あの日の笑顔

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「佐樹さん」 「ご飯にしよう」 「……はい」  少し拗ねたような顔をするがあやすみたいに頭を撫でたら、諦めたのか優哉は小さく息をついた。込み上がってきたあくびを噛みしめてリビングへ向かえば、その後ろをついてくる。  暖かい布団から抜け出すとひんやりとした空気で肩がふるりと震えた。その寒さが我慢できずに急いでエアコンのスイッチを入れる。十二月半ばにもなるとやはり朝はかなり冷える。もう少しで年末かと思えば一年の早さも実感した。 「今日は天気良さそうだな」 「そうですね。崩れる心配はないって昨日の天気予報では言ってましたよ」 「今日は晴れの日だから、なによりだ」 「あいつはわりと晴れ女ですしね」  雲一つない冬の空。寒さできっと外は澄んだ空気だろうと思う。深呼吸をしたいところだが、ようやく暖まってきた空気を逃したくはない。キッチンからバターの香りが漂い出したのを感じて、僕はカウンターに足を向けた。  向かいで朝ご飯を作っている優哉と時折視線を交わらせながら、コーヒー豆を手挽きする。そうすると香しい匂いに鼻がすんと反応してしまう。優哉のお店でも出しているこのブレンドコーヒーは豆を取り扱っている専門店から仕入れていて、香りもさることながら味もとにかくいい。  まろやかさとほのかな酸味、優しい甘みが黄金比率のようにかけ合わさっている。大げさな物言いだが、コーヒー党である僕のここ最近のお気に入りだ。毎朝飲んでも飽きることがない。 「佐樹さん、ジャム食べます?」 「ジャム? 作ったのか?」 「ええ、昨日みかんとキウイが安かったので」 「へぇ、キウイのジャムって初めてだ。食べる」  冷蔵庫から取り出された瓶に目を輝かせていると、チンとオーブントースターが音を立てた。まだフライパンを握っている優哉に視線を向けられて、いそいそそちらへ足を向ける。彼と暮らすようになって買い替えたトースターは四枚焼きでとても便利だ。  初めて使った日は朝の忙しい時間に二人分いっぺんに焼けて感動した。ものなんて使えれば、と言う考えの僕では考えが及ばないが、優哉がいるとなんでも効率的になる。 「いただきます」  淹れ立てのコーヒーにふっくら焼けたトースト。スクランブルエッグと手作りのポークウィンナー、アボガドと海老のマヨネーズサラダ。それに見るからにおいしそうな二つのジャム。  相変わらず隙のない朝食メニューだ。わりと手作りのものが多いので大変ではないかと思うのだが、作ったほうが安いと言うこともあるらしい。  僕としては毎日おいしいものを食べさせてもらえてありがたさしかない。こうして二人で並んでカウンターで朝食を食べるのもだいぶ馴染んできた、なんて思いながら横顔を見つめると不思議そうに振り返られる。 「どうかしましたか?」 「ん、いや、平和で幸せだなって思って」 「もうこれからは平穏に暮らしていきましょう」 「うん、ほんとだな」  目を瞬かせて驚いた顔をしたけれど、優哉はすぐに優しく笑った。しみじみとするような言葉に頷いて僕も笑みが浮かぶ。こんなに穏やかに過ごすことができるいまが本当に嬉しい。以前はほんの小さな幸せがとても大きなことのように感じるくらいだった。  いまだって小さな幸せも大切だし優劣もないけれど、それでもこのゆったりとした時間はいまだからこそ得られるものだ。 「んっ! キウイジャム旨い!」 「良かった」  かぶりついたトーストだけで幸せだって笑えるなんて、なんだかお得な気がした。それに加え恋人の柔らかい笑顔を毎日見られるなんてプライスレスってやつかな。そうを思ってふいに含み笑いしたら、優哉は目を丸くして驚いた。でも幸せ幸せって心の中で何回も繰り返した。  そう思えば思うほどにこの瞬間が輝き出していきそうに思える。相手を幸せにするためにはまず自分が幸せにならなくてはいけない、そんなことを言ったのは誰だったかな。でもその通りだ。  二人で生きていくならお互いに幸せにならなくては先行く未来は明るくならない。お互いがプラスにならないなら、なんてそんなことを言っていた頃が懐かしい。
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