序章 クロノス・カタストロフィ

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1 「ウリエル、事ここに至っては、私の最強の魔術を見せる他はあるまい」 静かな声が聞こえた。 静寂を切り裂くような、鋭い声だ。 閃光と共に現れたのはホークだった。 白いローブをはためかせ、山高帽を目深に被っている。右手には杖を持ち、悠然と立っていた。 司は辺りを見渡した。ホークの書庫だ。 司が一ヶ月を過ごした懐かしい場所だ。 最初に来た時から、何も変わらず、すっきりと整理されていた。 ウリエルが、突然の景色の豹変に戸惑っている間に、ホークは司に歩み寄った。 「王よ。安心いたしましたぞ。しばらくお待ちくだされ。あの不届き者は、私が処断いたしますので」 「ホーク、説明してほしい。この状況と、この状態を」 「失礼。状況が呑み込めませんかな。書庫に移動した現象の正体は、私の魔法です。ウリエルと貴方様、私だけを書庫に移動し、空間を密閉したのです。ここにいる限り、私はそう簡単には負けませんのでな」 ホークは司の前に跪き、破顔した。 ウリエルは二人が話し込んでいる間に空中へと飛び上がり、頭上のガラス窓を突き破った。 「じょ、冗談じゃありませんよ! ここで貴方と闘うなんて!」 吐き捨てながら、ウリエルは高く高く、飛び続けた。 一心不乱に逃げいているのが判った。 ウリエルは遠く遠くに飛び去り、逃げ切った。 はずだった。 「お釈迦様はこんな気持ちだったのかもしれぬな、ウリエル?」 ホークは書斎の机にずっと腰掛けていた。腰掛けていただけのはずなのに、ウリエルをずっと追いかけ続けていた。 ウリエルはホークの目の前で、飛び回っていたに過ぎなかった。 「孫悟空の気持ちも教えてもらえると、面白そうだがね」 「私を羽虫扱いですか、ホーク」 「とんでもない。お前は、今も私の生徒だ。道を大きく誤った以上は、もう捨ては置けぬがな」 「はんっ、私を恐れてこの学校を去った呆け老人が。何をお言いですか。貴方は私に勝てません、これから一生ね」 「逃げようとした男の言葉とも思えぬな」 ホークは肩をすくめ、杖を掲げた。 「では魔術比べを始めようか?」 杖で地面を何度も叩き、ホークは空中に透明な口を呼び出した。 口は増殖し、数十個にもなった。ホークの周りでぱくぱくと動く口は、一斉に喋りだした。 「では、今から、魔術の最奥をお魅せしよう」 無数の口が一斉に喋りだした。 「魔力と呪文を唱える口が十分にあれば、魔法は一度にいくつも使うことができる」 ホークは微笑み、口を開いた。 無数に繰り出された魔法は、ウリエルの身体を容易にずたぼろにした。時間も空間も、星の理も全てたわんだ。時間は加速したり、減速したりしたし、空間は歪んだり、完全に均一になったりした。星が数も知れず降り注ぎ、複雑な図形を描いた。 ウリエルの頭が膨張したり、引き伸ばされたり、縮んだり、魔法によって引き起こされた現象は全身に及んだ。 おまけに炎がウリエルを焼き尽くしたし、氷が凍えさせたし、雷が襲ったし、岩石が押しつぶそうとした。 ウリエルが出そうとした太陽も一撃で消滅し、氷塊に変わった。氷塊はウリエルの頭上に落ち、砕け、ウリエルを一層に苦しめた。 ウリエルは地面に転がり落ち、虫の息を繰り返した。 「な、なんて奴なんでしょう。この力、この魔法。規格外の上に、反則です」 ウリエルはからからと笑って、ホークを見上げた。 「さすがは、私の元お師匠様、といったところでしょうかねえ」 「お前を恐れて篭ったのは、人生最大の失態であった」 ホークは冷たく言い放って、杖を振り上げた。 「ウリエル、さらばだ。私の一番の弟子にして、私の一番の失敗よ」 杖はゆっくりと振り下ろされた。 魔力を帯びた切っ先は刃となり、炎を伴ってウリエルに迫る。ウリエルはホークを睨みつけたまま、杖をただ受け止めようとしていた。 「ダメだ!」 ホークを遮ったのは、司と司の呼び出した歯車だった。 ホークは両腕を拘束され、動きを止めた。 ウリエルは這いつくばったまま動かない。瞳を光らせ、二人の隙を突こうとしたようだが、指先の一本に至るまでホークに支配されている状況では適わない。 ホークはゆっくりと振り返った。 「王よ、情けは持たれますまい」 「持つよ。その人だって、命を持っている」 「ふうむ、仕方ありませんな」 ホークは踵を返し、再びウリエルに向かい合った。ホークが少しだけほっとしているように見えるのが、司にはとても嬉しかった。