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「結局、今日も一日の半分仕事してたな」
これと言って趣味らしい趣味もない俺は、休みの日も仕事に関わってばかりいる。趣味が仕事になってしまったとも言えるので、余暇ができると正直身を持て余す。学生時代はバイトと勉強で手一杯だったし、卒業してからは仕事を覚えることに夢中だった。
だからいまだに時間の過ごし方があまりわからない。こういうところは本当につまらない人間だなと思う。けれど毎日なにかが不足しているとは思わない。仕事は楽しいし、佐樹さんと過ごす時間があればそれだけで幸せだとも思う。
しかし時雨にはもっと気持ちに余裕を持ったほうがいいと言われたことがあるので、やっぱりどこか欠けているのかもしれない。
ここ数年でマシにはなってきたが、人の関わりが薄かったのも原因なのだろうか。深く人と付き合うことをあまりして来なかった。背伸びをして大人の中で過ごしてきて、なんとなくそれに流されるまま来てしまった。
身近な歳の近い人間と言えば弥彦とあずみくらいだが、あの二人は友人と言うには少し違う。そう考えるとそれ以外は峰岸くらいしかいない。でもあいつも友人かと言うと関係性は微妙だ。
この歳になってようやく気づいたが、プライベートに気安く過ごせる人がほとんどいない。俺の中身は随分と昔から、佐樹さん以上のものが見当たらないのだ。
しかしだからと言っていまさら生き方を変えたところで、それほど大きく変化があるとは思えない。きっとこんなことを話したら、あずみや峰岸には笑われそうな気がする。
「いまごろ気づいたのかって言われそうだな」
自分は年相応の無邪気さが足りなくて、常に物事に冷めた部分がある。昔あの人に好きなものや好きな場所はなんだとそう聞かれた時、考えてもなにも浮かばなくて、随分と自分の中は空っぽなんだなと思った。
まっすぐで素直な彼とひねくれた臆病な俺。それはなんだか噛み合うことがない気がして不安に感じたこともある。それでもあの人が、佐樹さんが繕うことなく愛情を示してくれるから、俺はその想いに救われてきた。
でもあの人はいままでの恋愛、うまくいかないことが多かったと言っていた。俺からしてみれば、あんなにも純粋に人を愛せる人なのに、と少し驚いてしまう。けれど彼の性格を考えるとなんとなくわかるような気もした。
佐樹さんは自分に対して無関心なところがある。自分が傷ついたり、傷つけられたりしてもあまり感情的になることがない。相手を責めることもないし、それをそのまま受け止めてしまう。
だからそのせいで気持ちが曖昧に映ってしまうこともあるのかもしれない。自分のことをなおざりにして相手を一番に優先する。それは彼の優しさから来るものだが、ずっとそれが続くとあまり物事を深く考えていないんじゃないかと疑念が湧くのだろう。
あの人は不器用で誤解されやすいのだと思う。歴代の彼女たちは俺から言わせれば残念な人たちだ。佐樹さんの純粋な愛情に気がつかないなんて、なんて馬鹿なんだろうとさえ思ってしまう。
結局は自分のことしか考えていなかったんじゃないか。あの人はちゃんと愛情を向けて愛してあげればちゃんとそれに応えてくれる。なのにそれをおろそかにしたんだ。
でもそのおかげでいまがあることは間違いない。しかしいまでも時折この道は彼にとって間違いなんじゃないかと、思い悩むこともある。それでもどうしても、俺は佐樹さんと一緒でなければ生きていけなかった。
四年離れてみて、それをひどく感じた。家族は優しいし、仕事は夢中になれたし、やりがいも感じて充実もしていた。けれどふと一人になった時に思うのだ。あの人を傍で感じたい、会いたい、触れたいと心が揺れた。
だから早くに電話やメールをやめて良かったと思う。情けない話だが、そうでなければ俺は曾祖母が亡くなったあと、我慢できずに日本へ帰っていたかもしれない。きっと気持ちばかりが募ってうまくいかなかった。
その点、手紙は落ち着いて振り返ることができたし、お互い便せん四、五枚くらいは書き綴るほどだったから、なんとなく離れているあいだも佐樹さんを感じられた。たわいもないことを連ねたそれはたぶん日記に近い。
その手紙は一通も欠けることなくいまも大事に取ってある。たまに読み返して、あの頃の初心を思い返すのだ。離れていても心は傍にある。お互いに頑張ろうと言ってくれた言葉。彼はいつだって俺の道を照らしてくれる光だ。
「優哉!」
遠くから聞こえてきた声に顔を上げると、人波の向こうに彼の姿を見つける。
「佐樹さん、お疲れさま」
夕方になり人が増えた改札口付近は行き交う人たちでごった返す。しかしそんな人混みでも彼の姿は不思議とすぐに目についてしまう。無意識にその姿を探しているからだろうか。
人波を縫いながらこちらへ足早にやってくる佐樹さんに自然と笑みが浮かんだ。目の前でこちらを見上げる視線をまっすぐに見つめ返せば、ほころぶような柔らかい笑みを返される。
「ちょっと待たせちゃったな」
「いえ、平気ですよ」
「じゃあ、行こうか」
促されるままに改札を抜けると、彼は普段使っている電車の反対方向のホームへ向かう。エスカレーターで上がり、ホームへついたらちょうど電車が滑り込んできた。足早にそれに乗り込んで一息つくと、佐樹さんは少しそわそわした様子でこちらを振り返る。
そんな様子に首を傾げてみせれば、焦げ茶色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。
「佐樹さん、どうしたの?」
「あ、うん。えっと、今日の予定どうしようかと思ったんだけど。前々から約束してて、断るのも悪いし。それに一度は優哉に会わせておきたいなって思って。あ、たぶんそんなに時間はかからないと思うから」
彼が俺に会わせたい人。正直言うとそれはさっぱり見当もつかない。佐樹さんの友人知人にはまだ会ったことがないが、いまは必要に迫られる状況でもない気がする。それでも俺に会わせておきたいというのだから、少なからず俺に関係があるのだろうか。
予想もつかないまま電車はどんどんと進んでいき、いつの間にか見覚えのある街並みが車窓から見えた。
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