§7

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§7

「愛さん?」  唐島に怪訝な顔をされて、薫ははっと我に返った。ほんの一呼吸ほどの時間に思えたのだが、実際には普通の会話のテンポをいくつか飛ばすくらい長いこと、無言で唐島の顔を見つめていたようだ。  薫は急角度で視線を外して、手にしたままだったフォークを食べ終わったブッシュ・ド・ノエルの皿に戻した。 「もしかして、もう腹一杯ですか?」 「ままま、まさか」  思い出だけでも心は十分に甘く揺らいだが、目の前にいる本人を改めてそういう対象として意識してしまうと、もはや動悸を鎮めるすべがない。速すぎる鼓動のせいか、舌までもつれる有様だ。 「それなら、次はショートケーキの試食もお願いしていいですか」  一方唐島の方は、声も表情もいつもと変わらず抑揚が少ない。改めて自覚した恋心に薫が狼狽していることには気付いてはいないようで、少しほっとする。 「ショートケーキか。そっちはどんな変化球を用意してるんだ」 「いや、オーソドックスに苺なんだけど、その品種で迷ってて」 「苺の品種?」  業務用の青果販売業者が取り扱う苺のうち三種類を候補にしている、と唐島は言う。 「小粒だけど味のいい品種。見栄えのする贅沢な大粒の品種。それと、今年のクリスマスシーズンに向けて品種改良された新種。これは形と色が綺麗だっていう触れ込み」  説明しながら、唐島はその場でショートケーキの仕上げを始める。  四角く焼いたスポンジケーキの厚みを、ナイフですっぱりと半分に切る。業務用冷蔵庫から七分立てにした生クリームを取り出し、パレットナイフで切り口に塗る。苺を並べ、スポンジを重ね、上にも均等に生クリームを塗っていく。端を切り落とし、生クリームを絞り出して苺を飾り、「メリークリスマス」と書かれた小さな紙片とイミテーションのヒイラギの葉をあしらう。最後に銀のアラザンを数粒ぱらぱらと散らす。
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