮の前には二人の門兵がいた。司が中に入ろうと扉に近づくと槍が両方向からにょきりと伸びてきた。  門兵は二人とも、驚くほどの無表情で、司をどこか胡散臭そうに見ていた。 「ディスエルという女生徒に会いたいんですけど」 「神の使徒である女学生と、俗世のモノは関わってはなりません」 「お引き取りください」 「会いたいだけです! ちょっかいなんてかけません!」 「お引き取りください」 司は屈強な門兵たち二人に放り出された。 地面にへたり込みながら、司は渡り廊下の隙間から見える青空を見つめた。 ディスエルには会うことすらできない。 ちょっと頼めば入れてくれると思っていた。今更、ホークの言っていたことを思い出した。  神話魔法の女学生には決してちょっかいを出してはいけない。出す前から放り出されるのだから、本当にちょっかいを出したら、槍で刺されるかもしれない。 司は身震いして、立ち上がった。 「君は何をやっているんだ……」 声がしたので振り向く。やれやれと首を振るディスエルを見つけて、「やあ」と、手をあげる。ディスエルは応えなかった。 「ご飯を奢るからさ」 「却下だ。今日で断食は終わり。クソまずいオートミールだが、昼飯も出るようだから。もう、君の厄介になる必要はない」 ご飯を断るとは思いもしなかったので、司はディスエルの顔をまじまじと見つめるしかなかった。 「平井、私はウリエルと事を構えることだけはしない。君にどんなに頼まれたとしてもだ。ああ、だが、受けた恩は返す。これを上げよう」 ディスエルは胸元から紙袋のようなものを引っ張り出すと、司の手に押し付けた。 「マドレーヌ、題して宗教的抜け穴菓子だ」 「教会では嗜好品を禁じられているけどマドレーヌなら良いっていう教会があるんだっけ?」 「その通り、私はそういう欺瞞的なのが許せないから、宗教的抜け穴嗜好品は自分に禁じている。  相当量あるから、食べるといい。ユリィも喜ぶんじゃないかな」 「ディスエル、君は神様より神様じみた人だね」 「君に言われるとブーメランを連想するな」 ディスエルは呆れたように肩をすくめて、司の隣に立った。  そのまま、くるりと身体を回して、壁にもたれかかると、大きく伸びをする。  相変わらず、不健康そうな顔色だったが、こうしてみると、身体の曲線や顔の造形のバランスなど、全部が群を抜いているのが分かった。 司は、ディスエルが茶目っ気いっぱいに笑いかけてくるのを見て、胸がいっぱいになった。 思わず笑いを漏らすと、ディスエルが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。 「この私に向かって失笑とは、君も偉くなったな」 「僕は自分が偉くなったとは、生まれてから一度も思ったことがない」 「ふーん? 嘘の匂いがするな」 ディスエルは司に顔を近づけて、猫に似た切れ長の瞳でじろじろ観察して来た。  司は、顔を背けて、目を合わせまいとした。  なぜか、目を合わせたら心を読まれるような気がした。 司は、ディスエルの髪から、石鹸の匂いが漂ってくるのに気づいた。  柔らかくて、ふわふわした連想が身体を包んだ。 ディスエルに両頬をつかまれ、ぐいっと引っ張られたので、危うく首を脱臼するところだった。 司は「なに、なに? どうしたの?」と、ディスエルに抗議した。 「君は、本当に平井司か? 何だか気骨がなくなっているぞ」 「それは初耳だな」 「まあ、いい、私の知ったことではない」 ディスエルは司から手を離すと、また壁に寄りかかった。 「ちょっとだけ、相談に乗ってやろう、四百字以内で簡潔に今の心情を述べよ」 「……僕にだってプライドがある」 「ぷっ!」今度はディスエルが笑いを漏らした。 肩を大きく震わせるディスエルに、司は気を悪くして頰を掻いた。 「あっははは! 案外、単純なんだな君は。  自分にもプライドがあると言った時点で、自尊心が傷つくような出来事が近頃あったのは推理できる。  いや、推理ですらないな。  本当に、君も人間だな」 ディスエルは親しさのこもった声と、表情で司に語りかけた。 からかうような茶目っ気と、猫のような強かさが、同居しているのは少し嫌だったが。 備わった茶目っ気とか強かさが、よりディスエルを魅力的に見せるのは、きっと才能の証なのだろう。 ディスエルになら打ち明けてもいいかもしれない。 