思い出の中の彼

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 ベッドの上。けだるさの残る体で寝返りを打つと、すっと伸ばされた腕に抱き寄せられた。  僕を腕に抱き込み、優しく微笑んでいる(ゆう)()は、何度も何度も薄茶色い僕の髪を撫でている。 「()()さん、大丈夫?」 「うん。大丈夫ではあるんだけど」 「眠くなってきたんですね。ふふっ、可愛い」 「体力のなさは歳かなぁ」  二人で一緒にベッドに入ったのは、日付が変わる頃だったか。  いつもとさして変わらない時刻ではあったけれど、今夜は優哉のそういう気分な日だったらしく、誘われるままに身を任せた。  とはいえ僕は明日も仕事があるので、彼は随分とセーブしてくれたように思う。  優哉は二十代半ば。まだまだ若いのに、四十路に向かい始めた僕が相手で、満足できているのかと些か不安だ。 「なにを考えてるんですか?」  急に押し黙った僕の額におでこをくっつけ、覗き込んでくる優哉はわずかに苦笑している。  きっと僕の考えなどお見通しに違いない。 「優哉のこと」 「そう言えば俺がほだされるって、思ってるでしょう?」 「うん」  わざと言葉にしなかった僕に対し、少しだけ優哉は眉を寄せた。  だが怒っているというよりも、呆れているほうが正しい。開き直って返事をすれば、鼻先にキスをされた。 「俺は佐樹さんを抱きしめているだけでも幸せだよ」 「でも、やっぱりほら、さあ」 「そこまで俺は性欲強くないですよ?」 「忙しいから疲れてそれどころじゃない、が正解だと思うぞ」  優哉の回遊魚のマグロみたいな性質、実は昔からあまり変わっていない。  学生時代も学業とアルバイトで、ほぼ隙間時間のなかった彼。  現在は自分のレストラン経営兼シェフをしており、休みは週一。  隔週は連休にしているものの、休みでもなにかと忙しい日々を送っている。  本当に止まったら息ができなくなるのでは、と疑いたくなるほどだ。  若いうちはいいけれど、もう少し落ち着いたら営業、管理形態を見直してほしい、というのが僕の正直な意見。 「オープンして一年経っていないですからね。体制を整えるにしても、まだデータが足りないですし」 「新しく入ったバイトの子は続けて行けそうな感じか?」 「そうですね。覚えも早いし、バイト慣れしているから。続くといいですけど」  オープン当初はオーナーシェフの優哉、サブとしてフォローするエリオ。  ホールにあかりさん、という三人体制だったが、あかりさんの負担が大きいので最近、アルバイトを一人雇ったと聞いた。 「大学生の男の子だっけ」 「そうです。いまは夕方からメインに入ってるので、そのうち佐樹さんにも紹介します」  長く続きそうなら紹介します、かな。  そんなことを思いながら、僕は優哉の胸元にすり寄るみたいにくっついた。 「寝てもいいですよ?」 「うん、でも、もうちょっと。優哉と話がしたい」 「そう言いながらも声がゆったりしてますよ?」 「優哉の声が、いい声すぎるから、かな」  イケメンは骨格からして整っているゆえ、声がいいのだろうか。  低すぎず聞き取りやすい優しい声音。  見た目も、性格も声も良いとは、橘家の遺伝子が素晴らしい。 「もっと歳を重ねたら、時雨(しぐれ)さんみたいな渋みが出るのかな」 「……佐樹さん、俺と時雨を比べないでください」 「そういうつもりじゃないんだけどな」  父親の弟、叔父である橘時雨は現在、優哉の保護責任者。  戸籍上では義理の親子になっている。  本当にあの人が実父と言っても、信じてしまいたくなるほど、優哉にそっくりな人だ。  顔も声も、話し方も似ている。  二人が出会ったのは優哉が十八歳の時で、互いに存在を知らなかったのに、不思議でならない。  そんな彼のことを密かに敵視している優哉。  おそらく小さなヤキモチだろう。  だがあそこまで似ていると、優哉の未来を目の前で見ている気になって、少しだけドキドキしてしまうのは許してほしい。 