ありふれた、僕たちの

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一通り歩いて宿に戻った僕たちは、それぞれ温泉へ入り夕食を頂いた。 「なに、これ⁉︎ こんな豪華なコースだったの⁉︎」 「言ったじゃん、せっかくだし贅沢しようって」 「そうだけどー……ここまでとは思わなかった」 特産のブランド牛、蟹、旬の刺身……思いつく限りの「美味しいもの」を詰め込んだような御膳に、目を丸くする麻奈。 「麻奈の好きなもの、ばっかりでしょ?」 「うん、美味しそう」 「お酒もあけない? 最初はビールでいい?」 「賛成! あとで日本酒も頼もう」 自分のしたことに、素直に喜んでもらえた。 それだけで胸が痛いぐらい幸せを感じる。 ビールを注いだグラスで乾杯をした。 「それにしても早いなぁ、来月か」 「うん」 「ついにこの日が……って感じ」 「ほんとだよね……てか優斗、やっぱ蟹の剥き方下手すぎ! 貸して?」 僕が椀を差し出すと、器用に殻から身を取り出してくれる彼女。伏せたまつげが色っぽく見える。 「どうせなら、混浴付きのプランあればよかったなぁ」 「……ばか」 僕を見上げるその目は、僅かに潤んでいる。 今日は特別、彼女が優しい日だ。こんな日は、ある程度の我儘が許される。 「ねぇ、麻奈?」 「なに?」 「好きだよ、すげー好き」 「わたしも、好き」 触れるだけのキスをする。蟹の味がして、思わず笑ってしまった。 「日本酒、頼もっか」 フロントに電話をかけた僕の浴衣の裾を掴んで自分の隣に座らせる麻奈は、昔からアルコールに弱い。 「優斗、」 僕の名前を呼んで、それきり黙ってしまった彼女の腰に手を回した。 「……うまくやっていけるかなぁ?」 「新婚生活? 今までも同棲してたんだし、大丈夫でしょ」 「うん……」 マリッジブルー、とかいうやつだろうか。 弱々しく言葉を吐く彼女を安心させたくて、微笑みを返す。 そのうち、注文した日本酒が部屋に届いた。 「じゃーん。ケーキ!」 「……⁉︎ うそ、優斗用意してくれたの⁉︎ しかも、モモヤのやつ!」 うちの近所にあるケーキ屋のケーキを麻奈はひどく気に入っている。彼女が一番好きな、いちごたっぷりのケーキを、彼女にはバレないように車のトランクのクーラーボックスに入れて運んできた。 「えー、名前入ってるし! 可愛い〜‼︎」 こうして麻奈の喜ぶ姿を見る度、何回でも思う。 君が望むことなら、なんでもしてあげたい。 君を一生、守っていきたいと。 「幸せ!」 「俺も。今すげー幸せ」 「優斗……」 「愛してるよ、麻奈」 今度のキスは、ケーキのクリームの甘ったるい味。 だけどその方が君らしい、なんて思いながら。 「優斗、わたしはこれからも一生、優斗のことが好きだよ」 「……うん」 ケーキを食べた。お酒を飲んだ。 何が何だか、わからないぐらい蕩けた頭で、君を抱きしめた。 幸せ、ずっとこうしていたいと言って、僕の腕の中で君は泣いたんだ。 「……やっぱり食べすぎたし、飲みすぎた……」 翌日、青い顔をしながらチェックアウトして、周りの観光地を見て回った。 美術館で期間限定の珍しい展示を見た。麻奈が見たがっていた、パワースポットと呼ばれる滝にも行った。それからガイドブックに載っている食堂の蕎麦を食べ、有名な神社に出向く。平日だというのに人で溢れている長い参道を歩き、作法通りにお参りをした。 手を合わせながら、横目で彼女の横顔を盗み見る。 彼女はなにを願っているのだろう。僕には見当もつかない。 おみくじを引くと二人とも"吉"で、中途半端だと苦笑いした。 「ねぇ、お守り買わない? これ、色違い」 僕が提案すると、彼女は少し考えた後、頷いた。 僕は緑、彼女は赤。その神社の名前が刺繍された、全体運に効くお守りのようだ。 500円のお守りを2つ。 僕が買って彼女に渡すと、笑顔で受け取ってくれた。珍しく今度は、「私が払うよ」とは言わない。 僕も彼女も誰にもお土産を買わなかったから、今回の旅行で購入したものはこのお守りだけだ。 「……寒くなってきたね。優斗、そろそろ車に戻ろっか?」 「……もう少しだけ、歩きたい」 震える彼女の手をとって、歩き出す。 僕が麻奈の申し出を却下するなんて、何年振りだろう。 日は傾き始め、カラスの鳴き声が聞こえる。 ……今日が、終わろうとしていた。 車を停めた駐車場へと続く、遠回りの道を手を繋いで歩く。 長い橋を渡るのは僕たち二人しかいなくて、まるで今この世界に他の人間はいないんじゃないか、なんてぼんやりと考えた。 「優斗、川、綺麗だね。ほら」 麻奈が指差す方を見る。遠くから続く川は、夕日が反射してキラキラと光っていた。実家の近所の風景に、少し似ている。 「……昔もよく、こうして手を繋いで歩いたよねぇ」 「……」 「優斗はすぐ迷子になって、泣きながらわたしのこと探して……っ」 ……強く、強く抱きしめたら、麻奈は言葉を止めた。 聞きたくない、でも話をしていたい。 手放したくない。だけど、彼女はー…… 「優斗、……泣かないで」 「なんだよ。泣いてるのはそっちじゃん。……姉ちゃん」 それまでとは違う、一際冷たい風が、通り抜けた。
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