司はじっと、考えを巡らせた。 「ディスエルは、ユリィやヤクートとどうして仲良くなったの?」 結局出て来たのは当たり障りのない質問だ。 「うーん? 確か、食べ物をくれそうな気配がしたから、後ろをウロウロしていたんだ。  大体、放り出されるんだが、二人は放り出さなかった。きっと、私を恐れたんだろうな」 「違うと思うよ。二人とも、ディスエルの魂に惹かれたんだと思う」 「私の魂は、金剛石のごとき輝きをまとっているからな!」 ディスエルは、思いっきり胸を張った。 司は偉ぶるディスエルが愛おしかった。 「でも、もっと大きなきっかけってあったんだろ? 聴きたいな」 司は話題の転換を図った。 ディスエルは、ふむ、と顎に手を当てた。 「確か、三人で山に分け入っている時に、ユリィが足を滑らせてね、こともあろうに私の足を握ってしまったから、二人で真っ逆さまだった。  私たちを救出しに来た時のヤクートは、どこか動物じみていて、異質な感じがしたな」 顎から手を引き、腕を組むと、ディスエルはさらに思案を巡らせた。 「ともかく、それ以来、なんとなく一緒にいる頻度は多くなったかもしれないな。  まあ、私は飢え死にの心配がなければ奴らと一緒に過ごそうなどとは思いもしなかっただろう」 ディスエルは嫌悪感をにじませようと頑張っているようだが、親しみの方が何倍も大きく感じられた。 司はディスエルに抱きつきたいような衝動に駆られた。 「話してくれてありがとう、僕は図書館に行くから」 衝動をごまかすために司は壁から背中を離し、ディスエルから顔を背けた。 ディスエルに向かってひらひらと手を振り、司はその場を後にした。 ディスエルが退屈そうに欠伸をする気配がした。 司は、渡り廊下の窓を飛び越えて、図書館に向かう。 太陽の光が降り注ぐ。  どこか緑色じみた光が芝生に吸収されて、干し上がった布団のように暖かくなっていた。  空中には、もう一つの地球が浮かび、街の光が明滅して、所々に見える。 司は暖かい空気を吸い込んで、これからのことを考えた。 ディスエルと会話したおかげで、落ち着きを取り戻していた。 司のすべきことは、今は誰にも頼らないで今回の謎を解くこと。  そうすることでしか、ユリィを救うことはできない。  ユリィの不安も、焦りも、恐怖も、全部を解放するには司自身がそういった三つの感情と戦わなければならない。 司は、ひっそりとした校庭に、召喚師訓練の叫び声や、爆音が響くのを聞いて、ユリィの今の痛みに思いを馳せた。ユリィは今、苦しいはずだ、怖いはずだ。 今は一歩でも早く前に進まなければならない。 芝生の中に、石造りの道がある。  司は石造りの道を弾むように駆けた。  司は四角や丸、三角の捻じ曲がったような建物の隣を通り過ぎ、大きな門の前に立った。 力一杯に押し開けると、お化け雑巾が、いなかった。 代わりに、木の椅子が置いてあり女の子がちょこんと上に載っかっていた。 ラプ子だった。  ラプ子の前にはもう一脚の椅子があり、滑らかなカーブを描いたフレームやシックな色合いから、高いものだということが分かった。 ラプ子の前には机もあった。  机の上には、ティーポットと、銀色の液体が入ったボトル、カップが二つ、置いてあった。 ラプ子は司の方を見て、ちょっとだけ笑ったように見えたが、すぐに不機嫌そうに顔を背けた。 「献上品は持って来たようですね。  貰い物というのが気に入りませんが、まあ、いいでしょう。  ください」 「大事に食べてね」 「何を言っているんです。一瞬で食べるに決まっているでしょう」 ラプ子は司が差し出した紙袋を腕をぶるんと振って取り上げた。  一気に四個も鷲掴みにして、口に突っ込むとリスのように頬張った。 司は向かい側に座って、不機嫌そうにマドレーヌを食べるラプ子を観察した。  ラプ子は司からマドレーヌの袋を遠ざけると、さらに五つ、鷲掴みにして、もくもくと食べた。 ラプ子は猛烈なスピードでマドレーヌを食べきると、袋を裏返しにして、もう入っていないか確かめた。  お菓子のクズが、ぱらぱらと落ちるだけだった。 ラプ子は袋を大事そうに服の中にしまうと、満足そうにお腹をさすった。 「せっかくお腹が膨れたところで、新しい情報をくれる?」 司が提案すると、ラプ子は口をへの字に曲げた。 