約束

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「左手貸して」 「え? あ、うん」  この先の展開がまだ読めていない彼は、言われるままに手を差し伸ばしてくる。その手を握って、長いこと恋人の左薬指で輝いていたリングをそっと抜き取った。そんな俺の行動に佐樹さんは少し戸惑ったような表情を浮かべる。 「これはあなたを大事にしたい、つなぎ止めたいって言う気持ちの表れだったけど、誓い直したいんです。佐樹さん、いまの俺があなたを幸せにします。だから今度からはこっちをつけてください」  紙袋から取り出した小さな箱に収められていたのは、光を受けて煌めく白金の指輪。緩やかに曲線を描いたそれは彼の綺麗な細い指にしっくり馴染んだ。それを見つめている佐樹さんはまだ状況が飲み込めていないのか、瞬きを忘れている。 「誕生日プレゼントです」 「え! だってこのあいだもらった」 「あれは間に合わせで、本当はこっち。ちょっと時間がかかって間に合わなかったんです」 「そうなんだ」  手をかざしてじっと指輪を見ている彼の瞳がキラキラと輝き出す。ほんのり頬を紅く染めてそれを見つめているその表情に、思わずほっと息をついてしまった。いままでずっと佐樹さんは最初にあげた指輪を大事にしてくれていた。  子供が買える程度のそう高くないシルバーリングなのに、毎日磨いてくれていたからいまも新品みたいに輝いている。それなのにいまさら新しいものをあげると言うのはどうなんだろうかと、そう思いはしたが、あの頃といま、それに区切りが欲しかった。  いまでもそんなに誇れるような大人になれたわけじゃないけど、新しく歩き出した自分は前に進むことにさえも必死だったあの頃とは違う。だから子供の頃の拙い想いではなく、彼の人生のパートナーとして、これからも一緒に歩いて行くと言う決意を形にしたかった。 「シルバーリングはミナトからもらったリングケースにしまっておいてください」 「え? なんで知って、え、ちょっと待った。……わ、ほんとだ」  俺の言葉に慌てて鞄を開いた佐樹さんは、その中にしまわれていたプレゼントを取り出した。そしてリボンをほどいて箱を開くと、目を見開いて驚きをあらわにする。ミナトが佐樹さんに贈ったのは、涼やかなブルーシルバーのリングケースだった。 「あいつは昔から不思議と勘が良かったんですよね」 「優哉」 「なんですか?」  リングケースをマジマジと見つめていた彼は、ふいに顔を上げて俺の目をまっすぐに見つめてくる。その視線の意味を悟れずに首を傾げると、きゅっと口を引き結んだ。そして左手をずいとこちらへ差し出す。 「これ、ペアだろ。リングケース、どう見ても一個分じゃない」 「あ、あー、それは」 「ずるいぞ。僕もお前からもらったリングを外すんだから、お前も外せ」  目を細めた佐樹さんは笑って誤魔化そうとした俺に手のひらを向けた。そのまましばらく見つめ合ったままでいると、催促するようにさらに手を伸ばされる。  頑なな彼の瞳にさすがにこのままではいられないと、俺は小さく息を吐いて紙袋の中からもう一つの箱を取り出した。そしてそれを目の前の手のひらに預ければ、至極満足げな笑みを浮かべる。 「優哉、左手」 「……はい」  言われるがままに手を差し出すと、薬指からブラックプラチナの指輪がゆっくり引き抜かれた。彼の手に外されるとなんだか心許ない気持ちになる。先ほど戸惑っていた佐樹さんの気持ちがわかるような気がした。  けれど新しい指輪をそっとあてがわれると、なぜだか背筋が伸びる思いがする。彼の指にはめられた指輪と対になるそれは、二つ合わせるとぴったり寄り添う形になっている。それに気がついたのか、手を並べてふんわりと優しく微笑んだ。 「こっちの指輪は一緒にしまって置くから、今度からはこれをちゃんとつけるんだぞ」 「わかりました」 「うん。優哉、ありがとうな」  まっさらな輝いた笑顔を向けられて、胸が高鳴って心が躍って仕方がない。俺はきっとこの先も何度も何度も彼に恋をしていくのだろう。日々を重ねるたびに彼のことをもっと好きになる。  時々傷ついて、傷つけて、涙を流す日もあるかもしれない。それでも彼と過ごす毎日はなににも変えがたいものになる。 「佐樹さん、俺はまだ思うほど強くなれていないけど。あなたに惚れ直してもらえるように頑張りますね」 「いまでもお前のことしか見えてないのに? これ以上好きになったらお前なしじゃ生きていけなくなる」 「いいですよ。俺はあなたより長生きしてみせますから。もうあなたを置いていったりしません」 「なんかプロポーズみたいだな」  やんわりと目を細めた彼は照れたように笑う。そして確かめるみたいに何度も薬指の指輪を撫でた。指輪を見つめる眼差しが柔らかくて、なんだか胸の奥が温かくなってくる。  俺は一度、彼のいない世界を想像したことがある。彼のいない世界で生きていくために、彼から距離を置いて独りになろうとした。でもその世界は真っ暗闇で、光が一筋も射さない冷たい場所だった。  その闇は底さえも見えなくて、もう彼に触れられない、彼に会えないのだと思えば思うほど、気がおかしくなりそうになるくらい怖かった。  でもこれから先、彼と一緒に歩いていって、彼が先にいなくなってしまったとしても、俺はきっと大丈夫だ。悲しくなると思う、寂しくて胸に穴が空いてしまうかもしれない。それでも彼と一緒に過ごした思い出がある限り、まっすぐに生きていけると思う。 「佐樹さん、約束します。俺はもう絶対にあなたを一人きりにはしません」 「うん、約束な。僕もずっと、お前の傍にいたいよ」  ほんの少し涙が浮かんだ笑顔に、つられたように喉が熱くなった。  いまの俺があるのは佐樹さんの心がずっと傍にあったからだ。だからもう一度、二人で約束を交わそう。この先にある未来が続いていく限り、俺はずっとあなたを愛し続ける。その手を繋いだら、もう二度と離したりはしない。 約束/end
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