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「あったかい」
「……佐樹さん、それは冷えてるからだよ」
「ん、そっか。言われてみたらそうだ、寒い」
優哉の言葉に我に返れば、帰ってきてからエアコンも付けずに帰ってきたままの格好でいた。コートがなくても外より寒くないけれど冬の室内はやはり冷える。それに気づいてふるりと肩を震わせたら小さく笑われた。けれど抱きしめた熱が暖かくてぎゅっと背中を強く握る。
「お風呂、入りましょう」
「あ、うん」
「一緒に入りましょう」
「……え、あ、うん」
別に初めてというわけでもないのになぜだか胸が騒いだ。それを見透かされているのか、やんわりと微笑んだ優哉の瞳は少し意地悪く見える。その目から逃れるように肩口に頬を寄せたら髪を梳いて撫でられた。
「今日はお疲れさまでした」
「うん、優哉もお疲れさま」
湯を張っているあいだはなにをするでもなく、二人で浴槽の端に腰かけて今日の出来事を振り返る。エスコート役を任されて、夏休みに実家へ優哉を連れて行った時以来の緊張だったと言えば、それはなんとなくわかると頷かれた。
「色々思うところはあったけど結婚式っていいよな。幸せのお裾分けみたいな」
「じゃあ、俺たちもしましょうか、幸せのお裾分け」
「え?」
「結婚式しましょうか。どうせなら向こうで、佐樹さんの家族を呼んで。しないのかってよく言われてはいたんです。でも佐樹さんシャイだし、どうかなって思ってて」
「そ、そっか、そうなんだ」
「すぐは無理ですけど、もう少し店が落ち着いたら」
じっと見つめられて茹でられたみたいに顔が熱くなって視線が泳ぐ。けれどのぞき込まれると逃げ場がなくなり、耳にまで移った熱を感じれば身体全体が熱くなっていくような錯覚がする。
言葉を紡げずにいるとそっと近づいてくる気配を感じて、口先に自分とは違う熱が触れた。胸の音が耳元で響くような感覚。数センチ先で自分を見つめる瞳にますます高鳴っていく気持ち。溢れそうなその想いに視界が揺らぐ。
「泣き虫な佐樹さんも可愛いね」
「相変わらず余裕顔でムカつく」
「そんなことないですよ。もう胸がはち切れそうなくらいだから」
「ほんとだ」
そっと握られた左手を胸元に寄せられて、触れたそこから感じる音に自然と口元が緩む。澄ました先にあるその想いを知るとちょっとした優越感を覚える。彼が自分のものであることを実感して、どうしてもにやけるのを止められない。
そしてそんな僕の反応に優哉もとても嬉しそうに笑うから、惹き寄せられるように口づけた。驚いて瞬く瞳が優しく細められると唇が愛していると甘く囁く。それはいままで何度となく伝えられてきた言葉だけれど、いまはやけに胸に染みた。
「僕もだ、お前が愛おしくてたまらないよ。お前以外、欲しくないって思うんだ。重たいかな?」
「全然、もっと俺を絡め取るくらいに愛してくれていいですよ。あなたは俺のすべてだから、もっと欲張りになってくれていい。俺はそんなあなたを愛していくから」
そっと持ち上げられた左手の先に唇が触れて、胸がどんどんと鼓動を早める。風呂場の誓いのキスは様にならないと笑うけれど、高まった感情は一気にこぼれ落ちていく。突然ボロボロと泣き出した僕を両腕で抱きしめてくれる彼への想いで溺れそうになる。
「どうしたの?」
「わかんない、けど。なんかすごい幸せだなって」
「佐樹さんはほんとに欲がないから、俺はちょっともどかしいです。もっとたくさん求めてくれていいよ。もう俺だけでその身体の中を全部、埋めて欲しいくらい」
「もう結構お前でいっぱいだぞ」
「佐樹さん、俺が欲深いってことだけは忘れないでいて」
「……んっ」
両手で頬を撫でて額を合わせてくる仕草が可愛いなと思ったら、ふいに息を絡め取るみたいにキスをされた。けれどそこから逃げ出す気にはなれなくて、両手を伸ばして引き寄せる。触れる熱が恋しくなるのはいつだって彼だけだ。
強く心が求めるのは、彼しかいない。だからもっといっぱいにして欲しいって囁いたら、綺麗な瞳に涙を浮かべて笑う。
「優哉の笑ってる顔を見ると、幸せが十割増しだ」
「俺も佐樹さんの笑っている顔を見ると、愛おしさが溢れて仕方がない」
「両想いで良かった」
もっと大切にしなくてはいけない。彼のこと、自分のこと、ちゃんと抱きしめてなくさないように――失敗したら、繰り返さないようにすればいい。たくさんの人が傍にいてくれる、僕の行く先にはまだまだ可能性が満ちあふれている。
「これで片想いだったら俺は立ち直れないですよ」
「大丈夫だ。だってこんな気持ちになるのはお前だけだからな」
「佐樹さんは俺を喜ばせるのが得意ですね」
「うん」
顔をほころばせて本当に幸せそうに笑うから、この瞬間を撮り損ねたのがちょっともったいない。それでもこれからもこんな笑顔を浮かべてくれるように彼を愛していこうって思える。だからいまはこの笑顔は心の中にしまっておこう。
きっとこの先、何度だってその瞬間は訪れるはずだ。
あの日の笑顔/end
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