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ホークは気づかない。
あごひげを撫ながら、本棚と本棚の間を進んで、一番奥で足を止める。
本棚が三方向をかこんで、行き止まりになっている。収められている本は、外国語の難しい本ばかりだった。
ホークだったら読むのかもしれないと、なんとなく納得しかけて、目を疑った。
ホークが本を引き抜き、その奥にある何かをくるりと回すと。、本棚が左右に開いた。
その奥も、膨大な書庫になっているようだった。五角柱の形の書庫である、というのだけはわかった。
こっそり、ホークの後ろをつけながら、覗き込むと、かなりの高さであることに気づいた。
おかしい、図書館の天井の高さの三倍はある。いや、四倍かもしれない。
とにかく、高層ビルのようにそびえ立っている。
本のほとんどには、金色の文字で、知らない言語が描かれている。
炎のような装飾がされている文字、水のように照り返る文字、雷のように迸る文字、雪のように美しい文字、光のように輝く文字、闇のような漆黒の文字。
司はその全ての本に深く惹きつけられて、ホークが入ってから、すぐに中に忍び込んでしまった。
ホークは気づく様子もない。
司は息をひそめながら、ホークの動向をみまもった。さすがに、なんの了承も得ずによくわからない本を借りるのは気がひける。
それに、少なくとも、本にはラベルがついていないから、貸し出しができる本ではないのだろう。
司が思案していると、
「ホーク、教職にもどるつもりは本当にないのですか?」
司は心臓がひっくり返るほど驚きながら、背後を見た。
魔法使いを絵に描いたような姿の老女が立っていた。
いや、老女というには若すぎるかもしれない。
けれど、二百年間は生きているような不思議な印象を思い起こさせる女性だと思った。
「ラビニアか、また忍び込んだのか。ここには来ないようにと言っているはずだが?」
ホークの声には、司に話しかけた時にはなかった刺々しさがあった。
そのせいか妙に陰って聞こえた。
「教職はわしには向かないよ。私は、本に囲まれているだけで結構だ、うん、結構」
「教職のことだけではありません、外敵が迫っているかもしれないのですよ」
「だから、わしはここにいる。無用なトラブルを起こさんためにな!」
「まあ! それはどういうことですか?」
ラビニアは少し大げさに驚きの声を上げたように司には感じたが、すぐに勘違いだとわかった。
ラビニアは本当に驚いているようだった。
ホークはラビニアを軽く睨め付けた後、何も言わずに書庫の真ん中にある椅子に座り込んだ。
「どういうこと、かは言えんな」
「そうですか、まあ……いいでしょう」
ラビニアは好奇心を必死で抑えているようだった。
「とにかく、このまま多くの、最古のしかも、最強の魔道書と共に、あなたという最高の魔道師メーカーが死を共にするのは、世界にとってどんな損失か」
「逆じゃ、わしもこの本たちも無いほうがいいんじゃ。
うん、そのほうがいい。それに、魔道師メーカーという呼び方も気に入らん」
魔道師だって? 魔道書だって?
司は、その魅力的な言葉に心臓が高鳴るのを感じた。
なら、もしかして、クロノスは存在するのかもしれない。
想像上の存在じゃなく、魔道師の世界にいるのかもしれない。
さっき、学校と言っていたし、クロノスは学校で勉強をして魔道師の王様になったのかもしれない。
「いいか、外敵がなんであれ、この書庫にある本より危険ということはあり得ない」
「それは、実際にぶつけてみなければ分からないのでは?」
「実際にぶつけるのがいかに危険か分からないというのか?」
「わかりました、ホーク。いいでしょう。また来ます」
「教職にはつかない、ここにある本の一冊も提供はしない! いいな!」
「気が変わることを祈ってますよ」
ラビニアはつっけんどんに踵を返して、本棚をこじ開けた。
一度振り返り、頭を軽く下げた後、苛だたしそうにその場を後にした。
ホークはしばらく、ラビニアがまだいることを勘ぐって睨みつけるようにしていたが、急に子供のようにニヤッと笑った。
「司、君は好奇心の強い子だなあ」
司は心の底から仰天して、飛び上がった。
驚いた拍子に本棚にぶつかり、どさどさと古書が降ってくる。
司は謝りながら、本を元に戻そうとしたが、ホークが指を振るだけで、本は元に戻っていった。
落ちた本の一冊に、見覚えがあるような気がして、司はしばらく考えた。どこで見ただろうか?
一度も見たことのないはずの文字だが、何かの歴史年表というタイトルらしいことがわかった。
ホークは慌てて本を隠すようにすると、司を振り返った。
「会うのは二度目だな、司」
「あの、なんで僕が分かったんですか?」
「わしは、半全知だからだ」
「半全知?」
「一定の条件下にいる限り、わしはこの世界の全てのことを予見できる。
といっても、この世界の全てというのは、この書庫に限ってだ。
君がいることは当然、この書庫に入った時点に分かったわけだ」
「半分、全知って、すごい!」
「ぜーんぜん、すごくないぞ!
