約束

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「まあまあ、べっぴんさんと男前さんねぇ。あなたたちがいるとなんだか花が咲いたみたいね」  にこにこと目尻にしわを刻んで笑みを深くする和恵さんは六郎さんの奥さんだ。快活な六郎さんと同じく、あまり歳を感じさせない明るさが持ち前の人。空いたテーブルに俺たちを招いて彼女は至極嬉しそうに笑う。 「今日のランチはオムライスよ。ハンバーグもスパゲッティも飲み物やデザートとセットにできるわよ」 「私はランチにします! リンゴジュースで。チーズケーキをお願いします」 「じゃあ、あたしはデミグラスハンバーグとライス。あと珈琲を食後に。浩介さんは?」 「おろしハンバーグかな。ライス大盛りで。優哉は?」 「俺はナポリタンで」  それぞれが注文し終わるとようやくほっとしたのか、三人とも店の中に視線を向ける。意識せずとも隅々にまで目を向けるそれは職業病かもしれない。外観と同様に手入れの行き届いた店はとても清潔感がある。  窓に引かれたレースカーテンもテーブルに敷かれたクロスも染み一つない。それを認めて三人は満足げな表情を浮かべる。 「この町はいい店が多いな」 「ああ、いいところだろう。色々見たけど、ここが一番いいなって思ったんだ」  物件選びは直接現地には行けなくて、録画された映像や写真、あとは足を運んでくれた奈智さんの主観が頼りだった。あの場所に決まる前、店の候補はほかにもいくつかあった。どれも立地や条件も良くて申し分ないものだったが、なんとなく決め手に欠けていてなかなか選べずにいた。  予定もだいぶ詰まり、やはり直接行かなければ駄目かもしれないと思っていたら、最後にあの家の情報が舞い込んできたのだ。元々は住居として売り出されていたらしいのだが、奈智さんが売り主に色々と交渉してくれた。  周りの住居などにも挨拶に回ってもらい、飲食店を開くことに反対意見も出なかったので物件が決まってからは早かった。時雨に口添えしてもらいながら工務店を選出して、何度もやり取りを交わしデザインを起こしてもらった。  そのあとは大急ぎで帰国して着工に漕ぎ着けたと言うわけだ。あの時は本当に慌ただ しくて、店のことで手一杯になっていた。だからとは言いたくないが、佐樹さんに連絡し忘れるなんてことをしでかしたのはこのせいだろう。  当人はまったく気にしていない様子だったけど、普通だったらいきなり帰って来られたら迷惑極まりない。あの人の大らかさには本当に救われた気になる。 「そういえば年始めってことは、あのパーティーでお二人は会ったんですか? 浩介さんが毎年面倒くせぇってこぼしてるあれ」 「ああ、そう。つまらん大人の寄り合いな」  首を傾げた夏美に浩介は肩をすくめた。二人が言っているパーティーとは飲食業界の関係者が集まる新年会だ。毎年、会社役員や業界人、その親族などが集まるらしい。俺は今年初めて奈智さんに連れられて行ったが、確かにつまらない集まりだとは思った。 「もしかして橘って、タチバナフーズの関係です?」 「ああ、まあ、親戚みたいなものです」  タチバナフーズは時雨が代表を務める会社の子会社のようなものだ。食品製造、飲食店や販売店など会社は多岐に亘るらしい。あまり仕事については深く聞いていないので詳しくはないが、あの人の会社が名の知れた大きな組織だと言うのは知っている。 「へぇ、そうだったんですね。でもなんで浩介さんと?」 「女に囲まれてるのに面倒くさそうに愛想笑いしてるから、外に連れ出して二人でフケたんだよな」 「あー、橘さん恋人いるんですよね? それは確かに面倒かも」  ちらりと左手の薬指に視線が向けられ、納得したように頷かれる。彼女のようにあっさりと受け入れてくれるような相手だったら、面倒に思うこともなかったのだが。 「この男は学生時代から惚れ込んでる筋金入りらしいからなぁ」 「わぁ、恋人さん羨ましい。あー、じゃあ、遠恋越えてのラブですね!」 「俺の話は、やめてください」  黙って話を聞いていた多美子が急に目を輝かせ出した。しかし恋愛ワードに食いつかれても対処に困る。向かい側からまっすぐ向けられる視線から思わず目をそらしてしまった。 「そう俺を睨むなって、今日の礼にこれやるからさ」  隣で笑いを噛みしめる浩介を横目で睨み付けたら、なだめるように背中を叩かれる。そして上着から取り出した名刺入れから抜いたものを目の前に差し出された。二つ折りのカードのようなものには横文字で文字が綴られている。 「ナヴィルドア?」 「あー! 橘さん! それ絶対もらっておいたほうがいいやつです!」 「それ一年先まで予約が取れない店ですよ!」  ぽつりと呟いた俺に目の前の二人は興奮したように声を上げる。指先に挟まれたカードを受け取ると、中には浩介の名前が書かれていた。ひっくり返して裏を見れば、住所と電話番号が印字されている。さほどここから遠くない場所だ。 「店には連絡してあるから、今日でも明日でもいつでも大丈夫だ。恋人と二人で行ってこいよ。料理もうまいし、席は個室にもなってるし、眺めも良いし、いい店だぞ」 「……ありがたくもらっておく」 「ああ、そうしろ」  カードをシャツのポケットにしまえば、浩介は満足げに笑った。そしてそうこうしているうちにでき上がった料理が運ばれてくる。次々と並べられる皿に皆自然と笑みが浮かんだ。  朝はいきなり電話で呼び出され最悪だったが、なんだかんだとのんびり食事をしている。浩介といると腹が立つことがあっても結局は最後に丸め込まれてしまう。こういうところはなんとなく誰かに似ている。  でも深く考えるのも面倒なので、いまは目の前の食事を存分に味わうことにした。
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