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10
お昼ご飯は一人で食べたし、昼以降も一人で読書をするだけだった。
今まで、ずっと一緒だったから、司は急に一人の時に戻ったような気分だった。
初めての友達が、それぞれの岐路に入って、ばらばらになってしまった。
悪いことではないけれど、どうしようもなく一人が寂しかった。
孤独なんて、十二年間の一度も感じたことがなかったことを司は今更ながら思い知った。
一人でない経験を知ったから、もう一度でも、一人になるのは、どうしようもなく怖い。
司は、ブレスレットを見上げた。
光にかざすと、銀色の装飾が緩やかに明滅した。
こんなに一瞬でも会えないのが、たまらなく寂しかった。
ヤクートは男友達だったから、結構夜中まで部屋に残って馬鹿な話をしたりもした。
司は、ベッドに倒れこんで虚空を見つめた。
本の山の隣に、双眼鏡のようなものが置いてあった。
街に行った時に、司が興味を持った品、透視鏡が置いてある。
結局、一度も使ったことがなかったものだが、司は指で望遠鏡のような器具を探り当てて、目に付けた。
司が望むものは、幸せに暮らす家族だ。
夏休みだということもあって、虚数世界の人々は街を楽しそうに歩いていた。
父母に手を握られて、楽しそうに歩く女の子。父親に背負われて、街を物珍しそうに見る幼児。
その他にもたくさん。
こんなに楽しそうな瞬間を、司は生まれてから一度も味わったことはなかった。
これからも、味わうことはない。
母親に会いたい。
どこかにいる母親を見たい。
父親に会いたい。
どこかにいる父親を見たい。
司は必死で目を閉じ、見るものを念じた。
変わらない空間があるだけだった。
司が落胆のあまり、唇を噛み締めていると、綺麗な女性の顔がこちらを覗いているのに気づいた。心の底から仰天して、透視鏡を放り出してしまった。
女性は現実にそこにいた。
「司、久しぶりじゃのう、元気じゃったか?」
ディアだった。
いつの間にか、ディアが部屋に入り込んできたのだと気づいた。
「ディア、自分の世界の統治はどうしたの?」
「せっかく会いに来たというのに、仕事の話か」
ディアは不満げに、司の横に腰掛けると、司の頭をつかんで膝の上に載せた。
「妾はお前をそんな風な子に育てた覚えはない」
「ディアに育てられた時なんてないよ」
「何を言うておる、この大地に生きるものすべては、妾の子じゃ」
「ここは、貴女の大地じゃない」
司は頑なに顔を上げようとしたが、ディアは想像以上の力で司の顔を押さえつけていた。
「……大地は、つながっておる」
ディアは悲しげに呟いた。
「そんなの言いがかりみたいなものだ」
「反抗期、ということかな、不敬は許すぞ、平井司」
ディアは艶やかな唇を司の耳に近づけて、そよ風のような声で語りかけてくる。
司はディアの柔らかな膝枕に、急に眠気を感じ始めた。司は、眠気から必死に自分を守りながら、考えた。
ディアはなぜ、自分にコンタクトを取ってきたのか。
「僕みたいな子供じゃなくて、もっと手のかからない素直な子供に構ってあげたらいいんじゃないかな」
「ふふふ、司は優しいの。ユリィのことか?」
「分かっているなら、早く行ってあげてほしい。ユリィは、今、傷ついているから」
「お主は傷ついていないとでもいうのか?
お主は今までもそうだったじゃろう? 自分より他人を助けることがとても大事で、自分を顧みようとしなかった。
自分は傷ついていないと思っているのか?」
ディアは司の顔をぐるりと回し、青い瞳で射すくめた。
「分かったのだろう?
一人であることがどんなに辛いか。
自分の心がどんなに傷ついていたのか。
分かったのであろう?
