あの日の笑顔

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「佐樹さん、ここまででいいよ」 「でも披露宴まで三十分くらいあるし、駅まで五分くらいだろ」 「……じゃあ、コート。そのままじゃ寒いですよ」 「あ、うん。待ってて」  本当ならこんな我がままを言っている場合ではない、わかっているけれど寂しいって思ってしまうのは止められない。今生の別れでもあるまいし、と自分の感情に呆れも湧いてくる。それでも受け止めてくれる優哉に甘えずにはいられなかった。  駅まで送ってくることを峰岸と渉さんにメッセージで伝えると、慌ただしくコートを着てから待っていてくれる恋人の元へ急いだ。 「ごめんな、帰るって言ってるのに引き止めて」 「いいですよ。正直言うと俺もちょっと寂しいんです。人の幸せを見てると自分も、って思ってしまうでしょ。今日は佐樹さんにあんまり触れられてないし、出掛ける前にもっと抱きしめておくんだった」 「うん、今日が終わったらいっぱい抱きしめてくれ」 「はい、必ず」  自分で言って恥ずかしいけれど、優哉が嬉しそうに笑ってくれるから胸が温かくなる。これまで一度も僕の我がままに呆れたり怒ったりすることもなかった。ちょっと優しすぎじゃないのかって思うのだが、もし僕が彼に我がまま言われたら嬉しいなって思うから、そういう気持ちなのだろうかとも思う。  いつか喧嘩とかしたりするんだろうか。ずっと一緒にいたらたまには腹立つことが出てくる? しかし正直言うとあんまり想像がつかない。それでも腹が立つ、じゃなくて怒るとしたら、彼が無理をする時かもしれない。  自分を大事にしなかったら怒るかな。きっとそれは優哉もそう思っているだろうとは思うが。 「僕と優哉は、似てないようで似てるのかな」 「え?」 「なんかどこか近いところがあるのかなって」 「うーん、でも俺は佐樹さんみたいに優しくなれない時もありますよ。ちょっと佐樹さんはお人好しなところもあるし」 「お人好しは余計だけど、優哉は僕よりすごく優しいと思うけどな」  なぜだか彼は自分に対する評価があまりよくない。見えている部分だけではない影があるようなことをよく言う。優哉が腹黒いだなんて感じないけれど、僕に見せまいとしているところがもしかしたらあるのかもしれない。  どんな一面を見たって嫌いにならない自信はあるんだけどな。 「佐樹さんは俺を評価しすぎだよ」 「お前は過小評価がすぎる」 「俺はあなたほど優しい人間を知らない」 「そして僕を過大評価しすぎだ」 「本当なのに」  思わず眉間に力が入ったら困ったように笑われた。僕はものすごく我がままだし欲張りだし、こうして受け止めてもらえるのが不思議なくらいだ。彼は弱さを見せてくれるけれど、奥底にある本音をあまり見せてくれない。それがちょっと寂しい。 「お前はどうしたら素直になるんだろう」 「なんですか、それは」 「すべてを知りたいなんて言わないけど、お前がなにかを我慢することは、させたくないな」 「ほら、佐樹さんは優しい」 「違うよ、優哉みたいに人の気持ちをおもんばかって行動するそういう人が本当に優しいんだ。……不器用とも言うけど」  たぶん彼は優しすぎて不器用で、ちょっとだけこじれている。これまで歩いてきた道の中で、それはもう染みついてしまった部分なんだろう。いまから変えるのはきっとすごく難しいんだ。  変わって欲しい、そう思うけれど――受け入れてあげる部分なのだろうな。でも黙って見ているだけなんてできないとも思う。 「僕はお前が幸せになるように寄り添っていきたいと思うよ」 「……ありがとう。あなたは本当に優しいよ」  そっと回された手に抱き寄せられて頭に頬を寄せられる。その仕草に精一杯の歩み寄りを感じた。  前よりずっと前向きになって、性格だって明るくなって、人と付き合うことにも慣れて、彼はたくさん変わったところもある。それは一緒に過ごしてきた家族のおかげなのだろう。僕も彼に影響を与えられるような人間になりたい。 「じゃあ、佐樹さん、またあとでね。送ってくれてありがとう」 「うん、なんかここまで来るのにのんびり時間かけてしまってごめんな」 「いいんです。俺も嬉しいから」  駅までの道のりを行きよりもだいぶ時間をかけて歩いてしまった。それでも優哉は僕の両手をそっと握ってくれて、優しく笑みを浮かべてくれる。改札を抜けて姿が見えなくなるまで見送ると、僕はちょっとだけ重たい足で来た道を戻った。
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