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二月の半ば、先週のことだがかなりの大雪が降った。積もるほどの雪は二日くらい降り続け、道行く交通機関をかなり麻痺させてくれた。けれどここ数日は暖かい日が続き、道の脇に積もったままだった雪がすっかり消えてなくなったのだ。
「そういえば佐樹さん、来月はお誕生日なんでしょう?」
「え?」
「オーナーがこのあいだぼんやり考えごとをしていましたよ。楽しみですね」
驚いて目を丸くした僕の顔を見ながら、日笠さんは優しく目を細めて笑った。その暖かな眼差しに頬がじわじわと熱くなったような気がした。
この顔のほてりは間違いなく目に見えて顔が赤くなっているだろうことがわかる。そんな僕に「ごゆっくり」と柔らかく微笑むと、彼女は僕のテーブルから離れほかのお客たちのもとへ歩いて行った。
「仕事場でぼんやりするとか恥ずかしいやつ」
視線を持ち上げ厨房の中へと目を向けると、てきぱきと無駄な動きもなく作業している人の姿が見える。中にいるのはコックコートを着た二人の年若い青年たち。
二十代半ば過ぎの青年はエリオだ。いつも笑顔が明るくて、快活な彼はこの店のムードメーカーでもある。人なつっこい性格でお客たちともすぐ仲良くなってしまう。彼が笑っていると自然と周りも笑顔になれる。
そしてもう一人、すらりと背が高い黒髪の青年は優哉、この店のオーナー兼シェフ。僕の恋人。彼は涼しげな目元と相まって、黙っているとすごくクールだと思われがちだ。けれど笑うと優しくて温かい表情を浮かべるのを僕は知っている。
「そういえば、祝ってもらうのは初めてだな」
初めて出会ってから十年、付き合うようになってから五年、もうすぐ六年目だ。しかしそのうちの四年ちょっとは傍にいなかったので、そういえば誕生日をお互いちゃんと祝ったことがない。
僕の誕生日は三月、彼の誕生日は六月だ。僕は一度、祝う機会があったにもかかわらず、知ることもせずに過ごしてしまったことがある。あれは正直痛い思い出だなといまでも思う。黒い歴史の一つだ。
「誕生日か、あんまり意識したことなかったけど。生まれた日は大事だよな」
基本的に僕はイベントごとにうとい。かろうじてクリスマスは忘れないが、バレンタインは完全に頭になかった。十四日の朝に手作りのチョコレートをもらってようやく思い出したくらいだ。
「そうだ、ホワイトデーになにかお返ししないと」
僕の誕生日よりも前にチョコレートのお返しができる。我ながらかなり機転が利いているのではないだろうか。せっかく思い出したことを忘れないようにそれを手帳に書き込むことにした。
「優哉の誕生日は六月十、四日だったな」
見落とさないように大きく丸を書いてホワイトデー、誕生日と書き込んだ。これでうっかり忘れても手帳を見れば思い出すだろう。
「なにを返せばいいのかな」
ホワイトデーのお返しなんていままでデパートに陳列されているそれ専用のお菓子くらいだった。しかし優哉に返すのはそれでは納得がいかないような気になった。
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