それでもまだ、他人のことを考えるのか?」
司は頑固に顔を背けて、ぎゅっと目を閉じた。
「うるさい、うるさい、僕は寝るんだ! 出て行ってくれ! ノックもしないで入ってくるなって言ったじゃないか!」
「言われてない」
「今、言ったことになったの!」
司は布団を被って、ディアに向かってしっしと手を振った。
こんなに反抗的な気分になったのは初めてだった。
「机の上をこんなに散らかして、ここだけ片付けてから行くからの」
「余計なことしないでください。僕が片付けるから」
「そんなこと言って、ずっとこのままなのが、目に見えておるの」
「今日、片付けるから」
「分かった分かった。今回だけは妾が片付ける」
司はもう、反抗する力も残っていなかった。
司は目を閉じ、もうどうにでもなれと思いながら、眠り込んだ。
11
「まざこん、まざこん、まざまざこんこん、まざまざこん♪」
次の日、図書館に訪れると、ラプ子は盛大なソロコーラスで出迎えてくれた。
司は、ラプ子に負けず劣らずの仏頂面をしているであろう表情で、ラプ子の歌を聴いていた。
「平井司はまざこん、まざまざこん♪」
「やめてよ。本当に……」
司は、疲れ切ってしまって、肩から力を抜いた。
「三番まであるので最後まで聞いてください」
「人をからかいたい一心で、歌を三番まで考えられるのってすごいと思うな」
「昨日は、平井司にとっての厄日だったようですね。
でも、母親に会うのは前からの願いだったのですから、甘えればよかったじゃないですか」
「本当の母親じゃない、そうだろう?」
「遺伝的には、そうですね」
「遺伝的ってどういうこと?」
司はラプ子の謎めいた言い回しに、思わず眉根を寄せた。
「分かりませんが、あなたとディアさんには、何か大きなつながりがあります」
「君、全知なんだろう?」
「私の全知は、並行世界には及びません。
ですから、ディアさんがどういう人間か、どういう能力を持っているのか、というのを直接知ることは出来ないのです。
直接に見て、触って、撫で回したりすれば、分かると思いますけどね」
「撫で回す必要があるの?」
「冗談です」
ラプ子はあっけらかんと言い放つ。
今日の司からの献上品、ロールケーキをもしゃもしゃとまるごと一本も食べるところだった。
「さて、知りたいのはなんのことですか?」
「例えば、ウリエル学長の部屋に押し入るとして、どんなものを持っていけばいいかな?」
「……ディスエルという学生の協力は不可欠だと思われます」
「……ディスエルは、ウリエル学長を恐れている。無理だよ」
「私がディスエルという学生のことに言及したということは、私の知る未来では、あなたとディスエルがウリエル学長の部屋に入り込んで、スクロールを盗み出した、ということかもしれないのです。
お分かりですか?」
喋りすぎたと思ったのか、ラプ子は水銀をこくりと飲んで口直しをした。
「気づきもしなかったよ。君は、本当になんでも知ってるんだね」
「ふん、ところで、いいのですか? 聖戦が始まるのは三日後ですよ」
「気づいてはいなかったけど、そんな気はしていた。
大丈夫、明日には、ディスエルを説得する。そして、スクロールを必ず盗み出す」
「いい覚悟です。二対八で死ぬ可能性が高いですが、頑張ってください」
ラプ子はまた水銀を飲み干した。
「あなたが持ってきたロールケーキは三本。
あと二つだけ、ディスエルを説得するための材料を与えましょう」
ちょっとだけ恩着せがましく言いながら、ラプ子は本棚から本を取り出した。
「いいですか、よく聞いてください。
ディスエルはカードゲームで賭博をしています。
今日か明日、街の賭博場に顔を出して、カードゲームをするでしょう。
そこで、貴方はディスエルに勝たなければなりません」
さらに、ラプ子はじっと考えを巡らせるように、あたりを見渡した。
「ディスエルの心の恐怖を取り除く言葉を探すのです。
それができれば確実に心は開くでしょう」
「言葉そのものは教えてくれないわけ?」
「言わせたいのであれば、値千金に達するお菓子を持ってくることです」
「……欲張りだよね、君は。じゃあ、今日は帰る。ディスエルを探すことにする」
「賢明です」
司が立ち上がると、ラプ子も立ち上がりかけたが、すぐに座った。
司が不思議に思ってラプ子の方を見ると、顔を隠すように本を頭に被せていた。
「また来るよ」
「ええ、また来てください」
ラプ子が、なんとなく色よい返事を返してくれたことに、司は少なからず感激した。
12
神話魔法の塔に行くために、司は石造りの道を走っていた。
ちょうど、そこに通りかかったのは、訓練の終わったユリィだった。
