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「ほら、優哉もこっち気にしてる」
「いや、でも」
「もう始まっちゃうし、いまだけだよ」
「んー、そうだけど」
「じゃあ、俺はあっちにいるから」
いつまでもはっきりしない僕に大丈夫大丈夫と言いながら、さっさと三島は峰岸のところへ戻ってしまった。そのままあとを追いかけても良かったのだが、視線を感じる。ゆっくりと振り返ればまたまっすぐと視線が重なった。
その眼差しに逡巡する気持ちとは裏腹に足が勝手に動いてしまう。少し周りへ視線を向けると、誰もこちらの様子を気に留めていないのを確認して厨房前にあるカウンターテーブルに近づいた。
「やっと来てくれましたね」
「だって、お前仕事中だし」
「目の前にいるのにそのままは寂しいです」
「ご、ごめん、悪かった」
「いえ、ありがとうございます」
「うん」
こういう時にありがとうって言える優哉はやっぱり優しい。こういう気遣いは誰でもできるわけではない。しかし僕にも優しいけれど彼は家族や友人にも優しい人だ。昔は優しすぎて傷つくことも多かったけれど、いまはそういう部分は少なくなったように思う。
「いままでどこで時間を潰してたの?」
「ああ、ほらお前が前に教えてくれたケーキ屋さん。商店街にある」
「ガトーイムラですね。おいしかったでしょう?」
「うん、いまの時期限定のプチブッシュドノエルがあってさ。ちょっと大きめだったんだけど誘惑には勝てなかった」
来週はクリスマスなのでほかにも限定のケーキがたくさんあった。目移りしたと言ったら今度お土産に買って帰ろうかと言われて、前のめりに返事をしてしまう。三島や峰岸のケーキも一口ずつもらったけれど、チーズケーキもフルーツケーキもおいしかった。
「そういやコーヒーがさ、ここのと似た感じだったんだ」
「コーヒーはあそこの店主さんにお店を紹介してもらったんですよ。さすが佐樹さんコーヒー党ですね。味に気づくなんてすごいです」
「焙煎の感じが近いなって思って、そっか、そうなんだ」
毎日コーヒーを飲んでいる自分も伊達ではないなと我ながらちょっと感心してしまった。しかし少し得意気になっていると微笑ましそうに笑われる。気恥ずかしくなって視線を落としたら、小さな声で可愛いと囁かれた。
その言葉にじわじわと熱くなる頬と耳。火照りを誤魔化すようにシャンパンに口を付けるけれど、なんとなくいたたまれなくなってしまう。
「そろそろ二人のところに戻るな」
「……はい。あ、あとで少しは食べてくださいね」
「うん、わかった」
最後にもう一度視線を合わせて、微笑んだその顔につられるように笑みを返した。本当ならもう少し話していたいけれど、これから出す料理の準備中だから大人しく踵を返す。戻ってきた僕に気づいた二人にまだ時間あるけど? なんて言われて恥ずかしさが増した。
「なんか二人は熟した夫婦のように感じることもあるけど、付き合いたてのカップルみたいな可愛さもあるよね」
「二人して惚気が半端ないからな」
「そうそう、優哉もわりとすごいよね」
「いいだろ、別に」
ずっと僕は優哉に恋をしている。けれど心はいつまで経っても初恋みたいな初々しさがある。どれだけ時間が流れても初めてみたいな想いを胸に抱く。それは慣れないとか距離があるとかではなくて、いつでも新鮮な気持ちで日々を過ごし、彼をますます好きになっているのだと思う。
いままで傍にいなかった時間が長かったから、それもあるけれど、優哉といると自分が少しずつ成長して変わっているのがわかる。一枚一枚、薄衣を剥がすみたいに新しい僕が生まれて、そのたびに彼を好きになるような。
僕は一度大きな失敗をしている。だから少し慎重になっている自分にも気づいているが、それほど臆病にはなっていないと思う。いまでも時折思い出すけれど、あの頃よりマシになった自分を確かめて安堵している。
ちゃんと人を好きでいて、思いをかけられて、相手に優しくあれる。昔の僕はきっと心に余裕がなかったのだろう。でもいまは一呼吸置いて周りを見渡せるようになった。それはやはり優哉という存在がいてくれるからだ。
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