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でこぼこ道を人力車が一台、那須野が原を駆け抜けていく。勾配はきつくないとはいえ、上り坂。はやる気持ちを抑えきれない八重はじっとしていられず、やや身を乗り出すように雪が解け始めた高原を見つめていた。
「これっきりってことはないのよ。そうでしょう?」
ハナ様はそう言って、しかし今生の別れを惜しむように涙をこぼして八重の手を握っていた。港まで見送ることなく東京で別れることになったので、ハナ様の旅立ちの朝、八重も那須高原へと戻ることになった。
「Lass uns langsam gehen《そろそろ行こう》」
「Aber《でも》…… 」
後ろで二人の別れを見守っていたハナ様の旦那様であるトラッヘンベルヒ伯爵が渋るハナ様の肩をそっと撫でた。
「また会えるわ、お待ちしておりますから。八重は那須野が原にずっとずっといます」
そう言ってから八重が先に手をするりと抜いた。トラッヘンベルヒ伯爵は礼を言うように八重に頷いたので、八重も頷いた。
「Herzlichen Glückwunsch zur Hochzeit《お幸せに》」
「Danke schön《ありがとう》」
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