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枯れた桜と人斬り幽鬼
立ち並ぶ木々は若草に色付き、満開の花々は昨晩の雨でほとんどが散ってしまった。
あれほど鮮やかだった桜は葉桜をすら通り過ぎ、今や一面に薄緑の絵の具を散りばめられている。
生命の息吹を強く感じる春の色。
頬を撫でる風も相まって、いよいよまた季節の廻(めぐり)が始まるのを告げているかのようだ。
背丈の低い若草の絨毯は一面に広がり、その上を藍色の着物を纏った男がゆらりゆらりと歩き行く。有様、足運びはしっかりしているのに不思議とどこか浮いているかのようだ。
銀色とも灰色ともつかない瞳は眠そうに細められ、顔には深い皺がいくつもある。
老いを感じるその外見でこそあるが、幾人かに聞けば九割は色男の類と答えるだろう。
不思議な足取りのまま、彼は一本の――立ち枯れになっている――桜の前に立った。
否。
桜の前に座る一人の少女の前に立つ。
「よう、桜花。今年で何回忌だっけか?」
胸の前で刀を抱くように座る少女は、艶やかな黒髪が地面に付くほどに長い。
見目こそ美しいが左片の目には古い縦創、刀を抱く腕は一本で目と同じ側が欠損している。
局部こそ見えないが胸元の大きく開けた着物から覗く肌には、大小様々な創が幾つも残っている。
「桜骸と呼べと……幾年言えばその足りぬ頭に入るのだ幽」
鮮やかな紅色の瞳にはしかし生気を感じられる光はなく、虚ろな灰色だが爛々と光を宿す幽のソレとはまるで対称的だ。
「そりゃお前が小娘じゃなくなったらだな」
「肉体は兎も角、齢で言えば既に小娘などと呼ばれるような」
「バカ言え。齢で言うなら俺にゃいつまで経っても追い付けねぇだろうがよ」
舌打ちが聞こえた。
幾十、幾百年の付き合いだが彼女には嫌われている。
嫌われているらしいではなく、嫌われている。
なにせ幽は桜骸の眼と腕……そして両親を奪った仇なのだから。
「……千だ……」
「あ?」
ぽつりと、桜骸が呟く。
俯きがちな目で、見ようによっては上目遣いとでも言うのか。
尤も、そこには媚びるような様子はない。忌々しそうで、怨めしそうで、そして今にも斬りかかりそうな雰囲気を揺らぎ立たせる。
肌を撫でていた心地よい風は止み、木の葉の音すら聴こえない一切の無音。自分の心音に押し潰されそうなほどの静寂だ。
「あー……そうか。今日で千の歳月を経たのか……」
桜骸の向ける殺気などまるで意に介さぬかのように、藍色の男は頭を掻きながら彼女へ背を向けた。
「なあ桜花よお……そろそろ、桜の守なんて物やめてもいいんじゃねぇのか?」
「何だと……」
「お前が守っているのは何だ? その立ち枯れた桜か? それともその下に眠る手前の両親か? 桜の骸で桜骸……ハ! 笑わせるぜ。死にもしねぇ内から――」
「口を閉じろ幽」
首に冷たい感触。
幽の背後にはいつの間にやら刀を抜いた桜骸が立っていた。
座っていたはずが気配すら遅れて来るほどの早業。
誰に問おうとも、彼女には桜の守を名乗るだけの技量は備わっている事だろう。
それだけに、幽は大きなタメ息を漏らさずにはいられなかった。
「甘ぇなぁ……」
「何?」
「俺は仇なんだろ? 何でそれを振り抜かねぇ? 何で咲かせねぇ?」
「それは……」
殺気、敵意は感じるが殺意を感じられない。
たった今、この場で首を跳ばしてもらえたならばどんなに楽だったことか。
「それはまだお前が疑っているってことだ。あの日から千の歳月を経た今日ですら、実は幽は犯人ではなかったのではないか? あるいは、何か理由があっての事だったのではないのか? ってな」
「…………だろ……」
「あ?」
「当たり前だろう! お前と父様と母様は親友だったじゃないですか! かつての日に、この私も遊んでもらった事もあります! そんなお前が! 貴方が! あんな……あんな……」
幽は頭を掻く。
やりづれぇなと。
ガキの相手は相変わらず苦手だ。そして、背後から震える手で刀を向けるこいつはガキのままだ。
幽は首の皮を刃が裂くのすら気にせず踵を返す。
そして懐から一枚の地図を取り出し、桜骸の前に差し出した。
「三月後の……そうだなぁ、七月六日の夜。その地図に印をした場所に行ってみろ。お前の知りてぇ事が大体分かるはずだ」
「…………わかった」
刀を納め、地図を取ろうとした矢先に、幽はそれを引っ込めた。
また舌打ちが聞こえた。
が、茶化すでもなく幽は真面目な声音、目付きで続ける。
「ただし。そこで何を知ろうと、翌、七夕の夜に此処へ……俺を咲かせに来い」
「果たし合いの申し出か? ならばその日と言わず……あ痛!」
縦の手刀。
現代風に言うならチョップ。
「な、ななな! 何をするんですか!」
「うるせぇ! こちとら首のこの辺ちっと咲いてんだよ! 血で着物が汚れたらどうしやがる!」
「今から果たし合いをするのだからそんなもの……痛い!」
「今からじゃ駄目だから叩いたんだろうが! てっめぇやっぱり小娘だな!」
「うううう……!」
叩かれた頭に手を置きながら、桜骸は若干涙目で幽を睨む。
幽は地図を桜骸の着物の胸元にねじ込むと、今度こそ振り向いて歩き出した。
「エロジジイ」
「何とでも言いやがれクソガキ」
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