序章 クロノス・カタストロフィ

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廊下に学生が集まって、がやがやと何かを話していた。 「知ってる? 王様がついに現れたって」 「ああ、しかも、人知れず人助けをしてくれてるって」 「知ってる知ってる仮面を被った男の子でしょ? 探してた教科書を私に渡してくれたの」 「俺、廊下で吐いてたら、医務室に連れて行ってくれたんだけど、そいつも仮面を被ってたよ」 「すごく優しい声で、物腰も丁寧。気品に溢れてらっしゃるという話でしたわ」 「毎日、午後六時になると、時間魔法の教室の時計が、一斉に規則正しく動き出すんだって。中に入ると、仮面の男の子がいて、すぐにどこかに消えてしまうって」 「誰も使ってないはずの部屋なのに、時々に明かりが灯っている部屋が、時間魔法寮にあるんだって」 「私は、中性的な女の子で、かなりの美人だとお聞きしましたけど」 「女の子に見えるけど、男だって聞いたけどね」 「いや、仮面を被っているんでしょう? なんでそんなこと分かるんだよ」 「東洋人だって聞いたけどなあ」 「髪は黒かった……気がする」 「身体つきも、東洋人っぽかったよ」 「そもそも、そんなやついるの?」 「絶対にいますわよ! 遭った人が沢山いるんですもの!」 司は噂話をする生徒たちの横を通り抜け、時間魔法の教室に向かっていた。 「最後列に、いつも空いている席が……」 「食堂にも……」 「召喚魔法の授業でも……」 噂の正体は、全て司だった。遠ざかっていく生徒たちの話を聞きながら、司はひたすら考えていた。 今の自分は不運なのか。 不運だとしたら、何が原因なのか。 元の生活に戻っただけ。 その筈なのに、時々に見つけるヤクート、ユリィ、ディスエルが司のことを見ようともしないこと。いないもののように扱ってくると。三人に会う度に、司の心はざわついた。こんなに心が揺れたことは今までなかった。 司は時間魔法の教室の前にやって来ると、扉を開き、中に入って行った。 司が入ると同時、時計が一斉に動き出した。 金色に染まる教室の、隅々にある時計が一つ残らず、同じ動きをする。司はゆっくりとフローリングの床を歩き、やがて、教卓の上に腰かけた。 オーケストラの指揮をするように右手と左手を動かすと時計は、規則的に、時には変則的に動いたりした。時計は一つ一つがプロの奏者のように、繊細に指揮に呼応する。 司は目の辺りを擦った。 仮面が邪魔をして、自分が泣いているのかさえ分からない。 司の胸元には、三つのペンダントがある。 一つは、歯車、一つは王冠、一つは腕輪。 歯車を捨てる気は無い。 王冠と腕輪はどちらかを捨てなければならない。 決断はもうすでにした。 司は腕輪をペンダントから取ろうと、今日この瞬間に決意した。 ゆっくりと、腕輪に手を伸ばした。 同時だった。 「ユリィ、ここでいいんだよな? ここに、その、俺たちを助けてくれた人がいるんだよな?」 「確証はないけど……。でも、噂の通りなら、私の記憶と一致する気がするの」 「私も同感だ。ヤクート、お前だって、思い出し始めているのだろう?」 「そうよ、ディスエルだって覚えてるって言ったじゃない!」 ユリィの声が業を煮やしたように放たれる。 「判っているとも。平井司。ああ、覚えている、忘れてたまるものか」 「俺だって、覚えてる。あいつは、たくさん俺たちに尽くしてくれた。四ヶ月一緒だった、覚えているよ」 司が呆気にとられて視線を入り口に向けると、三人の少年少女の姿があった。 褐色の肌をした、銀髪の少年。 血色のいい肌をした、青髪の少女。 顔色の悪い、黒髪の少女。 ヤクート、ユリィ、ディスエル。 「聞こえるか、司?」 ディスエルは、優しく呼びかけた。 こんなに優しいディスエルの声は知らなかった。 「始まりは、私の頭に、ある男の姿が浮かび始めたことだった。私は愚にもつかない幻だと思って、忘れようとしていたのだが、何度も続いたものでね。それで、夢に見た男のことを考えてみた」 ディスエルは、一層に表情を柔らかくした。 「お節介で、厄介で、線の細い、忌々しい男の事を。ユリィに話したら、この泣き虫はめそめそ泣きだした。やはり妄想などではなかったのだと、私は理解した」 血色の悪い腕を差し出して、ディスエルは手招きをした。 「私、謝りたかったの!」 ユリィがディスエルの隣に立って、声も大きく告げた。 「きっと悪い態度を何度も取ったよね。ずっと謝りたかった! だから、一度でいいから姿を見せて!」 ユリィはなおも続ける。 「平井君がいなかったら、きっと私は殺されてた。ヤクートも殺されてた。私、平井君にまた会いたい! 会って、話したい。会って、また、あの時みたいに皆んなで!」 司は三人の脇を通り抜けようとした。 ヤクートと目があった気がした。 司はそれでも突き進んだ。 王になると決めた。 三人と一緒にいることはできない。 