明日の空に射す光

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「もう男子、なにやってんの?」  ようやく玄関からリビングに移動すると第一声、佳奈姉の呆れた声が届く。その声に視線を向ければ、ソファで佳奈姉と詩織姉がお椀に箸を向けているところだった。ぞろぞろとやってくる僕らに二人は肩をすくめる。  けれど僕の後ろから優哉がやってくると表情を明るくした。その反応の違いは一目瞭然だ。奥さんの対応に保さんは優しく笑うけれど、アレクは少しショックを受けたのかしょんぼりとする。 「優哉くん久しぶり!」 「相変わらずのイケメンね。元気してた?」 「お久しぶりです。はい、おかげさまで」  こぞって声を上げる姉たちに優哉はやんわりと笑う。しかしあまりにも優しく笑うから、アレクに引き続き僕まで少しささくれそうになる。それでもそっと隣にある指先を握ったらきゅっと小さく握り返してくれて、気持ちがまたなだめすかされた。 「姉さんたちあからさますぎ。アレクなんかショックを受けてるだろ」 「えー、なに、面倒くさい」 「佳奈ひどい」  全員揃って一気に賑やかさが増した雰囲気に自然と笑みが浮かぶ。けれどふといまだ声を上げていない母に気づいて視線で探すとキッチンで顔を俯かせていた。その様子に僕は優哉の手を引いて彼女に歩み寄る。 「母さん」 「駄目ねぇ、お母さん涙もろくて」  傍まで行くと目元を拭いながら母は顔を上げてにこりと微笑む。しかし瞳は涙が浮かんでいて、優哉を見上げるとそれはポロリとこぼれた。慌てて俯く彼女に、並び立つ恋人は一歩前へ足を踏み出す。 「帰ってくるのが遅くなってすみません」 「いいのよ。優哉くんはちゃんと帰ってくるっておばさんわかってたから」 「これから先はもう傍を離れることをしません。なのでなにかとお世話になると思いますが、よろしくお願いします」 「ええ、もちろんよ」  優哉の言葉に再び顔を上げた母は喜びを抑えきれないような満面の笑みを見せる。そして両腕を広げて彼を抱きしめた。それを抱きとめて優哉はきゅっと唇を噛む。感情をこらえているのがわかって、そっと僕は背中を撫でた。 「うふふ、なんだか立派になって、前よりも頼もしくなったわね。向こうでいっぱい頑張ってきたのね。お疲れさま、おかえりなさい」 「……ありがとう、ございます」 「あらあら、さっちゃんごめんなさい。優哉くんを泣かせちゃったわ」  肩が震えてこらえきれなくなったものがこぼれ落ちる。それに気づいた母は優しく彼の頬を撫でた。そしてエプロンのポケットからハンカチを取り出してそっと拭うと、腕をさすって帰ってきてくれてありがとう、そう繰り返しながらまた涙を浮かべた。  こうして優哉が涙をこぼすのを見るのは帰ってきてからは初めてだ。この涙を最初に見た時は胸が押しつぶされそうになった。泣くことさえ不器用で心が軋む音が聞こえてきそうなほどだった。それから離れる時間が迫ってきた頃にも僕を抱きしめながらよく泣いていた。  夜が明けるたびに離れるのが寂しいと弱音を吐いていたのを思い出す。だからではないが、僕が寂しいと思っている暇はあまりなかった。彼を抱きしめるのが精一杯すぎて、気づいたらもう時間が来てしまった。 「すみません」 「大丈夫よ。いっぱい泣いていいのよ。感情を表に出すことはいいことだわ。たくさん頑張ったから、たくさん我慢もしてきたでしょう?」  いまの涙は悲しい涙ではないけれど、泣いているのを見るとやはり胸が締めつけられる。僕は彼の泣き顔にちょっと、いやだいぶ弱い。昔に比べると落ち着いていて心配になることは減った。それでも心に溜めていることはあっただろうと思う。  僕や家族にも言えない不安だとか、切なさだとか。帰ってきた時は僕が先に泣いてしまったから泣かせてあげることができなかった。だからいまは母の大きな愛に救われた気分になる。 「さっちゃんも優哉くんもお腹は空いてない? 外は寒かったでしょう。温かいもの食べてゆっくりしてちょうだい」  無条件に腕を広げてくれる母も、明るい笑顔で迎えてくれる姉や義兄も、僕の誇れる家族だ。優しくて思いやりがあって人をまっすぐに愛せる。それは当然のことではないから、彼らのように僕もそんな人間でありたいと思う。
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