朝焼けに恋う

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朝焼けに恋う

小さな頃からこんな田舎、出てってやるってずっと思っていた。 私だったら、地元の幼なじみ同士で結婚なんて死んでも嫌だ。 「夕夏、ちょっと飲みすぎじゃない?」 故郷の友人の結婚式に出席した私は、いつもより酷く酔っぱらっていた。 隣に座る小中高と一緒だった佐奈子が水を勧めてきたけれど、気にせずワイングラスをあおる。 「だってこういう場じゃないとおしゃれなワイン飲めないでしょ。田舎のスーパーに置いてあるのは安いテーブルワインなんだから」 そう言ってやると佐奈子は「そんな田舎に住む私に失礼じゃないの」とむくれた。 「夕夏、佐奈子!新郎新婦と一緒に写真撮りにいこーよ!小学校メンバーで写ろ!」 別のテーブルから小学校からの面々が声をかけてきたので、私たちは顔を見合わせ席を立った。 今日の主役の彰浩と唯奈は、子供のころからの幼馴染だ。 田舎によくある、小中高クラス替えなしのメンバーだからプライバシーも何もあったもんじゃない。 正直言えば、本当は今回の結婚式も出席しないつもりでいたくらい。 ……しかし両親が「唯奈ちゃんのご両親にはうちの娘も出席するからって言っといたから!」なんて電話で言ったもんだから出席せざるをえなかったのだ。 そして結婚式に出てきたら、地元メンバーと帰省メンバーのごった煮で噂話の嵐だ。 「みんな来てくれたんだ!嬉しい~!本当にありがとう!」 唯奈は相変わらず色白で小柄で可愛かった。まるで鳥のひなのようにほわんと温かく、クラスの男子は必ず一回は唯奈のことを好きになるほど。 「だって唯奈の結婚式でしょ。おまけに相手はガキ大将の彰浩だし。本当なのか確かめにこようと思って」 そう茶化してあげると、隣に座る新郎の彰浩がアルコールで真っ赤にさせながら抗議してきた。 「お前の減らず口は相変わらずだな!唯奈が俺の嫁になってくれたのは俺がいい男の証拠だろ!」 小学校メンバーの女子たちはその声を聴いて大爆笑していたところ 「まぁまぁ、そう彰浩をいじめてやんなよ女子」 よく通る声で彰浩を庇ったのは、秀太だった。 秀太は「とうとうこちら側へようこそ」と彰浩に笑いかけて乾杯をした。 「こちら側って何よ~まるで結婚が不憫みたいじゃない」 「秀太!ほんともっと女子たちに言ってくれ!俺悪い男じゃないよな!?」 「彰浩、お前はいい男だ。だけどな?本当にいい男は自分から他人にいい男だと同意を求めないものだぞ」 「お、お前~~~~!!!」 気の抜けたやりとりに一層大笑いをし、式場スタッフにカメラやスマホを預け何枚か写真を撮ってもらう。 それぞれ席へ戻ろうとしたとき秀太が近づいてきた。 「夕夏、お前いつ帰ってきたんか」 秀太と会うのは成人式以来だから8年ぶりくらいだ。 秀太はいわゆる理系男子で、クラスではよく勉強もできた。運動は少し苦手みたいだったけど野球を見るのは好きだった記憶がある。よくポテチについてた野球カードをあげていた。 たしか隣町の自動車整備専門学校に進んだって成人式の時に話してた気がする。多分そこから彼は地元就職組になったんだろう。 ただ変わったのは、ずっと眼鏡だったけれど今はコンタクトを入れたのか眼鏡をかけてないということ。背もすらっと高くなって、ただのひょろひょろじゃないということ。 ……そして左手の薬指には鈍色に光るものが嵌められているということ。 「いつっていうか、昨日の夕方。だけど明日の午後に帰るよ」 ヒールのまま立ち話が億劫で席に戻ると、何の躊躇もなく秀太は佐奈子の席へ座った。 会場を見渡したところ、すっかり会場は無礼講となったのか佐奈子は全然違う席で飲んでいるようだった。 「これ、お前んとこのおばさんに渡しといて」 スーツの内ポケットから出してきたカードを秀太から受け取る。 「何これ」 「新しくできたスーパー銭湯の回数券。っても5回分だけで悪いけど」 「いや、そうじゃなくて。っていうか別にうちのお母さんに気を使わなくていいのに」 「うちの5歳の娘がさ、こないだスーパーにお使いに行ったわけよ」 娘という言葉を口にしたとたん、秀太の口元が少しだけほころんだ。 