序章 クロノス・カタストロフィ

43/51

46人が本棚に入れています
本棚に追加
/51ページ
ぼんやりとした夢を見た。 太陽が目の前に呼び出されたような光が、網膜を焼く。熱気が、肌をぴりぴりと這い回り、喉がからからに乾き、代わりに皮膚は汗だくになった。 私は、暑さに転げまわりながら、教会の椅子の下に隠れた。 神様、助けてください。 どうか、助けてください! 私は、耳を塞ぎ、友達の慟哭や、叫喚を聞かないようにした。ただただ、神様に祈った。神父はいつも神様に祈ればすべては解決すると言っていた。 祈っていれば、空から女神さまが降ってくる。 そうして、教会を闊歩する太陽の化身を消し去ってくれるはずだ。 考える間にも、炎は燃え広がっていく。 私が望んだ瞬間は、いつまでも、いつまでも訪れてくれはしなかった。灼熱の吐息によって、空間は歪み、陽炎が教会全体を包み込んでいた。 私の目の前に、ぽとりとなにかが落ちた。ミイラのように干からびきった猛々しく燃える誰かの腕。私は叫び声をあげそうになるのを必死でこらえた。 生きていける希望は、ただ、声を出さず、ここで隠れ続けることだけだ。 かつ、かつ、かつ。 太陽の化身が放つ足音が、咽喉を揺らした。 ディスエルは瞳から、うるうると涙が溢れるのを感じながらも、ひたすら耐え続けた。 「ふん、小ネズミの数が足りねえような気がしますけど、まあ、大した問題じゃありませんかねえ!」 嘲りの声。 世界の全てを煙に巻くような欺瞞に溢れた声だ。怜悧な声の響きに私は怒りや憎しみ、それ以上に恐怖を深く深く、刻み付けられた。 怒りを矛として立ち上がることは私にはできなかった。 憎しみを糧として噛み付くことが私にはできかなかった。 恐怖は、私を容易に縛った。 勝てるわけがない。どんな存在でも、どんな魔道士が立ちふさがっても。きっと、負けるはずがない。 太陽の化身は、名の通り、太陽の化身。身体から発する灼熱の炎に、溶かせないものも、消し飛ばせないものもない。 こうして、側にいるだけでも、死んでしまうほど辛いのに。立ち向かうなんて馬鹿げている。 私は気づいた。 地面にぽとりと落ちた腕は大親友の腕だった。 無くなってしまった。見る間もなく、無くなってしまった。 「ごめんなさい。ごめんなさい」 私は、低い声で繰り返した。 届くはずもなかった。 太陽の化身は、死体を蹴りつけて、教会を出て行った。 私は、ずっとすすり泣いていた。 それ以降の記憶は私にはない。 16 司は目を開けた。 ブレスレットをしてから、夢を見たことはないはずなのに、なぜ、今になってディスエルの夢を見たのだろうか。 司は、オレンジ色のランプの光をぼうっと見つめた後、あたりに視線を配った。飲んだくれの男たちが、机にもたれかかって、ぐうぐういびきを掻いていた。 司は、マスターがいつの間にか置いてくれたお冷やを手にとって、飲み干した。 「もうすぐ、あのお嬢さんが来ますよ。お客さん」 マスターはカウンター越しに、司を見つめた。横目で流し見るようにマスターは司を透かして、入り口を見つめた。 司は、じっと入り口に視線を向けた。 マスターの言う通り、ドアは数秒となく開いた。 入ってきたのは、ディスエルで、かなりの仏頂面を披露していた。 司は、あえて微笑みを浮かべることでディスエルの不機嫌に対抗した。 効果覿面だったのか、眉毛が殆どくっつく程にディスエルの眉間に皺が寄った。 「君は、まさか……」 ディスエルは司の顔を疑り深げに見て、何かを言いかけた。 「今日も戦うのか? 明日、ユリィは聖戦に出る。一緒にいてやらなくてもいいのか?」 「今は、ディスエルの手助けが必要だ。ウリエル学長の宿舎に忍び込まなくちゃならないんだ。それには、君の手助けがいる」 「……なぜ、私だ? 君一人でも十分に勝算はあると思うが」 「心にもないことは言わないで。君は、そんなこと思っちゃいないんだろう?」 「ああ、君は確実に殺される!」 ディスエルの声は震えた。 男たちが起きていなかったら、泣きじゃくっていたのかもしれない。  ディスエルの顔は青白かったし、唇は薄ピンク色で、決して血色がいいとは言えなかった。もともと、健康的な顔色はしていなかったが、ずっと悪くなっていた。 「僕が死ぬのは怖いかい?」 「……はっ! 君のことなど、私はそんなに気にしてはいないぞ、平井司。君が死のうが喚こうが、知ったこっちゃない!」 「ユリィやヤクートが傷つくのも怖いんだろう?」 「あんなガキども、私の認知するところではない」 「ディスエルってさ……」 司はお酒を飲んだようにピンク色がさしたディスエルの顔を見て、微笑んだ。 「意外と嘘が下手だよね。気づいていた?」 「初耳だ。侮辱は許さんぞ、平井司」 「人が嫌いだって嘘を吐くのが下手。そう評価して、なんで侮辱になるのかな?」 「私は、嘘なんて吐いていない。人間が嫌いでたまらないんだ」 ディスエルはくしゃくしゃと艶やかな黒髪を掻きむしった。 「ディスエル、勝負しよう。