約束

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「浩介さんの一押しだって言うから期待していましたけど。期待以上ですね。お二人は以前からの知り合いなんですか?」 「あー、いや。そんなに長い付き合いでもないな。そういや初めて会ったの年明けた頃だもんな」 「あら、まだそんなもんなんですか。意外です。仲がいいから付き合い長いのかと思いました」 「全然、ほら見ろよ。仲なんか良くないって優哉の顔に書いてあるだろう」  人の顔をのぞき込んで二人してニヤニヤと笑う。その顔が居心地悪くて顔をしかめたら、伸びてきた浩介の手に乱雑に頭を撫でられた。 「ピザとデザートの写真も欲しいけど今日の今日じゃ難しいよな。明日以降に時間をもらえるか?」 「早いほうがいいんだろ。明日用意して置くから十五時から十七時のあいだに来い」 「お、そうか。助かる。じゃあ、あとはインタビューだけよろしくな」  いままでこういった取材の申し出は何度かあったが、表に立つのが面倒で断ってきた。いまでも十分お客は来てくれているし、やはり増えすぎるのも困る。しかし今回勢いで押し切られてしまったので、少し覚悟をしておかなければならないかもしれない。日笠さんとエリオにあとで謝っておこう。 「え! 橘さんってタン・カルムで働いてたことあるんですか?」 「学生の頃のバイトですけど」 「そうなんですか! あそこの料理長さんは気難しいですよね。前に一度お話しさせてもらったんですが、ちょっとタジタジになってしまって、マネージャーさんに助けてもらいました」 「ああ、その記事は読みましたよ。多美子さんだったんですね。久我さんがそういうの珍しいなって思ったので、受ける気にさせただけでもすごいと思いますけどね」 「あはは、ありがとうございます。タン・カルムは料理はもちろんのこと、お店もスタッフも本当に一流ですよね。尊敬します」 「俺もそう思います」 「やっぱりこの道を目指すきっかけですか?」 「そうですね。それが一番大きいと思いますね」 「海外に出られていた時に働いていたのも、すごく有名なお店でしたね。大変でしたか?」 「いえ、大変ではなかったですよ。忙しくはありましたが、いい経験でした」 「なかなかできない経験ですよね。ところで――」  最初は店のことだけかと思っていたが、話は最終的にいろんな方向に広がって、気づけばあれこれと口を開かされた。目の前にいる宮木多美子は年若い印象はあるが、話をすることに長けているのかあまり躓くことがない。  どんな質問をされても嫌な感じがしないので、普段は口にしないことまで喋ってしまった。こういうタイプは気づいた頃には身ぐるみ剥がされた気分にさせられる。これで終わりですと言われた時には優に一時間を超えていた。  常日頃そんなに話すほうでもないので、なんだか終わった瞬間にどっと疲れた気がする。 「お、優哉お疲れ。多美子の弾丸トークによく最後まで付き合った。偉いぞ」  ぐったりとテーブルに肘をついてうな垂れていたら、どこかへ行っていた浩介がふらりと帰ってきた。責任者が現場を離れると言うことは、最初からこれだけの時間がかかると想定していたと言うことだ。  軽い調子で任されたので油断していた。こいつが店を出て行った時点で気がつかないなんて、俺も相当ペースを乱されていたようだ。  なんというか、ここに集まった人間は一癖あって一筋縄ではいかない。にこやかに笑っているようで、仕事を遂行することに関して容赦がない。それはなによりもプロ意識が高いと言うことなのだろうが。 「ほら、頑張ったお前にご褒美だ」 「なに?」 「北川のおばあちゃんがここのシュークリーム、お前がうまいって言ってたって」 「え? 北川さん?」  向かい側の椅子を引いて腰掛けた浩介に思わず首を傾げてしまった。北川さんとは町内会長のおばあさんのことだろうか。目を瞬かせているうちに浩介はビニール袋に入った白い箱を開ける。  その中にはシュークリームとエクレアが四つずつ入っていた。シンプルな形だがそれらには見覚えがある。駅前の商店街にあるケーキ屋のものだ。 「商店街の誰に聞いてもこの店のこと知ってたぞ。みんな口揃えていっぱい宣伝してくださいって言ってた」 「……」 「そこで長く店を続けるには地元に愛されるってことは大事なんだ。お前はよく頑張ってるな」  なんだか思わず頬が熱くなった。こんな風にまっすぐと褒められたのは佐樹さん以外では初めてかもしれない。この男は嫌味なく人を持ち上げるのが得意だ。その印象は最初に会った時から強くて、誰の懐にもするりと入り込めてしまうやつだった。  それに嫌味がないのは嘘や誤魔化しを言わないからだ。だからその言葉を誰もが疑わず信じてしまう。 「おーい、お前らもこっちに来て食え」  この男は自分とはまったく違うタイプの人間だと思う。それでも不思議と苦なくいられるのは身に寄せたものを裏切らない男だからだろう。他人を容赦なく切り捨てることもあるが、無闇やたらに人を傷つけたりはしない。  たまに腹が立って無性にむかつくことはあるけど、それでも隣にいるのは居心地は悪くないと思う。本当に嫌だと思えば今日だって断れたはずだ。それなのに断らなかったのは、この男に任せておけば悪い方向には進まないと思ったからだ。 「やったー! シュークリーム! エクレアもおいしそう」 「こら、多美子。シュークリームは一個残せよ。優哉の分」 「多美ちゃんにスイーツ見せたら止まんないよね」 「夏美先輩こそ!」 「お前らはそうやって二つ食べるのは予測済みだ。春代と由貴も早く食べないと食われるぞ」  あの人に泣いて縋ったあの日から随分と時間が過ぎて、気づけば自分の傍にはたくさんの人が集まっていた。こうやって周りに人はどんどんと増えていくのだろうか。人の笑い声を傍らで聞くたびに、幼かった自分の世界がどれほど狭かったのか、それを思い知るようになってきた。
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