「この程度のお菓子で片腹痛い、と言いたいところですが、いいでしょう。今回は教えて差し上げますとも」 ラプ子はいつでもウェルカムといった調子で、身を乗り出した。 「ギアスを解くための呪文を、教えて欲しいんだ」 「……いいでしょう。  悠久よりいで十二に別れし其の力よ、再びここに戻りて新たに配り直さん。  赤き光、青き光、黄色き光、その十二の子供達よ。十二の身体に再び宿れ」 ラプ子は紙を取り出し、丁寧な字で書き記し始めた。 司はラプ子が描き終えた紙を大事にポケットにしまいこみ、「ありがとう」と声をかけた。 「礼を言われることではありません。  私はマドレーヌをもらいました。  取引は成立しているのだから、お互いの中にそれ以上のやり取りは必要ないと思います」 「僕がお礼を言いたいんだ。言わせてよ」 「ふんっ! まあ、いいでしょう。どういたしまして」 ラプ子は不機嫌そうに、銀色の液体をボトルのままこくこくと飲み始めた。 飲み終わったラプ子は、苦しそうに咳をした。  咳をし終えると、何事もなかったように虚空を見つめる。  司は、ラプ子から情報を手に入れるための方法を考えることにした。 「無駄ですよ。  今日の私は、これ以上は働きたくありません。  この机を持ってくるのも大変だったし、あなたが女の子に鼻を伸ばしている間を待つのも相当な重労働でした。  正直、これ以上働かせられるのはブラック企業です。  時間外労働、オフィス・ハラスメントです」 「オフィス・ハラスメントって……。それじゃあ、君はここに勤めてるの?」 「勤めてはいません。勝手に住み着いているだけですが?」 「じゃあ、オフィスじゃないじゃないか」 「うるさいですよ! これ以上に文句を言うなら、帰ってください! 帰れ帰れ!」 ラプ子は、司の足をぽかぽか蹴り始めた。司は痛さに耐えかねて、足を背けた。  ラプ子の足は空ぶって、机の裏側を強かに蹴りつけた。 「にゃっ!」ラプ子は変な声を上げて倒れこんだ。  おまけにダンゴムシのごとく地面に仰向けになって盛大にかぼちゃパンツを披露した。 司は、ラプ子に手を差し伸べた。 「だ、大丈夫?」 「ぺっ、自分で罠にかけたくせに、盗人猛々しいとはこのことです!」 「罠になんかかけてないよ! 君だったら分かるだろう?」 「ふんだ、馬鹿にして」 ラプ子はそっぽを向いて、いらだたしそうに水銀をまたごくごくと飲んだ。 腐食を止めるための水銀。 やはり、ラプ子はリビングデットであるようだ。 司はラプ子に、同情のような、畏敬の念のようなものを、感じていた。 「変な考えは起こさないでください。  私はなりたくて不死になったのです。  この世界の知識を全て手に入れるために、全知者、そして不死者になったのですから。  これくらいの代償、屁でもありませんよ」 ラプ子は、もう一度、椅子にお尻を載せて、水銀のボトルを机の上に置く。  飲んだくれのように机の上に突っ伏すと、ラプ子はぐるるるるーと腹を鳴らした。  今しがた、マドレーヌを食べまくった後にと思ったが、あれでは足りなかっただろうか。 司はポケットを探した。 ディスエルを誘惑したり、召喚獣を手懐けるために用意したお菓子がいくつかある。 司はポケットから干し肉と、ビスケットのふくろを二つ取り出すと、ラプ子に手渡した。  ラプ子は急いで引ったくって、口に投げ込む。ぱくぱくと、干し肉もビスケットも一緒くたにして噛み砕く。 司が驚いている間に、ラプ子はごくりと全て飲み込んだが途端にむせこんだ。 司は、あわてて水銀のボトルを手渡したが、よく考えると水銀は喉越しがいいとは言えなそうだ。 ラプ子は構わず、水銀で全てを流し込んだ。 問題なく飲み下したのか、ラプ子はまた満足げにお腹をさすった。 「ねえ、ラプ……君は、どうしてこんなところにいるの?」 「ここにいれば、全てを知ることができます。私は知らないことがこの世にあることが、気に入りません」 「それだけのこと? でも、ここにいて全知になるって……」 ホークも自分が書棚にいる間は、全知になると言っていた。  ラプ子もきっとそういう能力を持っている。そう考えれば、ラプ子という存在も納得できる。 「そういうことです。貴方が察しているようなことですよ」 ラプ子は胡散臭そうに肯定した。 「心が読まれちゃうのって、少し嫌だね」 「私は読みたくて読んでいるわけではありませんから」 心外そうに、ラプ子は口を尖らせた。  