僕は、絶対に勝てない君と言う存在との力の差を、この場でひっくり返してみせる」 「そんなことができたら! できるものなら! やってみるがいい!」 怒りのあまり、カードが曲がるほど握りしめながら、ディスエルは椅子に座った。  司とディスエルは向かい合い、カードを手に取った。 「無理をひっくり返す? 簡単に言ってくれる! 君が、ひっくり返す力を持つと言うなら、なんで、あの時、現れてくれなかったんだ? ウリエルを倒せとは言わない。  なんで、側にいて、大丈夫だよって、そんな簡単な言葉をかけてくれなかったんだ⁉︎」 ディスエルは顔を覆って、机に拳を叩きつけた。 「それが、君が神様に願った唯一の願いだったんだ?  そんなことも叶えてくれなかった神様を、君はどうしても信じられなくなった。だから、神話魔法が使えなくなってしまった」 「使えないんじゃない。意地でも使ってたまるかと決意したんだ!」 「君がそうしたいなら、ずっとそうするといい。僕はそれでも君の友達だ」 司は言い放ち、風を切るような素早さでカードを盤面に置いた。ディスエルは怒りに震える手で、カードを置いた。ディスエルの心が掻き乱されているのが、司には分かった。 司はゆっくりと、カードを置いた。 ディスエルはハイターンのカードに手を置いた。 お互いに、カードをめくる。 どちらも、赤のカード。 八点のライフが、お互いに削られた。ディスエルらしくない試合運びだった。相手をいなすような冷静さがなく、直情的に攻めてくる。 対して司は冷静だった。 精神的に片方は焦り、片方は落ち着いている。これだけの差があってもなお、二人の実力は拮抗していた。司にも、油断は許されない。 こくりと喉を鳴らし、六枚目のカードをお互いにめくった。 司のライフが三、ディスエルのライフは二。 次の手を決められるか、どうかで決まる。 「私が出すのは、この紫のカードだ」 ディスエルはわざわざ、カードを予告した上で、盤面に置いた。 「紫のカードの効果は、次に君が出すカードの色を当てる。  当たれば、三点のダメージを相手に与えるというものだ。君に残されたカードは赤二枚と白一枚。  君は、このターン、赤を出せば、私にチェックメイトだ。赤か、白か? それで決まる」 ディスエルは表のまま、紫のカードを置いた。 司も表のまま、赤のカードを置いた。 「では、二分の一だ。選べ」 ディスエルは次のターンのカードを置き、司に命じた。 「君の勝負所での勘の冴えは、瞬間的に全知を発動した結果だ。けれど、君の全知は不完全で、人が認識していないものは認識できない。つまり、僕が選ぶのではなく、神様が選ぶのならば、認識できないんだ」 司は二枚のカードをシャッフルして、目を閉じ、何度も何度も、分からなくなるまで入れ替え続けた。 司は、カードを置く。 ディスエルは泡を食ったような顔をしていた。 ディスエルも、カードを置く。 ディスエルが置くカードは青だと考えられる。司が赤を出したとしても、そうすれば一ターン、生き延びることができる。 「私は、白を選択する」 「……オープン」 司はゆっくりとカードを表替えした。 「赤、だ」 司は心臓の高鳴りが脳をガンガン揺らすような気分に晒されながら、驚きに染まるディスエルの顔を見上げた。 「僕の勝ちだ。ディスエル! 神様は君を二度も裏切った。でも、僕は君を裏切らない。僕はウリエルに殺されたりしない。  君も守ってみせる。だから、僕を信じてくれ! 僕と一緒に、大事な友達を助けよう!」 「本当に? 本当に、死なないでくれるの? 守ってくれるの?」 ディスエルは子供のように尋ねた。 大きな瞳から、涙を雫のようにいくつも落としながら、ディスエルは司の右手を取った。 「死なない、守ってみせる!」 司は、強くうなずいた。体全の体からほとばしる力を全部、ディスエルへと伝わるように、うなずいた。 「ふふっ」ディスエルは、何もかも理解したように和らいだ表情を見せる。 「君はおかしな奴だなあ!」 ディスエルは、司の手を強く握りしめ、立ち上がった。 「私を裏切ったら…………ひどいぞ?」 長い沈黙の後に放り出した言葉は、ずいぶんと可愛げに満ちていた。 酷い仕打ちを色々と思い巡らせたのだろう。ディスエルならいくらでも思いついただろう。  言えないということは、酷い仕打ちを表す言葉がふさわしくないと思ったのか。  それとも司に対して、優しさを向けるべきだと考えたのか。 どちらにせよ、ディスエルの変化が司には、とても嬉しかった。 「裏切ったら、蜂の巣にしてやる」 ディスエルは、司の思考を鋭敏に感じ取ったのか、いらないことを付け加えた。 「そうしてくれて構わないよ」 司はディスエルの手を強く握り返した。 「スクロール奪還、共同作戦だ!」 どちらともなく手を離し、拳と拳を合わせると、二人は入り口に向かって歩き出した。 「またのご来店を」 マスターが気だるげな声で二人を送り出してくれた。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

46人が本棚に入れています
本棚に追加