うん、すごくはない。
わしは、本当の全知の存在を知っている。その人物に比べれば、わしなんぞ月とスッポンのスッポン。
雲泥の泥だ。
まこと、彼は優れた魔道師だった、うん、優秀だった」
ホークは懐かしそうに視線を巡らせた。
「さて、司、君はどうやら十二年も友達も家族も知らずに生きてきたようだね。
その境遇に、わしは正直かなり同情を寄せている。うん、寄せている。
いや、同情というのは上から目線だな、なんというか、そのー、うん、ひどく、ひどく、うん」
ホークは言葉を必死で選んでいるようだった。
「大丈夫です。同情を寄せてくれた人だって、初めてですから。嬉しい」
司が内心の正直な感情を吐露すると、ホークは涙ぐんだように見えた。
「とにかく! まあ、わしは家族にはなれんが、誠実な友くらいにはなれるよ。
それに、同情以上に、君をひどく尊敬しとるんだよわしは」
「尊敬? 僕、ホークさんみたいにすごいことをしたわけじゃないよ」
「いいかい、司。結果を残す、というのも確かに大切だが、例えむだと分かっても、心が正しいと思ったこと、誰が見ても正しいことをしようとした、君の姿勢はわしの何千倍も雄々しい! うん、何千倍もだ」
「そうかなあ、なんの意味もないことを繰り返しているだけだけど」
「なんの意味もないかは、この後、何年も生きんとわからないものだよ。ああ、悪い悪い、座りなさい。お茶とお菓子がある」
ホークは慌てて、話を打ちきって、机を指差した。
司はようやく、書庫以外のものに気づいた。四角い机の上に、タイプライターのようなものが乗っていて、知らない文字の列を吐き出し続けている。
机の横には、瞬間湯沸かし器と、お菓子の箱が置いてあった。
司は勧められるまま、ホークの向かい側の机に座り込んだ。
「なんと、甘いお菓子を食べたことがないのか?」
司はホークの言葉にぎょっとしたが、すぐに半全知のことを思い出した。
「はい、月々六千円、僕の口座に誰かがいれてくれるんですけど、それだと、一日に一回か二回、パンやおにぎりを食べるのがせいぜいでしょう?
お菓子なんて買ってる余裕がなくて」
「さもありなんだな。愚問だった。
すると、腹一杯食べたこともないんだな。うん、ないようだ」
「はい、もっと小さい頃は、おにぎり二個で満腹だったんですけどね。最近、物足りなくなってきました」
「それは、いかん、実にいかん! 私の全知が教えるところによると、君がこのままの生活を続けると、二十代半ばで命を落とす確率が高いようだ」
これには、あまり驚かなかった。
残念ではあったが、たしかにそんな気はしていたのだから。
「司、定期的にここに来なさい。
わしには料理くらいは振る舞う甲斐性はあるからな。
それがいい、うん、それがいい」
「ホークさん」
「ホークでいい。わしなんか、丁寧に呼ばれる価値もない男だ」
「で、でも、じゃあ……ホーク。僕のお父さんとお母さんがどこにいるか分かる?」
司は自分の瞳が期待に潤んでいるのを感じながら尋ねた。心臓はとくとくと高鳴っている。
「わしには、言えんな」
ホークは恐れていたことがそのまま起こったというような表情をしていた。
「どうして? わかるんだよね? 半全知で、ここにいれば、僕の母さんがだれか?」
「世の中には、知らない方がいいこともあるんだ」
「なんで、自分の母親の正体を知らない方がいいって言うの?」
「時が来たら教えるとも、まだ、その時ではないと言うことだよ。
なあに、うん、それだけのことだとも」
ホークは屈託無く笑って、司の肩を軽く叩いた。
「ホーク、でも、わかるんだね? 僕には、母親がいるんだね?」
「いるかどうか、だと?
君はどうしてそんなことを聞くんだね?
そりゃあ、人間は母親から生まれてくるのであって、お父さんが一人で頑張ったって赤ん坊を生むことはできんし、逆もまたしかりだ」
「僕、時々夢を見るんだ。黒い穴から、僕が作られる夢」
「司、それは、ただの夢だよ。君にはお母さんがいる、うけあうとも。うん、うけあうともうけあうとも」
ホークはそれ以上の追及をかわすように机の下に潜り込んだ。
何をしているのかと覗き込むと、机の下には地下室が広がっていた。
立派な厨房とリビングがあった。
「何が食べたい?」
ホークはにこにこ笑いながら訪ねた。
司は即答した。
「カレーライス!」
ホークは了承の頷きを返し、厨房の冷蔵庫を開けた。
「ガラムマサラ、チャックマサラ、シャンバリーレ、唐辛子、クチナシ、ええと、魚ベースと肉ベース、野菜ベースと、どれがいいかね?」
「ご、ごめん。何を行っているのか分からないな」
「ああ、そうか、君が想像しているのは、カレールーとかいうブロック状の塊を使う様式のことか、ふむ、あれは少し退屈だが、便利ではあるな。
だが、今は持ち合わせがない、私のオリジナルブレンドで我慢してくれたまえ」
「うん、任せるよ」
司は、待っている間に本を手に取ろうと書庫に目を向けた。
「本に触っちゃいかんぞ!」
だが、その前にホークが釘を刺した。
司は自制心を働かせるのにかなりの苦労を払った。
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