ユリィは司を見つけると、元気付いたように笑って、近寄ってきた。
司も笑みを返した。
「平井君、わた……」
「ディスエルを知らない? 探しているんだ!」
「知らない。あのね、平井君、私、実は……」
「ディスエルを、見つけないと! ディスエルが必要なんだ!」
息も切れ切れになりながら、司はディスエルを探してあたりを見渡し続けた。
「平井君、私、ずっと訓練だったんだよ? ディスエルの居場所なんて知るはずないじゃない!」
ユリィは剣呑な表情で、司を睨みつけた。
司は、何がユリィを傷つけたのか考えようとしたが、そんな暇もなかった。
とにかく、ディスエルを探さなくてはならない。
「ああ、確かにそうだよね。でも、一応……知ってるかもって」
「ディスエルのことなんて知らない! もういい、私、行くから」
ユリィは司の胸をぽかりと殴って、星座魔法寮に行ってしまった。
司は、しばらく立ち尽くした。
どうすればよかったのだろうかと、司は立ち止まって考えた。
ユリィはどうして怒ってしまったのかすらもよく分からない。司は頭に手を置いて、その場にへたり込んだ。
「何も上手くいかない……」
司は、ぺたりと地面にひっくり返り、もう一つの地球を見た。
「ディスエルを追うべき?」
司はペンダントに尋ねた。
ペンダントの中の自分は、そうするべきだと答えた。
「でも、ユリィは?」
放っておくべきだと、ペンダントの中の自分は再び答えた。
本当に正しい道が、ディスエルを探す道だと、司はよく分かっていた。
司は考えていても始まらないと、ユリィが駆けて行ってしまった方に向かうことにした。
が、司はまたひっくり返った。
「あの子に、ちょっかいかけるなって言っただろうが、耳がないのかいあんたは?」
エリナの逆さになった顔が見えた。
「殴ることないでしょう? エリナ先輩」
「殴るに十分値するね。イスフィール家の令嬢にちょっかいをかけたんだから」
司は、立ち上がりエリナと向かい合った。
エリナの身体中には生傷があった。
「大丈夫ですか?」
司は社交辞令的に気遣うことにした。
「この程度は屁でもないね。あたしゃ鍛え方が違うんだよ」
「そうですか。じゃあ、僕は寮に戻るので」
司はできるだけ早く会話を打ち切って、ユリィを追いかけようとした。
「待ちな」エリナは、司を振り返って笑った。「ユリィがちょっとだけ戦う気になってくれたのは、あんたのおかげだろう? それだけは感謝しておく」肩の上に手を乗せて、司を牽制するように、エリナは星座魔法の寮に向かって行った。
司は、エリナに気づかれないようにユリィに近づくのは至難の業だと認めざるを得なかった。
つまり、可能性はほとんどなしだ。となれば、ディスエルを探す方が、楽だということになるが、神話魔法の塔にも、見張りはいる。
司は、ヤクートを探す道を考えたが、ヤクートと合流することに大きな意味があるとは思えなかった。
司は時間魔法の寮に戻ることに決めた。
そこで、一度ばかり作戦を練り直そうというつもりだった。
お昼ご飯も食べていなかったから、空腹で頭がくらくらした。
太陽から降り注ぐ光が、思った以上に体力を奪った。
司はゆらゆらと時間魔法の寮に戻って行った。
13
司は、ベッドに体をしずめながら、天井をじっと見つめた。
ラプ子は、言っていた。
今日か明日の夜、ディスエルは街のカード賭博場に現れると。
そこで、ディスエルにカード勝負をして勝たなければならない。ディスエルの恐怖を解く優しい言葉をかけなければならない。
司には、二つの課題が残っている。
ディスエルが前にやっていたカードゲームは、呪術者になりきって戦うゲームだ。
そもそも、そのゲームに触れなければ、ディスエルに勝てるわけもない。
ユリィのへそを曲げてしまったのは、大きな痛手だった。
ユリィは、きっとゲームに付き合ってくれただろう、ディスエルに匹敵するような能力は持たないだろうが、少なくともルールは教われたはず。
ここは、ヤクートを探すべきだとも思ったが、今、ヤクートはきっと何か大きな試練に向かっているのだと思う。
そうなれば、一人でルールを覚えるしかないが……。
司がカードゲームが欲しい。
と念じた瞬間、空中から、ぽとりとカードが数十枚、プラスチックの版が一枚、ハンドブックが一冊落ちてきた。
司は鼻を強かに打って、涙目になりながらも、ハンドブックとカードを取り上げた。
「そっか、別に、あの三人じゃなくてもいいんだ!」
司は、勢いよく起き上がり、ゲーム一式を抱えると、再び図書館に向かうことにした。
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