その愛、温めますか?

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 学校に着くといの一番に峰岸がやって来て、その後の調子は? と聞いてきた。なんでもない顔をしているけれど心配はしていたのだろう。だいぶ熱が下がってわりと元気だと伝えたらほっとした顔をしていた。  そして見舞いだと大粒の苺をもらった。袋を見たら有名な店で、結構高いことは疎い僕でも知っている。職員室の冷蔵庫に入れておくからとでかでかとマジックで名前を書かれてちょっとばかり恥ずかしかった。  ほかの先生方からも風邪の具合どうですか? なんて聞かれて、いまの時期は流行っているからもらわないように気をつけてくださいねとやんわり釘を刺された。しかしそれも致し方ない。風邪だインフルエンザだと休む先生は先月くらいからちらほらいる。  けれど僕は普段から病気に縁がなく、年に一度風邪を引くか引かないかだ。丈夫さが取り柄だと思う。それでもうっかりしているとその年の一度がやってくるともわからない。気をつけるには越したことはないな。  いつも通りに仕事をこなして、夕方、授業が一通り終わって事務仕事をしていたらメッセージが届いた。昼にもご飯を食べたと連絡が来ていたので、なんだろうと開いたら写真が添付してあった。 「暇なので焼きました」  その一文とともにパウンドケーキが目に飛び込んでくる。それを見て一瞬固まってしまう。なにをしているんだあの男は。安静にしていろって言ったのに。そんなことを思っていたら、ちゃんと手洗いしてマスクして作ったとか斜め上なことを言ってくる。  いやいや、僕が心配しているのはそこじゃない。心配しているのはお前の体調だ。ケーキじゃない。 「んー、でも美味そうだ」  ココア生地で輪切りのオレンジが表面にあって、中にはオレンジピールとナッツが入っているそうだ。彼の作るお菓子はなにを食べても美味いんだよな。文句を言いたいけれど文句の言葉が出てこない。  仕方なしに熱は測ったかと聞けば、七度五分まで下がったと返事が来た。順調に下がってきているようだ。それは常日頃、微熱を認識していなさそうな優哉には通常運転していてもおかしくない体温なのだろう。  とは言ってももう少し身体を休めていて欲しい。熱も下がったからきっと明日からでも店を営業すると言い出しそうだし、また忙しくなるのだからいまだけでも、と思うのは僕だけなのか。 「鍋は鶏がいいかな。タンパク質は大事だよな。鶏団子にしようかな。白菜とキノコと豆腐と、長ネギはまだあるし」  一人暮らししていた時は晩ご飯のことなんて考えたことなかったな。適当にスーパーで惣菜を買ってご飯炊いて食べるくらいで。優哉といるとご飯が美味しい。たとえそれが質素な食事でも一緒に食べているだけで美味しいと思える。  仕事をしていると二人揃って食べることはそう多くないのだが、朝はキッチンに立っている優哉の顔を見ながらご飯を食べられるし、彼が休みなら朝も晩も一緒だ。おかげでごく普通な当たり前な幸せ――それを思い出す。 「よし、今日も仕事を片付けて早く帰るぞ」  楽しみが多くてその後の作業が捗りまくったのは言うまでもない。  日が暮れたあとに買い物袋を携えて帰宅すると、リビングでパソコンと書類を広げた優哉に迎えられた。また仕事しているのかと思ったら、保護者であり叔父である時雨さんに頼まれごとをされたようだ。  あの人はあまり表に立って歩く人ではないから、基本的には秘書である荻野さんが代理人として出て行くのだが、最近はそうでもないらしい。日本での予定があると優哉にお役目が回ってきている。  それ自体それほど仕事に関わることではなく食事会や親睦会程度と言っていたが、まったく予備知識もなく向かうわけにはいかない。なのでこうして出席者の簡単なプロフィールを頭に収めてから行くのだ。  後を継がせようという気持ちはないみたいなので、おそらく店をオープンさせた時の借りがまだ残っているのだろう。本当に無理な時は無理と断っているけれど、そこは頭が上がらない部分なのかもしれない。 「優哉、そろそろテーブルの上を片付けてくれ。鍋ができた」  黙々と作業をしている彼に声をかけたらようやく顔を上げた。集中すると周りの音が聞こえないタイプなんだよな。僕がキッチンでバタバタしていてもまったく気になっていないようだった。
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