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アパートの一室で健二は目を覚ました。
彼はゆっくりと頭上に置いてあるスマホに手を伸ばす。
「5時28分…。早いな…。」
そう呟くと、もう一度目を閉じた。大学までまだ2時間は寝られる。しかし、どうしてももう一度眠りにつくことはできなかった。
諦めて体を起こす。そのまま洗面台に向かい、冷たい水で顔を洗った。
「顔色…悪いな…。」
タオルを手に持ちながら呟く。この顔色の悪さの原因はわかっている。彼は最近、一人の女性に付きまとわれているのだ。
最初にどこで出会った人かはわからない。まず、出会ったことがあるのかどうかもわからない。
最初に彼女に気づいたのは同じ学科の友達である圭だった。
「なぁなぁ、お前の真後ろに座ってる女いつもお前の後ろにいねぇ?知り合い?」
講義が始まる直前に慌てて教室に入ってきた圭が隣の席に座るなり耳打ちしてきた。
「は?」
健二は後ろに座っているという女に気づかれないよう、チラッと後ろに目をやる。
黒いの綺麗な長髪。健二はまず最初にそう思った。しかし、その髪のせいで、彼女がうつむいているせいで、顔の確認はできない。
顔の確認はできなくても知り合いでないことはわかった。健二の周りにこんな長髪の人はいない。というか、まず女が周りにいない。
「そんなに珍しいことじゃないだろ。俺らだってなんとなくいつも同じ席に座ってるじだろ。」
「いや、違うんだよ。この講義だけじゃないんだ。お前と出てる講義全部真後ろの席にいるんだよ!」
「え…?」
健二は言葉を失った。圭とは同じ学部、同じ学科だ。ほとんど同じ講義を受けている。
「か、彼女も同じ学科なんじゃないのか?」
「いや、それはない。」
圭は強く否定した。
「俺は既に同じ学科はもちろん、同じ学部の女は全員把握してる。後ろの女は同じ学科でも同じ学部でもない!」
健二と圭は高校からの友達だが、彼は実際に入学2ヶ月で学校中の女子の名前とクラスを把握していた。大学に入って半年もう半年近く経っている。圭が学部全員の女子を把握するには十分な時間だ。
いつもならこの女好きをいじるのだが、この時の健二はそれどころではなかった。
実際、今からの講義は学科の講義なので、他学科はおろか他学部の人がいるはずないのだ。
もう一度、彼女の方をチラリと見る。顔は見えないはずなのに、目があって、笑いかけられたような気がした。
その日から彼女のことを意識するようになった。
確かに圭の言う通り、彼女は他の講義でも自分の後ろの席にいつも座っている。
それだけではなかった。大学外でも彼女を見かけるのだ。電車、最寄り駅、バイト先のカフェ。意識すればするほど彼女を見かける。意識し過ぎて、どこにいても常に誰かの視線を感じるようになった。
「はぁ…。」
健二は鏡の前でため息をついた。
彼女に気づいて2ヶ月が経つ。実害はないので文句も言うことができない。ただのご近所さんの可能性もある。
「…朝ごはん、買いに行くか…。」
気晴らしも兼ねて健二はコンビニに早めの朝ごはんを買いに行くことにした。
健二はクローゼットからジャケットを手に取り、玄関へ向かう。玄関の照明をつけ、適当な靴を探す。この部屋は安くて一人暮らしにはありがたいのだが、照明をつけないと玄関が真っ暗なのがたまに傷だ。そう思いながら健二は靴を履いて照明を消す。
鍵を閉めてる途中に冷たい風が吹く。外はやはり肌寒い。あれだけ暑かった夏が遠い昔のように感じる。もう少し厚いジャケットを着ようかと健二は思ったが、コンビニは部屋の前から見える距離なので我慢することにした。
コンビニまでの道中、やはり背後から視線を感じる。健二は後ろを振り向くが誰もいない。健二は気のせいだと自分に言い聞かせながらコンビニへと歩を進めた。
「寒っ…。」
暖房のついていた快適なコンビニから出てきた健二を冷たい風が撫でる。
健二が持つビニール袋にはいつも買ってしまうカップ焼きそばが入っている。
「早く帰って食べよう。」
健二は歩き始めた。行きと違って視線を感じることはない。どうやら気が滅入っていただけらしい。彼女もただのご近所さんかもしれないと健二は思い直した。
そんな少し明るい気持ちで家に着いた健二が見つけたのは1枚の手紙だった。扉の郵便受けに差し込まれていた。淡い青色をしてる封筒。
「誰からだ?」
差出人の名前は書いてない。加えて、消印もない。
その瞬間、嫌な予感がした。そして、直感もした。差出人は例の彼女だ。
健二はその場で封を開けた。封はハートのシールでされていた。手紙を開きながら部屋のドアを開ける。
拝啓 愛しの上村健二クンへ
突然のお手紙ごめんなさい♥️
びっくりしたよね…ごめんネ!
靴を脱ぎながら、手紙を読み進める。
実は…私、健二クンのことが大好きなの♥️♥️♥️
本当に好きなの!言葉では言い表せないわ!
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き…
どれだけ言っても足りないわ!とにかく愛してるの!!
手紙に目を落としたまま健二は部屋に入り、ベッドに座り込む。手紙を読み進める。
あなたも私のこと好きなんでしょ?
健二の手紙を読む目が止まる。あなたも私のことが好きなんでしょ?…?何を言ってるんだ?健二はこの一文の理解ができなかった。
あの黒髪の彼女が自分に好意を抱いていることはわかった。嫌と言うほどわかった。けど、あなたも…?つまり、両思いだと彼女は思っているらしい。
再び手紙に目を落とす。
だって健二クン、毎日私の近くに来てくれるんだもん!けど、なんで話してくれないの?いい加減怒っちゃうぞ!(笑)まあ、そんな照れ屋さんな健二クンがかわいくて好きなんだけどね♪
けど、健二クン。いくらなんでもご飯を毎食カップ焼きそばで済ますのはよくないぞ♪今度私が手料理作ってあげるネ!頑張っちゃうぞ~!
健二は確信した。ここ最近ずっと感じていた視線は本物だ。気のせいなどではなかったと。普段、健二が好んで買っている商品がバレている。よっぽど近くにいないとわからないはず…。
手紙はまだまだ続いていた。友達の名前、よく行くお店、休日の予定。健二の個人情報がこれでもかというほどにその手紙には書かれていた。
そして、手紙の最後には電話番号が書かれていた。
P.S.電話待ってるよ♥️
その一文を読み、健二の感情は恐怖から怒りに変わった。なぜ、自分がこんな女に振り回されなければならないのか、なぜ、自分がこんなにもビクビクしながら生活しなければならないのか。
健二はポケットからスマホを取り出した。手紙に書かれた電話番号を打ち込んでいく。
相手が出たらまず怒鳴りつけてやる。自分がどれだけ迷惑をかけているのか思いしらせてやる。スマホを耳にあてる。呼び出し音が鳴る。
着信音は目の前のクローゼットの中から聞こえてきた。
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