望郷

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 八重の拙い独逸語ににっこりとほほ笑んだトラッヘンベルヒ伯爵は自分の腕にハナ様の手を乗せてその上から自分の手を添える。八重は柔らかな感触を失ったその手を自分の体の前で握りしめると頭を下げた。 「いってらっしゃいませ、ハナ様」  八重の後ろに控えていた館に使える多くの使用人たちが、同じように頭を下げた。  ハナ様は何度も振り返って二頭立ての馬車に乗り込み、船の出る横浜港へと出発された。目の覚めるような山吹色のドレスで遥か遠い異国の地、独逸へと旅立たれたのだった。  八重はハナ様を見送った後、東京駅へと行って汽車に乗った。汽車で三時間の距離にある西那須野駅を目指した。ハナ様の計らいで八重は二等車に乗って戻ってくることが出来た。  そして、西那須野駅で待機している人力車に乗せて貰い、今、那須野が原に戻ってきた。  那須野が原は何も変わらず、いつもと同じように冬を終えようとしていた。木々から雪の名残の雫が滴り落ちていて、雪だまりを水玉模様に変えている。鳥たちが人力車に驚き飛び立つと、枝がぴょんと跳ねて雪がパラパラと落ちていった。
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