約束

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 黒のベストに白いシャツ、深いグリーンのネクタイを締めたその人物は、男にしてはややほっそりとした体躯。ふわふわとした柔らかそうなオレンジブラウンの髪が目を引いて、猫のような茶色い瞳が印象強い。  佐樹さんを目に留めると男は相好を崩し、人なつっこい笑みを浮かべた。俺は思わずその顔をじっと見つめてしまう。 「西岡さんお疲れさま。待ってたよ。……あれ?」  佐樹さんの後ろに立つ俺の存在に気がついたのか、男は小さく首を傾げて目を瞬かせた。そして俺がしたようにじっとこちらを見つめてくる。そしてその瞳は目の前の事実を認識したのか、次第に大きく見開かれていく。身を乗り出すような勢いで男は大きな声を上げた。 「嘘、ユウ……ユウでしょ! え、なんで、え、ほんとに? うわー、変わってない。ってか、前よりいい男になってるし!」 「ミナト」  興奮したように白い頬を赤らめたその男の顔も声も、いまだに忘れてはいなかった。以前より随分と大人びて落ち着いた雰囲気になったが、にじみ出す性格は相変わらずだ。  無邪気で奔放で、裏表を感じさせないまっすぐさがある。ミナトは瞳をキラキラと輝かせて喜びをあらわにしていた。 「ああ、なんかすっごいドキドキする。西岡さんどうしたの? ユウを連れてくるなんて言ってなかったじゃない。教えてくれても良かったのに!」 「うん、ミナト驚くかなって思って」 「驚くに決まってる! あ、やばい。俺、いま顔に締まりない。貴也にバレたらめっちゃ怒られそう」 「あれ? 今日は貴也はいないのか?」 「あー、うん。風邪を引いたらしくてさ。今日は家に置いてきた」  戸惑う俺をよそに二人はごく親しげに笑い合っていた。一体いつの間にこの二人は知り合ったのだろう。昨日今日の付き合いではないのは二人の様子を見ればわかる。佐樹さんはたぶんここにはもう何度も来ていて、ミナトとも顔を合わせているに違いない。 「佐樹さん、事情が飲み込めないんですけど」 「ああ、うん。さっきお前の家に行ったって言っただろう。その時に偶然ミナトに会ったんだ。それでミナトの伝で荻野さんに連絡したんだよ。それ以来メールしたり電話したり、たまにこうして会うんだ」 「そう、だったんですか」 「隠しているつもりじゃなかったんだけど。なんとなく言い出すタイミングもなくて。今日いい機会だと思って。……怒った?」  俺の機嫌を窺うようにこちらを見上げた彼の瞳に不安が混じる。しかし驚きはしたがこれは怒るようなことではない。むしろ俺のことで世話になったのなら、礼を言わなければならないことではないか。もう一度視線を向けると、ミナトはやんわりと笑みを浮かべた。 「これは俺がどうとかって言うより。西岡さんの強運だよ。ユウに向かう気持ちが強かったんだ。運命ってあるんだなって思ったよ。西岡さんはいつだってユウを引き寄せる。あの雪の日だってそうだ」  紡ぎ出そうとした言葉は先回りして止められた。ミナトは俺に礼を言って欲しいわけではないのだろう。それよりも佐樹さんをもっと大事にしろと言いたいに違いない。  この男も昔から自分より人を優先するところがある。いつもおどけて馬鹿をやっているように見せて、その内側は思慮深くてひどく真面目だ。 「俺いまはほっとしてるんだ。ユウに本気で好きな人ができたんだって思うと嬉しいよ。俺もね、いますごい好きなやつがいるんだ。ユウに負けないくらいのいい男だぞ。会わせてやりたかったな」 「……また会おうと思えば、いつでも会えるだろ」 「え? あ、うん。そうだよね。また西岡さんと来てよ」  驚きに目を瞬かせたミナトは、言葉の意味を飲み込むと、はにかみながら至極嬉しそうに頬を緩める。最後に彼と会った時はもう二度と会うことはないのだろうなと思っていた。  それなのにこうして会うことになるなんて。佐樹さんは本当にいろんなものを引き寄せてくる。その引力には驚かされてばかりだ。 「二人一緒ってことはこれから出掛けるの? 座って待ってて、すぐ用事を済ませるからさ」  入り口で立ち止まったままの俺たちを手招くと、ミナトは慌てたようにまたスイングドアの向こうへと姿を消す。その様子に俺と佐樹さんは顔を見合わせたが、立ち尽くしていても仕方がないので言われるままに椅子に腰掛けた。 「佐樹さんいつも一人で来てるんですか?」 「いや、一人の時は少ないな。三島とか峰岸とかとよく来るぞ。あいつらは二人だけで来てる時もあるみたいだ。三島の家が近いからかな」 「あの二人が一緒にいるようになるなんて想像がつかなかった」 「うん、僕もそう思う。でもなにかと三島は世話焼きなところがあるから、ほっとけなかったのかもな」  学生時代は弥彦のほうがあまり峰岸のことをよく思っていなかった。どちらかと言えば毛嫌いしていたくらいだ。大学が一緒だったとは言え学部が違う。そう接点がものすごくあったわけではないだろう。  それなのに弥彦が世話を焼いているのは、峰岸が普段隠している不器用さに気づいたからじゃないかと思う。たぶん佐樹さんが言うように見ていて放って置けなくなったに違いない。弥彦は昔から人が良すぎる。  しかし俺もあずみも手が離れて、誰かの面倒を見ていないと気が済まないのかもしれない。 「おーい、ミナト!」  しばらく二人で話をしていたらふいに店の扉が大きく開かれた。それと共に聞こえてきた声を振り返ると、俺たちの存在に気づいたらしいその声の持ち主がピタリと動きを止める。そして目を瞬かせ、不思議そうに首を傾げた。 「あ、れ? ニッシーに藤様じゃん。なんでここにいんの?」  戸口に立つその人物に、俺も佐樹さんも驚きをあらわにしてしまった。金髪だった髪はライトブラウンに変わったが、快活そうな雰囲気も少し幼いその顔も昔とあまり変わっていない。  けれどまさかこんなところで会うことになるとは思わず、驚きに目を丸くしている彼を二人で見つめてしまった。
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