「平井君のおかげで、魔法の授業が得意になった。なんで、いきなり得意になったのか、ずっと不思議だった。理由が判った時、どんなに感謝したか!」 ユリィはしゅくしゅくと泣き崩れてしまった。 司がそれでも通り抜けようとすると、ヤクートの手がぬっと伸びてきて、司の胸倉を掴み上げた。 「司、てめえ! 何が、自分の心の中に記憶があればいいだよ! 俺たちのことなんか、少しも考えてねえだろうが! お前と一緒にいるのが迷惑だなんて、一言でも言ったかよ? 俺たちのために、そうせざるを得ない理由があったのは判るよ、だけどな。あんな、一方的な別れ方、迷惑だ! この馬鹿野郎!」 ヤクートの拳が司の頬を打った。 全然、痛くなかった。 とても痛かった。 司はよろめきながら、三人の顔を見た。 三人とも、司の顔に視線を集中させていた。 司はペンダントから腕輪を外した。 「君たちに会えて良かった。いつも思ってたけど。今日ほど思ったことはない」 司は腕輪を腕に嵌め、三人の前に姿を晒した。 「三人を、ずっと見守ってた。みんな、輝いてた。誇らしかった。そんな君たちと一緒に居られるのは、幸福だと思う」 ユリィとヤクートが同時に動き、司をもみくちゃにした。 ディスエルは、離れたところで、司の足を蹴ったり小突いたりした。 司は地面に倒れながら、久しぶりの友達を感じていた。 「今日、終業式だよね。僕の家にこない?」 司は、三人にホークを紹介しておきたかった。 三人は顔を見合わせたが、すぐに大きくうなずいた。 2 図書館に国際色豊かな三人がたどり着くと、司書やお客が呆然と眺め回してくるのが判った。司は三人を引率しながら、ホークの書庫へと向かった。  不思議なことに、ホークの書庫へと近づく程に、人の視線が離れていく。 「まさかとは思っていたが、司は図書館に住んでいたのか、道理で本の虫なわけだ」 ディスエルの指摘は、間違っていたが完璧な間違いでもなかったので、司は強いて否定もしなかった。 司は、図書館の最奥に辿り着くと、本の一冊を抜き出し、ダイアルのようなものを回した。 書庫が変形し、扉が現れた。 司が扉を開けると、ホークの書庫が目の前に広がった。 少し、様子が違った。整然としているのはそのままだが、前より更に埃や汚れといったものがなくなっている。ピカピカと輝いていた。 「おや、お帰り、司。今日は友達と一緒のようじゃのう。ちょうどいい、母がクッキーを焼いておるぞ」 出迎えたのは、エプロン姿のディアだった。 司と三人が仰天して固まっていると、ディアは心配したのか、エプロンを締め直し、司の前にやって来た。ちょっとだけ顔を持ち上げて、額に手を置く。 「熱は無さそうじゃがのう」 ディアはなおも心配そうに、奥に引っ込んだ。体温計を探しに行ったようだ。 「ディア! 大丈夫だよ。それより、状況を説明して? なんで、僕のお母さんをやってるの?」 「司、お前の母さんっていなかったんじゃ? そうか、ラビニア先生が探し当ててくれたんじゃないのか? つまり、この異世界の王女様が、司のお母さんだったんだって、ラビニア先生は突き止めたんだよ」 「馬鹿か、君は! 人種が違いすぎる。ディアは銀髪で、金髪の亜種だろう。金髪は優性遺伝だから、司に遺伝する確率は非常に高い。それに、顔つきだって違う。実の母親な訳がない!」 ヤクートが名推理を思いついたように言ったのを、ディスエルは跳ね除けた。 「ホーク、話しても良いのかの?」 ディアは振り返り、部屋の奥に呼びかけた。 すると、ホークがのそのそとやって来て、杖を振った。 瞬間、四人の後ろに机が現れて、自然と腰掛ける形になった。 「どういうわけかは、私も定かではないのだが……」 ホークは書斎の椅子に座り、四人を見回した。ディアはクッキーの皿を机の上に置き、厨房に行ってしまった。 「異世界の王を、この世界の王が倒したことによって、ディアのいた世界が我々の世界に吸収された。  その結果、ディアの世界にあるべきだったものは、違う形と役割を持って、この世界に移植されたのだ。例えば、ディアは司の母親という役割を持って、この世界に吸収されたというわけだ」 「つまり、我々は気づいていないが、かなり大きな変化が、この世界に起きているはずだと?」 「そうだとも、君は賢いな! ディスエルと言ったね。司の友達になってくれてありがとう!」 「ホーク・レザリウス、伝説の魔導師メイカーに言われるとは恐悦だ」 少しだけ得意そうなディスエルに、ホークはくすくすと笑った。 「さて、今日はゆっくりしていくといい」 ホークは言い置いて、また部屋の奥へ行ってしまった。 「僕、世界一幸せだ。欲しいものが、ほとんど全部、一緒に手に入っちゃった!」 司は三人を見返して、世界一に幸福な微笑みを浮かべた。 今の選択は、自分の幸せ。 例え束の間でも、この幸せを守るために闘おうと、司は決意した。
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