約束

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「うわー、眺めがいいな」  案内された個室の席に向かい合わせに座ると、佐樹さんは目をキラキラとさせながら窓の外を見つめた。日が沈んだ外の景色は街の明かりが広がっている。あまりほかに高い建物が多くないので、目の前を遮るものがない。  照明が少し落とされた室内から見る夜景は綺麗なものだ。しかし外の眺めも目を惹くが、通された個室もしっかりと壁を一枚挟んだ作りで、隣の声や周囲のざわめきなどはほとんど聞こえない。  部屋の出入り口には長いカーテンが引かれ、外から中を覗くこともできなくて完全なる個室だ。 「優哉は僕を気にせず飲んでもいいぞ」 「じゃあ、少しだけ」  二人でメニューを眺めて何品かチョイスする。お互いそれほど量を食べるわけではないので、店員に確認しながら注文した。佐樹さんにはデザートも欠かせないのでそれは忘れずに頼む。おすすめのワインを頼んだあとは、料理が出てくるまでのんびりと過ごした。 「そういや、最近またちょっと体重が増えた。お前のご飯がおいしすぎる」 「佐樹さんはほっとくとすぐ痩せてしまうから、ちょっとくらい増えても大したことないですよ」 「先生方にも血色が良くなったって言われた。そんなに僕は不健康そうだろうか」 「痩せすぎってことはないけど、元々が華奢だからちょっと心配にはなるかもしれないですね。でも最近は顔色はすごくいいですよ」  ぱっと見た感じ線が細いから佐樹さんは第一印象が儚げに見える。でも実際の彼に触れて感じるところは、芯が強くて大らかさがある、かなり男前な性格だ。自分は平凡でなんの取り柄もない、なんて言うけど、彼の人柄に惹かれる人は多い。 「筋トレとかしても僕はあんまり筋肉とかつかないんだよな」 「体質でしょうね。でも体力がないというわけでもないから、問題ないと思いますけど」 「お前はいいよな。毎日トレーニングしてるわけでもないのに筋肉がついてるし、スタイルがいいし」 「まあ、なにもしてないわけじゃないですけどね。佐樹さんにがっかりされないように頑張ってます」 「そっか、でもお前が太っても痩せても好きだけどな。まあ、いまが一番好きなのは間違いないけど」  当たり前みたいな顔をしてそんなことを言うから、こっちのほうが恥ずかしくなってくる。思わず目をそらしたら不思議そうに首を傾げられた。いま自分がいかに重要なことを言っているのか、それに気づいていないのだろう。相変わらず彼の無自覚さにはしてやられる。 「優哉は昔から背が高いけど、ひょろっとした印象はないな。でも初めて会った時はまだ少しだけ少年らしさがあった気がする。ユウだった頃は一番大人びてたな。絶対大学生くらいだと思ったし、入試の時に会ってすごいびっくりしたのはいまでも覚えてる。いまは見た目が年齢に追いついた感じだな」 「佐樹さんもあまり変わらないですね。あの頃からあんまり年をとってないような気がします。見た目の印象より落ち着いているからかな?」 「そうか? あんまり貫禄ないぞ」 「そんなことないですよ。見た目は若いけど、先生をしている時の佐樹さんはすごく大人だな、格好いいなって思います」  顔はどちらかと言えば幼いし、時々少しぼんやりしたところも見せる。それでも俺が知っている同年代の人と比べると、普段の佐樹さんは冷静で浮ついたところがほとんどないと思う。  でも他人に隙を見せずになんでもない顔をして笑うけど、本当の彼はひどく繊細で心が脆い人だ。自分に無関心なのは、その心を繕っているからではないだろうか。弱さを見せまいとして蓋をしている。きっとそれに自分でも気づいていないのだと思う。 「優哉のほうが大人びて見えるけどな」 「俺の場合はそう見えるだけですよ。正直、まだまだだなって思います。うまくできないことも多くて、いつも反省ばかりしてる」 「お前は思っている以上に大人だと思うぞ。そうだな、優哉の第一印象は随分と子供らしくない目をした子、だな。こんな悲しい目をしなくちゃいけないその環境に胸が痛くなった」 「俺が佐樹さんを初めて見た時の印象は、萎れた花のようだったよ」  初めて見た彼は本当にいまにも消えてしまいそうなほどだった。心の芯がポッキリと折れて、立ち上がれないほどに打ちひしがれていた。あれが彼の心をむき出しにしたまっさらな状態だったのではないかと感じる。  あの姿を見た瞬間、俺の心はまっすぐと彼に引き寄せられて、目が離せなくなってしまった。病院の薄暗い待合室で、肩を震わせて泣いていた横顔はいまでも時折思い出す。  どうしていまこの手で目の前の人を抱きしめてあげられないのだろうと、ひどくもどかしい気持ちになった。 「見ていて俺もすごく胸が痛くなりました。それと同時に、この人を守ってあげたい、この人の傷に寄り添いたいって思った。だけどもう会えないかもしれないって気づいて、すごく辛くて、胸が苦しくてたまらなかったです。でも再会できて、ああまだ俺にもいいことあるんだなって思いました。ただあれはかなり肝を冷やしたけど」 「うん、僕も正直びっくりした」  あの雨の晩にあそこの通りを歩いていたのは本当に偶然だった。誕生日祝いをしてやるからと奈智さんに連れ出されたその帰り道だ。普段だったらその道を通らずに裏通りを歩いていたはずなのに、なぜだかその日だけは表通りに足が向いた。  でもそこで彼を見つけた時は心臓が止まりそうになった。車が行き交う中にふらふらと車道に歩いて行く後ろ姿に目を疑った。クラクションが鳴り響いて、彼の身体すれすれを車が通り過ぎていき、いつ車に接触するかと気が気ではなかった。  気がつけば身体が動いていて、自分も慌ただしく車道に飛び出していた。ぼんやりと立ち尽くす身体を抱きしめて、あまりにも華奢な身体に抱きしめた手が震えたのを覚えてる。  そしてこの身体にどれほどのものを背負ってきたんだろうと、そう思うと胸が抉られるような痛みを感じた。俺だったらこんなに悲しませたりしないのに、なんて勝手なことも思っていた。  でも結局は、ずっと傍にいさせて欲しいと言っておきながら、彼の傍を離れて一人にしてしまった。だからもう離れたくないと言った彼の言葉は、たぶん一生忘れないと思う。
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