司はホークの一挙手一投足を見守っていたが、あまり心配していなかった。 ホークは杖で空間を叩いた。切り結ぶような不思議な振り方だった。 『空間魔法・不朽監獄』 ホークが唱えると同時、ウリエの周囲に、炎の輪が現れた。炎の輪は、地面に穴を穿ち、ウリエルを奈落の底へと誘った。 「助けられた借りはいつか返しますよ。王様!」 ウリエルは司を詰るように言い捨てると、奈落へと落ちた。 ホークはウリエルの地獄行きを見終えると、司に視線を移した。 「王よ、そこへお座りください。二、三、話さねばなりません」 ホークは恭しく腰を降り、司へと振り返った。右脚に手を置き、深く頭を下げる。 「ホーク、そんなに他人行儀にしないでよ」 「む、そう、か。……うん、そうだな。素晴らしい戦いだったよ、司」 ホークは友人に接するように微笑んだ。 「さあ、座りなさい。説明をしなければ!」 ホークは言いつつ、くあっくあと笑った。 司はホークに勧められるまま、机の脇に倒れた丸椅子を立ち上がらせた。そのまま、丸椅子に腰掛けると、ホークに視線を向ける。ホークは司の向かい側に座り、腰を下ろした。 「まずは、君がなぜ王と呼ばれるかに至った経緯を軽く説明せねばなるまい」 ホークは、口の前で手を組み、しばらく言葉を探すようにしていた。 「全ての異次元に、王たる人物が必ず存在する。君は、不完全な王として生まれ出で、今まで生きてきた。不完全であったために、私も見つけるのに随分と時間がかかった。何年も世界中を旅することになってしまった。そうして四ヶ月前、とうとう君を見つけた」 ホークは口角を上げる。 「厳しい環境下で生きてくれたのは幸運であり、また不運でもあった。君は王としての資質を磨くことはできたが、おおよそ、人の心をあまりよく理解しない人物に育ってしまった。もちろん、とても優しい子に育ってくれたがね」 司がちょっとムッとしたのを感じたのか、ホークは優しく付け加えた。 「君の素質を見た限り、私はこの世界を任せるに足る王だと決定づけざるを得なかった。こういう言い方をするのはね、司。王とはやはり、孤高でなければならんからなんだよ」 額の辺りをくすぐるように掻いて、ホークはまた言葉を探した。 「君に素質がないとなれば、君から力を奪い、他の誰かに譲渡することもできた。そうすれば、君は安全な世界、安全な境遇で、生きていけるはずだったからね。しかし、君の素質は群を抜いていた。明らかな賢君の才。常軌を逸しているとさえ思ってしまった。私は、それで君を解放する機会を失ってしまったのだ」 「でも、何で僕が王なの?」 「当然の疑問だね。だが、こういう答えしか君に与えることはできない。生まれつき決まっている。どういうわけかは知らないが、何者かが決めるのだ」 理解に少し時間がかかった。 司はしばらく目を閉じていたが、うなずいた。 「よろしい。この話は君にしっかり理解していて欲しいから、説明の足りない時はしっかり言いなさい」 ホークはゆったりと補足した後、司の言葉を待つようにじっと見つめた。 司は首を振った。 質問はないという意味だと、ホークも理解したらしく、再び話した。 「王がいない世界は荒れる。よって、王が生まれるまで、この世界には戦乱が絶えなかった。君が見てきた通りね。そこで、君には選択を迫らなくてはならないのだ。王として生きるか。普通の少年として生きるか、だ」 ホークは両手を差し出した。 右手にはブレスレット。 「君が今まで着けていたブレスレットは、君が他人に認識されなくなる性質を抑え込むものだ。その代わりに君の日々強くなり続ける魔法を、ある程度抑制する性質を持っていた。君が一人前になるまで、ずっと着けてもらうつもりだった」 「僕の体質は何だったの?」 「他人からの認識を限界まで阻害して、どんな全知でさえ認識できない存在にするための魔法だ。これによって、君はずっと守られてきた」 ホークは続いて、左手を差し出した。 左手には小さな王冠のようなものがあった。 「これからも、別世界の王が攻めてくるだろう。ディアとは比較にならないほど凶暴な王もいる。それでも、君は王たる資格を放棄しないで闘い続けるか。それとも、普通の少年として破滅を傍観するか。どちらの道を選ぶ権利も、君にはある」 ホークは俯いた。 「こんなことを言うのは、私の良心が絶えられないのだが。君には闘ってもらう他ない。とは思う。もちろん、君の自由意志を尊重するとも。