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「正……ちゃん」
背広姿の正雄は今まで見た中で一番輝いて見えた。戸口に立って少しばかり照れた顔をして「ただいま」と、正雄は被っていた帽子を取り胸の前で抱えた。
「ただいま……って」
八重には自分でもその後自分でなんと言いたかったかなど、わからない。ただ、もういてもたってもいられずに立ち上がると、正雄の胸へと飛び込んでいた。
「ああ、帽子が……」
ボヤいたのは菊で、正雄の方は空いている片手で八重をしっかり抱きしめてくれていた。
「お前が待っているって聞いてたから……」
「正ちゃん、居なくなっちゃって……居なくなっちゃってたから……正ちゃん」
八重は自分がさっきから何が言いたいのか、何が伝えたいのか、どうしたらいいのか混乱しきっていた。涙でせっかくの正雄の顔はしっかりと見られないし、頭の中は霞がかかってしまっているし。とにかく、正雄が目の前にいて、自分を抱きとめてくれていることが夢みたいだった。
「だから、ちゃんと貰いに来たんだ。約束したろ?」
俯いて苦笑する正雄を見上げた八重の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「私がここにいることを忘れて貰っちゃ困るんだがね……」
菊が椅子に腰を下ろしたままぼやいたが、口調は幾分楽しそうであった。
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