75人が本棚に入れています
本棚に追加
ざっざと、新緑の那須野が原に馬車の音が響きだす。
八重はぴんと首を伸ばして、慌てて娘の千鶴を抱き上げて翌檜の木の下に立った。
「やっと来たか。それにしたって、そんなに首を長くしたって飛んできやしないんだ、落ち着いたらどうだ?」
正雄は読んでいた米国の辞書を自分の傍らに置くと、下から八重を見上げた。一心に杉並木の先に視線を投げている八重は既に泣き出しそうで、正雄はフッと笑いを漏らして、自分も立ち上がる。
「四年ぶりか」
並んで立つ正雄が、八重の腕の中から千鶴を譲りうけて、肩車をした。
「行っておいで」
正雄の言葉に背を押され、八重は一歩,二歩と歩みを進める。そして、どんどん近寄ってくる馬車に向かって堪えきれず走り出した。
「はは、千鶴。母は父よりハナ様が好きだとよ。困ったやつだな、本当に」
正雄は苦笑しながら言うと、母親の興奮が移ったようにじたばたする娘を肩から胸に下ろし、大きく手を振りながら走っていく八重の後ろ姿をのんびりと追いかけていった。
終わり
※この作品は史実に基づき書いている部分もありますが、フィクションです。
最初のコメントを投稿しよう!