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梅雨明けから数週間。
風は熱を包むようになり、不快だった湿気をすら感じない暑さになってきた。
あの日に受け取った地図を手に桜骸はとある場所へと辿り着いた。
とことんまで人の神経を逆撫でする。
その場所はかつて桜の守の屋敷……桜骸の家があった場所だった。
すっかりと無人となり手入れもされなくなった庭先を抜け、穴の開いた引き戸をくぐる。
埃の上には真新しい靴跡があるのを見る限り、何者かがこの先に居るのは明白だ。
導かれるように足跡を辿る桜骸の脳裏には、この屋敷で過ごした幼き日々が甦る。
そしてソレは、親の死に目を見たあの部屋へと消えていた。
「失礼する」
父が使っていた机、蝋燭立て、本棚、仄かに桜の香りのする畳。
いずれも壊れ、朽ち果てているがかつてのままだ。
「いや、失礼しているのは僕だね」
室内には身なりの良い男が立っていた。
西洋の礼服に身を包んだ眼鏡の男だ。
この廃屋の中を歩いてきただろうに、黒い服には埃の一つすらも付けずに此方へ体を向けている。
「やあ桜花……いや、桜骸と呼ぶべきかな」
桜骸が名乗るよりも前に、彼女の捨てたはずの名と今の名を呼ぶ。
なるほど、幽の紹介だけはある。
まるで信用ならない男だと直感が告げている。
「どちらでもいい」
「では桜花と呼ぼうかな。僕が今から話す内容は、君が骸を名乗るよりも前の……あ、いやすまない。僕の名前はハクタク。以後よろしく」
言いながら彼は軽く頭を下げる。
言葉は礼節を弁えた物ではあるのだが、その声音はどこか淡々としており、カラクリじみた印象を受ける。
人と話している気がしない。
尤も、桜こそ枯れたがその守である桜骸とて人ではないのだが。
「ハクタク……さん……?」
「僕に対して気を遣わなくて良いと言いたい所だけども、相手を敬える姿勢は尊重すべきだ。是非そう呼んでくれ。ついでに取り繕う必要もないよ。君が普段、無理してそんな話し言葉を使っているのも知っているから」
幽のように見透かされている様子でもない。
しかし嘘を言っている訳でもない。
知っているのだ。
この男、ハクタクは本当にあらゆる事を知っているのだと直感する。
大きく嘆息し、桜骸は花と呼ばれていた頃の自分を久しく表に出すことにした。
「じゃあ改めてハクタクさん。幽さんから貴方に会うように言われて来ました」
「うん。改めて桜花。幽から君に全てを話すように言われて来たよ」
古い書物の頁を捲るように、ハクタクはゆっくりと話始める。
かつてこの屋敷で起きた惨劇を。
何が死に、何が呪われ、何を……守ったのかを。
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