司はラプ子の機嫌を取るための方法を考えたが、すぐにやめた。  ラプ子が心を読んでいることを考慮すると、この思考も読まれているということだ。 「賢明な判断です」 ラプ子はぷっくり頰を膨らませて、合いの手を入れた。 「仏頂面しないでよ。悪かったってば」 司は、どうしたらいいか分からず、当たり障りのないことを言うだけだった。 ラプ子は、司の瞳をじっと見つめた。 「私は貴方のように、心と言動の落差が全然ない人間が嫌いです。  追い払えないからです。  貴方くらいです、私とこんなにしゃべることができた人間は。  ギネス記録を進呈致しましょう」 ラプ子は、水銀をとぽとぽコップに注いで司に渡した。 「僕、人間だから、水銀は飲めない」 「失礼、たまに飲んでくれる人がいるんです。案外と美味しそうに見えるみたいで」 「そうやって、人を追い払ったのかい」 「飲む方が悪いんです。こんなもの」 ラプ子は肩をすくめた。 「飲んでくれたら、他の質問に答えてもい……ああ! 本当に飲まないでください! 冗談ですから!」 ラプ子は水銀を飲み干そうとする司からコップを引ったくると自分でごくごくと飲み干し、他の水銀も一気に飲み干してしまった。 「全知の私でも、予想外のことをする男です。バカなのか、頭が良いのか全く持って分かりません」 ラプ子は引き気味に司から顔を背けると「分かりました」降参の意を示した。 「……分かりました。  では、もう一つだけ質問に答えましょう。へつらうようにお願いしてください。  そうすれば、どんな質問にも答えますとも」 「どうか、お願いします。僕に、スクロールの場所を教えていただけないでしょうか」 「随分、回りくどい情報をお求めなのですね、まあ、いいでしょう。  私の頭脳には、もちろんその情報もあります。どれどれ」 ラプ子は、くるりとその場で一回転して、本を一冊だけ棚から取り出した。しばらく、じっと黙読していたが、パッと目を開けた。 「ウリエル学長のお部屋です。  教員宿舎の一番に大きな洋館の最深部に置いてあるようですね。  ……サービス情報ですが、この屋敷には無数のトラップとウリエル学長自身の目が光っています。諦めた方がいいかと」 ラプ子は期待感をあらわにした表情で司をちらりと見た。  見た瞬間、ラプ子の顔からは、期待がさっと消えていった。  また、ふくれっ面をし始めたラプ子を見る限り、どうやら司は随分と頑固な表情をしていたらしい。 「地球が裏返ったって、諦めないよ」 「まあ、質問するまでもないことでした。私の全知が告げていたのに、無用な情報を与えてしまいました……」 「残念だったね。ねえ、どんなトラップが仕掛けてあるの?」 「ふふん、それはですね……おっと、危ない危ない。これ以上の情報が欲しければ、お菓子をたくさんもってくることです! 今度はブランド品でないとダメですよ! さっさと帰ってください! 帰れ帰れ!」 ラプ子はボロ雑巾をどこからか取り出して、司に投げつけた。司はべちゃりと頭についたボロ雑巾を取って、机の上に置く。 今日は十分、収穫があった。 司は結論づけ、立ち上がる。 「ありがとう、君。助かったよ。また明日も来るから」 「迷惑極まりないですが、いいでしょう。とにかく、今日は帰ってください」 ラプ子は、入り口を指差した。 司は手を振りつつ、扉を開いて帰ることにした。 見上げると、太陽が随分と高いところに昇っていた。 ペンダントを見下ろすと、昼の十二時を指していた。 司は急いで闘技場に向かった。芝生が足を押し返すから、あまり速く走れないのが少しだけ嫌だった。 闘技場に接近すると、ちょうどユリィが出てくるところだった。 司が右手を上げて、微笑むと、ユリィも微笑みを返したが、顔色が優れなかった。 「平井君、私、寮に帰って眠るから」 背中を丸めながら踵を返しとぼとぼと帰るユリィに、司はそれ以上、言葉をかけることができなかった。  司はゆっくりと、ユリィの方へと歩いた。途中で倒れたりしないかだけが心配だった。 ユリィは隣を歩く司を見上げて、笑ったが作り笑いだとすぐに分かった。 司とユリィは一言も言葉を交わさないまま、寮に戻った。
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