あの日の笑顔

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 いまの僕を見たら彼女は笑ってくれるだろうか。想いと心がズレてしまう前は、僕たちのあいだにはいつだって笑みが絶えなかった。そしてこれからも一緒にいよう幸せになろうって約束を交わした。  その誓いは守ることはできなくなってしまったけれど、いま前を向く僕に君は笑ってくれるだろうか。これからは優哉と幸せになるからと、そう告げてから五年も過ぎた。相変わらずのんびりだねって笑って言ってくれるかな。  この部屋に一人きりでいることにも随分と慣れた。あの頃みたいに素直に毎日が楽しいって思えるようになった。けれど失敗が怖いって思うのは答え合わせができていないからだ。 「答え合わせなんてもう彼女とはできないのに、僕は馬鹿だな。もういい加減、忘れなくちゃ駄目だろ」  優哉と一緒にいるいまが幸せだと思っているのに、どうして過去のことが忘れられないんだろう。もう全部終わりにするんだってそう決めたはずなのに、立ち止まってしまう自分が嫌になる。  いまの幸せを身に染みるくらい感じているのに、ふと陰りに立ちすくむ。優哉に少しでも変わって欲しいなんて思っていたけれど、本当に変わらなければいけないのは僕だ。 「佐樹さん?」 「……あ、おかえり」  ぼんやりと写真を見つめていたら静かな空間に遠慮がちな声が聞こえてきた。それに驚いて肩が跳ね上がるが、急いで後ろを振り向く。しかし少し怪訝そうな表情を浮かべる彼に笑みを浮かべようと思うけれど、あまりうまくいかなかった。 「どうしたんですか?」 「いや、なんでもないよ」  そっと気遣うように歩み寄る彼は優しく髪を撫でてくれる。その優しさに少しだけ罪悪感が湧いてきた。また彼女のことを考えているなんて知られたら、気に病むだろうか。嫌な思いをさせてしまうだろうか。  思わず視線を外したら膝を折り僕の顔をのぞき込んでくる。それでも俯いていると両腕で抱き寄せられた。 「どうしたの? なにか不安になった?」 「なんでもないよ」 「それ、佐樹さんの悪い癖ですよ。俺に気を使って言葉を飲み込んじゃうの」 「なん、でも……ない」 「本当に、なんでもないなら、泣かないでしょう?」  震える声を抑えようとすると喉が詰まってこらえきれなかったものがこぼれ落ちる。こんな自分が嫌だ。彼のことだけを考えられない自分が嫌だ。けれど思い出は消し去ることはできないこともわかっている。  それでも僕のことを好きでいてくれる優哉を裏切るようで、胸が苦しくなった。どんな時でも彼は僕を問い詰めるような物言いはしない。僕が吐き出すまで辛抱強く待ってくれようとする。 「ごめん」 「謝らなくていいよ」 「ごめん、ごめ……んっ」  口を開けば出てくるのは同じ言葉ばかりで、それを優哉はやんわりと唇で塞いだ。僕の膨れ上がる感情を飲み込むみたいに口づけられた。何度も触れては離れる唇のぬくもりに胸が引き絞られるような気持ちになる。 「もう、いいですよ。結婚式、思い出しちゃいました? 昔のこと」 「ごめん、少し前は本当にいまが幸せだって思えてたんだ。今日はいい日だなってそう思ってたんだ」 「うん」 「これはもう終わったことだって思っていたし、いままでもそんなことがあったなってくらいで。……なのになんで僕は、こんなに弱いんだろう」 「佐樹さんは優しいから、大切に思った人を無下に扱えないだけですよ。そういうところ、俺は嫌いじゃない」 「優しくなんて、ない。お前を一番に考えられない自分が嫌だ」  いま一緒にいられることが嬉しい幸せだ、それだけでいいはずなのに、どうして振り返ってしまったんだろう。夢を見てしまったから、思い返してしまったから――けれどそれはいまさら考えることでも悩むことでもない。 「それは違うと思う。佐樹さんは、たぶん俺のことを考えすぎていま苦しいんですよ」 「え?」 「……あの人を、幸せにできなかったことを悔やんでいるんでしょう? もし俺のことも幸せにできなかったらって思ってるんじゃない? それってもう俺のことしか頭にないってことじゃないのかな」 「そう、なんだろうか」 「もうそれは、そうだってことにしておいてください。あなたを愛しているのも、あなたが愛しているのも俺だけ、それだけでいいでしょう?」  視線を落とした僕を優哉はきつく抱き寄せた。大丈夫って包み込んでくれるその彼の優しさにすくい上げられるような気持ちになる。  俯いているとぽつぽつと溢れたものがまたこぼれ落ちた。それを拭う手のひらに頬を撫でられて、引き寄せられて唇にぬくもりが触れる。愛されているなと思うのと同時に、目の前にいるこの男が本当に愛おしいなと思う。 「優哉、好きだ……好きだよ」 「俺もあなたが好きですよ。あなた以外もうほかにないから」 「うん、僕もだ」  両腕を伸ばして背中を抱きしめれば、すり寄るように頬を寄せてくれる。そして恭しく額にもキスをくれて何度も好きだと繰り返してくれた。抱きしめたらなんだか隙間が埋められていくような不思議な心地になる。
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