どちらを取っても、君は臆病者だということにはならないからな」 心臓が激しく鼓動するのが分かった。 嫌な汗を掻きまくって、身体が冷え始めていた。 「ホーク、決断の前に、聞きたいことが沢山あるんだ。この、仮面のこと」 司は顔に手を置いて、仮面を取ろうとした。仮面はいとも簡単に取ることができた。仮面をホークの前に置き、反応を伺う。ホークは、じっと仮面を観察していた。 「クリスティの作ったものだね、これは」 「時間魔法のクリスティ先生? でも、僕、変なおばあさんにもらったんだ。……そうか、クリスティはおばあさんにもなれたんだ!」 「その通り! クリスティは君を王と見込み、この魔法道具を預けたんだろう。君が力を解放した際、周りに正体がバレないようにね」 ホークはくすくすと笑った。 「じゃあ、もう一つ。やっぱり、僕には家族はいないんだろうか?」 「英雄というものは、異常誕生する。木の節から生まれたり、鬼と人間の間に生まれたり、桃から生まれたり。君が王であることを考えれば、君の懸念は正鵠を射たものだと考えられる。とはいえ、分からない、というのが事実なんだよ」 ホークは続けた。 「全ての王は、もしかすると同じ人物から産み落とされたのかもしれないと、私は考えている。何兆年も前、クロノスを名乗った王がいた。  クロノスは完璧な統治を敷き、この世界はおろか、異次元すらも平定した。あれほど宇宙が安定した時期は他に類を見ない」 ホークはおとぎ話を語るように顔を輝かせたが、すぐに曇らせた。 「シャッテンによって、統治は終わった」 司は夢の中で見たクロノスの顔を思い出した。 「そんな完全な王が、なぜ殺されてしまったんだろう?」 「考えられるのは、ただ一つ。『完璧な歴史年表』を書き換えられたためなんだろう」 「ずっと気になってたんだ。歴史年表なんかが、なんでそんな力を持つんだろう?」 司は、ホークの顔を真っ直ぐに見つめた。 ホークの視線はちらりと横に向いた。視線の先には、もともと『完璧な歴史年表』があったはずだが、今はもう無くなっている。 「いいかい、司。『完璧な歴史年表』とは、全ての時代の歴史を記した完全な歴史書という側面も確かにある。だが、本当は違うのだ。『完璧な歴史年表』は歴史を本当の意味で編纂するものだ」 「つまり、書かれたことは本当に起こってしまう?」 「まさにその通り」 ホークは満足げにうなずいた。 「じゃあ、ウリエルが『完璧な歴史年表』を欲しがったのは、歴史を思う通りに改竄したいからだったんだね?」 「その通りだろう。しかし、あれは邪念を持つものには編纂できないようにクロノスが細工を施している。完璧に邪念を持たずにあれを使えるものは、クロノスと、その配下の一部だけだった。どんなに善良な人間でも、恥ずかしい過去を変えたいとか、そういう考えを持ってしまうものだから、非常に人を選んだ」 「なぜ、シャッテンに使えたんだい?」 「あやつは、善意で悪行を施すからだ。クロノスはその性質を酷く、そう、酷く憂慮していた。シャッテンなら、善意で世界を滅ぼすこともあるかもしれないと。けれど、クロノスは結局はシャッテンを野放しにした。優しすぎたんだろうなあ、あの方は」 ホークは必死でため息をこらえているようだった。 「今のところ、私に話せることは、これが最後だが、聞いておきたいことはあるかな?」 「じゃあ、これは、すごく個人的なこと。ホークにも分からないかもしれないこと」 「コンクエスタ・アレクサンドルのことか……」 ホークは得心が行ったように呟いた。 「そう、コンクエスタは何がしたかったんだろう?」 司からスクロールを奪い、聖戦に参加しようとしたコンクエスタに司は酷く心配を寄せていた。 「君が、民のことを想ってくれるのはいい兆候だと思う。いいかい、司、君は王だ。妬む者もいるのだ。それだけしか、今のところは言えんね」 ついに、話が終わってしまった。 司はホークの差し出した二つの魔法道具のうちどちらかを取ろうと構えた。 手が小刻みに震えていた。 「時間を、ください……」 「当然の権利だな。うむ、よく考えなさい」 ホークはこれまでにないくらい優しい表情でうなずいた。 気づくと、司はコロシアムに立っていた。 コロシアムには誰もいなかった。 一人残らず撤収しのだろう。 司は宙を見上げた。 銀色の月が、空に昇っていた。 もう一つの地球は跡形もなく消えていた。 司は世界でひとりぼっちだった。
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