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「唐島」
喉の奥に張り付いたものをはがすみたいに、声を絞り出す。でも唐島は聞こえないのか、聞こえても無視をしているのか、コックコートの背をこちらに向けてそのまま歩き去ろうとする。薫はすがりつくようにその背中に声をかけた。
「ごめん」
好きになってしまったりして。
彼の足がぴたりと止まった。だが次の瞬間、その姿はドアの向こうへと消えてしまう。
「唐島!」
その叫びは、もう彼には届かない。
自分は、どこで間違えてしまったのだろう。
初めて唐島に触れられて動揺したあの日だろうか。もう一度彼に恋をしていることを自覚してしまったあのときだろうか。試食なんて引き受けるべきではなかったのだろうか。
いや、それを言うならそもそも唐島と再会してしまったのが過ちだったのか。
どこまでも続く後悔の迷路の奥へと、薫は引きずり戻されていく。身体の中で負の感情が渦を巻いて、摩擦熱がそのまま体温に変換されていくみたいだった。
どうして、ささやかながらも優しい思い出だけで満足しておかなかったのだろう。自分の恋心を打ち明ける勇気もないくせに。
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