あの日の笑顔

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「先生、今日は最後までありがとうね」 「こちらこそ、呼んでくれてありがとう。二人を見ていると僕まで幸せな気持ちになる」 「……それはね、私の台詞。西岡先生はこれからもっと幸せになってね」 「え? これは?」 「んふふ、私からの感謝の気持ち」  小さなギフトとは別に胸ポケットに白い薔薇が挿された。それに首を傾げると彼女は満面の笑みでまたありがとうと言った。その言葉の意味を確かめたかったけれど、列をこれ以上ここで止めるわけにも行かず仕方なしに外へ足を踏み出した。  真っ白な花弁のそれは生花だった。ほかの人たちには贈られてはいなかったその贈り物に歩みを止めると、後ろからやって来た峰岸が僕の頭を撫でる。口の端をニヤリと持ち上げたその表情に目を瞬かせたらまた乱雑に撫でられる。 「これ、どういう意味があるんだ?」 「そういうのは自分で調べりゃいいのに」 「峰岸って花言葉とか知ってるの?」  さらに後ろからやって来た三島が胸の薔薇と峰岸の顔を見比べた。けれどその反応に肩をすくめた彼は黙って歩き出してしまう。それを追いかければ肩に腕を回されて引き寄せられた。 「え?」  耳元にぽつりと呟かれた言葉がふんわりと心の中に広がる。そして今日、自分をエスコート役として指名してくれたあの瞬間、彼女が最後に語ってくれた言葉、それらが繋がりむず痒さを覚えた。大人としての自分を少なからず慕ってくれていた、それは感じていたけれど、まっすぐと伝えられると照れくさくなる。  ――あなたを尊敬します。  一輪の白薔薇に込められた彼女の言葉にこれまでの人生、歩いてきた道のりを誇れるような気持ちになった。教師という仕事をしてきて、いままで近しいことを言われたことはある。  それでも人生の岐路に立った彼女の言葉にはほかにはない重みとぬくもりを感じた。これから歩き出す人たちの道しるべになれたことが嬉しい。僕たち二人の想いが人の心に与えたものがあることがなによりも胸を震わせる。 「薔薇は愛情の意味を持ちます。中でも白薔薇には純潔という意味がありますが、純粋な愛、深い尊敬などと言う言葉も含まれます。……ふぅん、なるほど」  マンションの最寄り駅は電車で三つほどで、優哉の店を出たあとは車内で峰岸と三島と別れた。目と鼻の先にある我が家へ向かいながら花言葉を携帯電話で調べる。白い薔薇は結婚式でもわりと定番の花のようだ。  いままでなにげなく見てきたが、確かに花嫁が持つブーケは白薔薇も多かったかもしれない。 「とりあえず、コップでいいかな」  部屋に着くと一番に背の低いコップに水を入れてそこに薔薇を挿す。水気がなくならないように水が入ったプラスチックケースに収まっていたのでまだ瑞々しさは残っている。今度はそれを持って寝室に行くと、灯りを付けてサイドボードの上に置いた。  そして床に座るとイーゼルに立てかけられていたものに目を向ける。大きなパネルに引き伸ばされたそれは披露宴で見たあの写真。僕と優哉の笑顔が映し撮られたものだ。片平が新生活と開店の祝いだと僕たち二人に贈ってくれた。  本当ならもっと早くに渡したかったと言っていたが、一人これを見て寂しくなってはいけないと、いまと言うタイミングを選んでくれたようだ。 「いままでの僕はそれほど誇れる人間ではないと思ってきたけど、みんなと一緒に成長してきたのかな」  失敗してばかり、俯いてばかりだった過去の自分は、いつの間にか周りの人たちに背中を押されて進み始めていた。つまずいても転んでも傍で見守ってくれる彼らに救われていたんだと気づかされる。  そして離れていても想い続けてくれた恋人に、僕はいまを生かされていると言ってもいいだろう。人との出逢いはどんなものでも感謝したくなる。それがたとえ幸せだけではないとしても、必ず自分の心の奥底に礎を築く。  揺るがないよう倒れないようその一つずつが僕を支えるものになる。 「十年前の僕、いまは辛いかもしれないけど、僕は必ず幸せになるよ」  あの頃の僕には想像すらできなかった幸せ――いまその中で生きている。きっとこれ以上の奇跡は起きないと思うから、二度と手放したくないと思う。愛する人と過ごすいまを、僕はもう絶対に見失ったりしたくない。
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