私は、5歳なんだ。女の子なんだ。ふーん。と妙に白々しい気持ちになる。 「娘がカレー用の肉を買おうとしたときに何の種類か分からなくて、たまたま買い物にきてたおばさんが色々と手助けしてくれたみたいなんだよ」 「そうなんだ。じゃあ渡しておく」 「ありがとな。ほんとそれだけなんだけど。あ、そういやお前って結婚したんだっけ」 「それセクハラ。娘が年頃になった時に嫌われるよ。……結婚はしてないけど、付き合ってる人はいる。っていうか、実はプロポーズされて、来年あたり結婚することになった」 「まじか!おめでとう!住まいも東京?」 「私の実家は妹夫婦が近くに住んでるからこっちには住まないと思う」 「でも良かったな」 「え?」 「だってお前、小さい頃から『自分は絶対に東京に出てく!』って言い張ってたもんな。夢を叶えたってわけだ」 夢を叶えた。 夢って、こういうことを言うものなのかな? 改めて人からそう言われると、なんだか違うような気がしたけれど口に出すのは面倒くさい考えな気がしてやめた。 少し世間話をしたところで「ここで新婦よりご両親へ手紙の贈り物があります」と司会者の落ち着いた声が会場に響いたので「じゃあ俺も席にそろそろ戻るわ」と秀太は席を立った。 入れ違いに戻ってきた佐奈子が秀太の背中をちらりと見て、ニヤニヤしながら私を見る。 「初恋に火が付いた感じ~?どうするプレ花嫁~?」 「ばっかじゃないの。秀太は既婚者でしょ」 「あれ?あんた聞いてないの?半年前にダメになってるよ。まだ離婚届出してないらしいけど。奥さんのほうが男作って出てったんだよね」 「はぁ!?」 「シ────ッ!声でかい!」 佐奈子は慌てて私の口を手でふさいで、こっそり耳打ちした。 「秀太ん家は同居だったし、なんかそれが嫌になったみたい。高速インターの下がラブホ街じゃん。目撃談そこなんだよね」 「それ、秀太の娘さんの耳に絶対に入ってないよね」 「そこまで下世話じゃないよ。だけど、小春ちゃんが大きくなった時が心配。こんな狭いとこじゃ、絶対知っちゃう時がくるからさ」 小春ちゃんって言うんだ……。 少し地元に帰ってきただけなのに知りたくもない事を無理やり知らされる事はやっぱり居心地が悪いと思った。 ほどなくして新婦から両親へ贈る手紙がはじまり、最後に彰浩の男泣きの挨拶に終わり、結婚式は盛大にお開きになった。 二次会に誘われたけど疲れていたので私は真っ直ぐ帰ることにした。 お母さんに預かり物を渡すと「別に良かったのに!」と申し訳なさそうだった。 秀太の事情をとっくに知っていると思ったのか、お母さんからも特に何も言われなかったので、面倒くさい話にならないうちに私はお風呂場へと逃げた。 翌朝、客間に出された客用布団は暖かいはずなのに、肌触りが慣れないせいか早く目が覚めてしまった。 障子からさす光のせいで天井がうすら明るい。 起きることにした私は障子をあけて外を見た。 空は白みはじめるもまだ夜の名残が残っていて、黒い山の影の向こう側はほのかに赤く染まり始めていた。 私は着替えを済ませ、最小限の物音で顔を洗って軽く化粧水をはたくと、そっと玄関を出た。 薄手のワンピースは当然だけど朝には少し寒かった。余計な上着なんか持ってきていなかったのだからしょうがない。 向かう先は、家のわりと近くにある河川敷。数年前に舗装された遊歩道の土手沿いを歩く。 普段なら絶対にこんなことしないけど、朝日が昇ることによって変化していく空と、影の色も変わる山並み。絶え間なく流れる川がキラキラ光っていく様子をどうしても目に焼き付けたくなった。 だってどれも私が暮らす街にはないものだから。 朝焼けの綺麗さに思わず口から言葉にならない息が漏れる。 「あれ?夕夏じゃん」 聞こえた声に振り向くと、驚くことにそこには秀太がいた。 昨日とは違って眼鏡姿で、服だってヨレヨレの白いカットソーにデニムで足元なんか今時つっかけサンダルだ。全然かっこよくない。昨日少しでもかっこいいなんて思った自分を呪った。 手には犬のリードを下げている。 「おはよう。犬の散歩?」 「いかにも。お前は?」 「自分の散歩だよ。