始まりの日

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「もっと大きな工務店はほかにたくさんあったのに、うちに仕事を回してくださった。とても感謝しています」 「あなたの仕事が信頼できると思ったからですよ」  専門的なことは僕にはわからないけれど、優哉もこの店に自信を持っていた。この人の腕と人柄に信用を置いたのだろうと思う。「ありがたい」と何度も頭を下げるこの人にとっても、今日こうして店に人を招き入れることは優哉と同じくらいの喜びなのかもしれない。お客たちを見つめる目は眩しそうに細められていた。 「オーナーさんは若いのにとても人のできたお方だ。私らがすべからくできること、どうしてもできないこと、それをちゃんと見極めてくださった。無理な注文はせずに、できることに最善を尽くせるよう計らってくれました。おかげさまで最後まで気持ちよく仕事をさせてもらえましたよ」 「そうなんですか」  そういえば優哉からはこういった裏話は聞いたことがなかったな。ここまで来るのにほかにも色々と心を砕いてきたのだろう。それを思うと店をオープンさせると言うことがどれほど大きなことなのかを実感させられる。 「お忙しい中でわざわざにぎり飯をこさえてくださったこともあった」 「彼のご飯は美味しいですよね」 「こうしたこじゃれた料理も美味しいですが、素朴な優しい料理もうまかったですよ」  目尻のしわを深くして笑みを浮かべる男性は至極嬉しそうな表情を浮かべていて、それを見ている僕まで笑みが浮かんでしまった。こんな風に優哉が想われているのを見ると胸が熱くなってくる。こうしてたくさんの人たちに支えられてきたから、優哉の自信につながっているんだなと思った。 「乾杯をしませんか」  ふと思いついたように男性は近くのテーブルにあったワイングラスをふたつ手に取った。 「はい。あ、でも僕はお酒が飲めないので」 「そうですか。じゃあこれは? アルコールの入っていないシャンパンです」  しばらく思案してから背の高いシャンパングラスを男性は手に取る。けれどそれは先ほど日笠さんに勧められたグラスとは違う形をしていた。これはおそらく本当のシャンパンのほうだ。しかしにこにことした笑みで差し出されて、僕は少し躊躇したが受け取ることにした。乾杯して一口ならばなんとかなるだろうと思ったからだ。 「店の繁盛を願って、乾杯」 「乾杯」  グラスとグラスが重なる音が小さく響く。そして幸せそうな笑みを浮かべた男性は手にした赤ワインをぐいぐいと飲み干した。あまりの豪快な飲みっぷりに思わずあ然としてしまう。  もしかしなくてもこの乾杯は文字通りの乾杯を意味しているのだろうか。グラスを空にしたその人は、一口しか飲んでいない僕とグラスを不思議そうに見つめる。  ここでやっぱり飲めませんというのも気が引ける。ちらりと腕時計に視線を向けると時刻は二十時半を回っている。このパーティーが終わるまで三十分を切っていた。そのくらいならばなんとかなるだろうと、僕はグラスのシャンパンを飲み干した。  それから三十分のあいだにもう一杯空ける羽目になったが、もうここまで来ると僕の中では一杯も二杯も変わらない。一杯飲んだところですでに許容量オーバーだ。  それでもなんとか酔っ払って醜態をさらすことは免れた。隣の男性に耳を傾けて話を聞いてるうちに何度かうとうとしかけたけれど、最後まで話は聞くこともできた。 「けどさすがにもう限界かも」  パーティーも終わりを迎え、一人また一人と店をあとにする。そして最後の客を見送った頃にその場にうずくまってしまった。気が抜けると一気に酔いが回り、頭がぐらぐらとし始める。優哉の声が聞こえたけれどそれも次第に遠ざかっていった。
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