序章 クロノス・カタストロフィ

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誰かの膝の上に、自分の頭が載っているのに気づいた。 瞬きをしながら上を見ると、女性の顔が見えた。 ふくよかな曲線を描く胸元が顔の間近にあったが、だからと言って、男性的な欲求が刺激されることはなかった。 例えるなら、完璧な母親が目の前にいるような感覚だ。 無条件で体を預け、精神を預けられる唯一の存在。 「安心した。うなされていたようだから。と言っても夢の中の夢から覚醒したに過ぎないが」 「だれ?」 「妾は、刻限の女王。今は、そうだのう、ディアと名乗っておくとしよう」 「なんで、僕の夢の中に貴女がいるの?」 「涙を流して眠っているかわいそうな男の子がいて、慰めたくなったのだ」 ディアは、まるで、当たり前のことのように言った。 司は、はっとした。そう言えばさっきの質問もどこかおかしかった。 なんで、僕の夢の中に貴女がいるの、と聞いたのだろうか。 夢の中に、夢の中の存在であるディアがいようがいまいが、ディアの勝手だ。 「妾はすべての人の心の中にいる母親だ。 今まで一度も、お前は私に頼ろうとしなかったけれど、今日、ようやく、お前は妾の姿を求めた。 だから、妾はここにこうして、存在している」 「じゃあ、貴女が僕のお母さんなんだね?」 司は立ち上がって、ディアをまじまじとみつめた。 すると、ディアは悲しげに笑った。 「妾は違う。妾は、あくまで象徴としての母親。 実態としての母親ではないのだ」 ディアは司の手を取って、愛おしげに撫でた。 司はその手つきのくすぐったさに、顔が赤らんでいくのを感じた。 ディアは微笑を浮かべ、手を離す。 ほんの小さな時間、ディアと離れているだけで、司は言い知れない不安を感じた。 「母のとなりに座りなさい」 ディアは自分の隣を指し示した。 司は、ここでようやくあたりの様子に気づいた。 二人がいたのは、大きな森だった。今しがたまで寝ていたのは、緑色の草が生茂る切り株のようなもので、とてつもなく大きかった。 ディアの周りには、十二匹の獣がいた。 十二支にちなんだ獣たちだ。 上空には竜すら飛んでいる。 司は唖然としながら、あたりを見渡し、ゆっくりとディアの方へと歩いた。ディアは司の手を引いて、横に座らせると、その肩を抱きしめる。その頰には涙が光っていた。 「寂しい想いをさせた。 本当の母親などいなくても、お前のために側にいることはできたというのに」 ディアはなんだか、本当に寂しげだった。 「だが、母はもう行かねばならぬ。司、くじけるでないぞ」 ディアは手を離し、立ち上がった。 「待って!」 ディアは声に応えるように立ち止まった。 司はディアの手を取って、必死に引っ張り寄せた。 「側にいてよ! 寂しいんだ」 恥も外聞もなく、すがりつくと、ディアは困ったような嬉しいような顔をした。 すぐに膝を折り、司の前でひざまずくと、自分の手をつかんでいた両手を包み込む。 ディアは微笑んだ。 「のう、司。寂しいのは分かるが、お前は重大な使命を帯びた存在だ。 本来、こうして母に甘えていい立場ではないのだ。分かるか?」 「分からない。分からないよ! 僕、十二年間も我慢したんだ。いつか、母さんに会いたくて、会いたくてしょうがなかった」 「妾は、お前の求める存在ではない。私は象徴としての母親だ」 ディアは、続ける。 愛おしげな表情に、寂しそうな表情を載せながら。 「妾はいつか、お前の敵となるだろう。 だが、それはしかたのないことだ。お前は王として自分の国を守らねばならない。 妾もまた、王として自分の国を守らなくてはならない」 ディアは立ち上がった。 「今日は、お前に宣戦布告をしに来たのだよ」 ディアの表情はいきなり、硬くなった。 「近い将来、お前と妾は戦う運命にある」 「ディアと戦うなんてできない。それに、僕は王様じゃない」 「これは、運命なのだ。いくら、否定しようとも、避けられない」 司は首を振った。 「嫌だ。嫌に決まってるだろ」 「ではの、司。 その時まで、お前が今より強くなっているのを願っているぞ」 ディアの姿は、少しずつ透明になり、指先が消えると、他の体のパーツも消えていった。 司は必死で手を伸ばしたが、指先は何にも触れられなかった。 気づくと、司は何もない虚空に手を伸ばしていた。
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