……なんか布団が慣れなかったのか、目が覚めちゃって」 「実家なのに?」 「実家だけど寝てる部屋は客間だし客用布団だし、かつての部屋には使われなくなったワンダーコアとかエアロバイクが占領してた」 「帰省あるあるじゃねーか」 秀太は犬の首輪からリードを離した。 よく躾けられているのか犬は河川敷へと真っ直ぐ駆けていき、散策したり水際で遊び始めた。 秀太は隣で朝日に向かって伸びをし「くぁ……」と少し眠たそうに欠伸をする。 「いつもこんなに朝早く散歩してんの?えらいね」 「夜は娘の寝かしつけで一緒に寝ちゃうからさ」 「小春ちゃん、って言うんだね。佐奈子から聞いたよ」 私は色んな事を知った意味も含めてそう言ったら、秀太は全部分かったのか「……そっか」と、穏やかにほほ笑んだ。 しばらく、二人並んで空の模様と秀太の犬を眺めていた。 私はなんだか懐かしい気持ちになっていた。 何も言わなくても秀太は居心地のいい男の子だった。 私が怒られたときや悲しい時、しばらく家に入りたくないときは決まってここの場所に座って川や空を眺めていた。 秀太はそれを知っていて、何だかんだ付き合ってくれた。私が「もう帰る」って言いだすまで。 ポテチの野球カードもここであげたんだっけ。 「なんだよ、急に笑って。気持ち悪りぃな」 「思い出し笑いしただけ」 「夕夏」 「なによ」 「幸せになれよ」 ふいのエールに秀太を見ると、秀太と目が合った。 そして秀太の輪郭の片側が強い赤色に染まったのを見て、ああ朝焼けだ、と私は朝日のほうへと向こうとした時、強い力で秀太に抱きしめられた。 時じゃなくて、息がとまるかと思った。 そもそも一瞬、何が起きたのか分からなかった。けれど、拒む気持ちは1ミリも頭によぎらなかった。 「幸せになれよ」 「なんで今、なの」 「分かんね。てかお前体冷えすぎ」 くっつきあう胸。服越しに秀太の心臓が大きく脈打っているのが伝わる。 「聞きたいことがあるの」 「何?」 「小春って名前。偶然だろうけど」 「春生まれだからに決まってるじゃん」 「だよね」 「……でも、季節の名前が入ってんの可愛いなって、お前の名前で子供の頃から思ってたのは本当」 「言っておくけど私は絶対に、秀の字も太の字も入れる気なんかないから」 そう言うと秀太は「ぶはっ!お前本当に面白いな!」と爆笑して、体を離した。子供の頃から何一つ変わらない笑顔。 私の知ってる秀太だった。 「秀太は、結婚は幸せだった?」 「……幸せだったに決まってんじゃん。じゃなきゃ小春にも会えなかったし。……向こうにはそう思ってもらえなかったけど」 もう空はすっかり明るくなっていて、犬が退屈そうに秀太のところへ戻ってきて、慣れたようにリードを再びつけてもらうのを待っている。 「言われなくても、私は幸せになるよ」 「お前は昔から有言実行だからな」 「それに、私が彼を幸せにしてあげるんだから。そうして二人で幸せになってくんだから」 言い放ってやると、強い光が私たちを照らした。 さっきまで燃えるように赤かった朝日はただの光になってあたりをつつんで、冷えた空気はだんだんと柔らかくなっていく。川はより一層強い輝きを放っていて、山の緑が目を覚ます気配がした。 「元気でな」 「秀太も」 さっきまでの抱き合った時間は幻だったんだろうかと、ふと思った。 だけど、幻でもいいような気がした。 だって私と秀太のゴールはそういうものじゃないって、分かったから。 私にとっての秀太は、秀太との思い出は、恋愛というゴールに当てはめた途端にきっと色褪せてしまう。 秀太とは恋にはならなかったけれど、だけど恋とは別にして自分にとっては大事な人だと思ったから。 つらい時も、楽しい時も、ほんの少しだけ心の隅っこにいる故郷の大事な幼馴染だと分かったから。 好きとか、愛とかの種類はひとつだけじゃない。 どこにいても、どれだけ時間がたっても、好きとか愛とかの次元では括れないような大切な人がいる。きっと、家族とかそういうもの。 今よりもっともっと、秀太がこの先ずっと幸せに生きていけますようにと、私はただ素直に朝日に願った。 ー了―
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