「僕は優哉以外によそ見したりしないぞ」  ご機嫌を取るように両手で優哉の頬を撫でて、そっと唇にキスを贈ると、不服そうな表情になった。  なぜだろうと思いつつ、じっと見つめたら、体勢を変えた優哉にのし掛かられる。 「ゆ……っん」  ベッドに背中を押しつけられ、名前を呼ぶ前に口を塞がれた。  僕のした可愛いキスとはほど遠い口づけで、勢いに負けて抵抗をする間もない。 「い、いきなりどうしたんだよ」  散々口の中を荒らされて、唾液が溢れた唇を拭い、僕は自分へ影を落とす優哉を見上げた。  そこには子供みたいにふて腐れた顔がある。  顔面が男前すぎて、幼いとは言い切れないが、拗ねた子供みたいなのは確かだ。  ぼんやりと見つめ、学生時代から比べると優哉もかなり大人になったなぁ、なんて考えてしまった。  当時も十代とは思えないほど、大人びていたけれど。  まず顔も体も大人の骨格になったので、印象がやはり違う。  顎や体のラインは華奢さもなく、男性らしい。  首筋とか、腕まくりをしたときに見える筋もまた、なかなか色気があっていいのだ。  ただ勘違いはしてほしくない。  男性である優哉の体に、こうして適度な興奮を覚えるものの、ほかの人の体がいかに鍛えられ逞しくても僕はなんとも思わない。  そのあたりが優哉の感覚と、少々噛み合っていない気がする。 「なんでぶすくれているんだよ。僕には優哉だけって、いつも言ってるだろ? なにがそんなに不満なんだ?」 「そうやって俺を子供扱いしないでください。飴でつったらなんでも納得するとか、思わないでください」 「そんなことは」 「あります。佐樹さんが気にしているのと同じくらい。俺だって気にしているんです。いつまでもあなたにとって俺は十五も年下の子供なんだって」  なにげない僕の行動が、思った以上に優哉のプライドを傷つけていた。  自分が老いていく感覚ばかりに気を取られていたと、気づかされる。  優哉からしてみれば、まだ若い=まだ子供、と言われている気分になるのかもしれない。  僕は決してそう思っていないし、可愛いなと思っても子供っぽいとは思わない。  だとしても受け取る側は違う場合もあるのだ。 「優哉……」 「謝ってほしいわけではないので」  口を開こうとすると、指先で押し止められた。  いまは言い訳をしても仕方がない。  じっとこちらを見る黒い瞳を見つめ返し、僕はただ黙って小さく頷く。 「佐樹さん、好きです」 「僕も好きだよ」 「一生追いつかないけど、見放されないように頑張ります」 「バカだな。僕が優哉を見放すわけないだろ」  ぎゅうっと抱きついてきた優哉の背中をぽんぽんと叩く。  ずっと大人と同じ歩幅で歩いているというのに、この不安症な部分もずっと変わらない。  彼は僕へ片想いしていた期間がものすごく長いし、ジェットコースターのような出来事もあり、両想いになってから四年も離れた。  時間は途方もなく流れているのに、一緒にいられるようになってようやく一年になる程度。  不安な部分がなくならないのも致し方ないのだろう。  それでも生き急いでほしくないと言いたい。 「優哉、ゆっくり歩いていこう。僕たちはこれからなんだから」 「……はい」 「もう一回、する?」 「朝、起きるの辛くなりますよ?」 「じゃあ、辛くならない範囲で」 「ご注文、承りました」  至極真面目な声で返してくるものだから、思わず吹き出してしまった。  僕の笑みを見た優哉も嬉しそうに目を細めて、今度はゆっくりと優しいキスをくれる。  優哉のキスは愛おしい、愛おしいと口先から伝わる。  さらさらの黒髪に指を通して、僕はぐいと彼を引き寄せた。  自分と同じ、爽やかなシャンプーの匂い。  首筋に優哉が顔を埋めてくると、毛先が僕の頬をくすぐった。  反射的に抱きつき、彼の髪に鼻先を埋めたら、僕とは違いやけに甘やかな香りに感じる。  汗の臭いが少し混じっているのだ、と気づいた時にはもう――  優哉の背中にしがみつくので精一杯になっていた。
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