アンダー ザ クラック オブ チャリティー(隠れた親切)

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

アンダー ザ クラック オブ チャリティー(隠れた親切)

「おい、早くこっちに来い!」  御門が苛立ちのためかアスファルトに足を叩き付け、向こうの店先で甘酒を買っていたイヴを呼んだ。イヴは店のオバサンに軽く会釈をし、甘酒の入ったカップを零さないようにゆっくりとこちらに歩いてきた。時々、肩に掛けてある白いマフラーが落ちてくるのを気にして、立ち止まって体を後ろに仰け反らせている。そのたびに、白い息がはっきりと立ち昇り、深緑色の長い髪が揺れ、妙に色っぽく見えた。  俺と御門は、すでにワンカップを手にして飲んでいた。俺は一杯目だが、御門はすでに三杯目である。だが、顔にも態度にも出ないので、全く酒を飲んでいないようにも見えた。ここに羽田がいれば、いい勝負をしていただろう。  イヴがやって来て、軽く手を上げた。 「おまたせー」  真冬の夕刻だというのに、寒くないのだろうか。薄手の黒のタートルネックに、タータンチェックのミニスカートと茶色のロングブーツ。紺色の膝丈コートから、白い太腿がちらりと見える。白いファーのついた水色のアンゴラ製手袋だけが、辛うじて温かそうに見えた。ここが東京ならば、それでもいいだろう。  しかし、長野県南信濃村という山奥では、あまりに考えのない服装だ。俺などは嬉しい限りではあるけれど。実際、イヴのほっそりとしたシルエットに目を惹かれる地元の人や観光客も多い。  御門は、「どんな格好をしようが、女は女」と言うだけあって、イヴの服装には無関心である。女嫌いであるのに女遊びが激しいのは、昔、女に手酷い目にでもあっている所為なのかもしれない。  それにしても、御門は男でも見惚れてしまう。一九〇センチ近い長身をフルに活用して、こげ茶のロングコートを着ている。黒いヴェルベットのズボンも黒い革靴も、きっと多くの女達に貢がせた戦利品なのだろう、ジゴロの風格を漂わせていた。少し長めの髪が、松明に照らされて冷酷な輝きを放っている。  俺には到底真似のできない格好だ。一七五センチという身長は低くはないが、ロングコートを着るには少々迫力不足だ。ブランド物を買う金もないので、ダウンジャケットにジーンズと、高校生のような格好をしている。  ひっそりとした温泉街だが、今日だけは賑わっている。祭りの垂れ幕の下を、何人か行き来している。しかし、十二月二十三日というクリスマスイブ・イブに、こんな田舎に来る若い奴らは俺達の他にはいない。大体、御門がここにいること自体が天変地異の前触れに近いのだ。毎年、年末年始はデートの予約で埋まっている男が、伝統行事を見に行きたいなんて。 誘われて、この『霜月神楽』を見に来たわけだが、俺は全くその方面には興味がない。御門が興味を持っていることに驚愕して、話のネタにでもしてやろうと思い、ついて来ただけだ。  御門という人間は、神仏も科学も恐れない。量子力学を専攻しながら、心底馬鹿にしている。何が楽しくて研究しているのかと訊けば、「フォー ザ シェイク オブ バイ ア スマイル オブ ミストレス!」と答える。御門ナイズすれば、「女とヤルために」とでも訳すことが出来るだろう。「女どもはキザな男を嫌っているが、いざそれが自分に向けられると夢見る夢子ちゃんだ」と、格言のようにも言った。たぶん、英語が堪能なのもその為だ。俺も一度やってみたが、かなりウケはいい。イヴに言わせれば「頭脳が優秀だからって、人間的にも優秀だとは限らないのにね」ということだが。 菊地原も連れてきてやればよかった。あいつは、御門をやり込めるネタをいつも探している。ライバル意識というよりは、嫉妬や劣等感に近い。菊地原が首席、御門が次席という図式が定着している俺や羽田にしてみれば、どうでもいいように思える。それに、御門は誰に対しても嫉妬心や劣等心、そしてライバル意識などは全く持っていない。誰に対しても、横柄で尊大だ。はっきりしている分、俺としては御門のほうに好感が持てる。 たぶん、菊地原は憐華との事で、なおのこと御門を気にしている。しかし、学者になるために生まれてきた男より、女を楽しませるために生まれてきた男に魅力を感じるのは自然の摂理だろう。  一度、菊地原が挫折するところを見てみたい。 「どうしたの?」  気づくと、イヴの白い手が目の前で上下に揺れていた。『イヴニング プライムローズ』と御門が命名し、略して『イヴ』。まったく良いあだ名だ。 「寒さで脳みそが凍ったか?」  御門が無表情のまま鼻で笑う。俺は歯を見せて笑った。 「イヴは寒くないの?」 「モチロン、すごく寒いよう。ジーンズにすれば良かった」  それを御門が訊き咎め、新たに買ったワンカップのビンを白い頬に当てた。 「おい、俺は最初に極寒だと言わなかったか?」 「最初に言っても、忘れちゃえば一緒だよう」 「オーマイガッ!ヘイ、シリアスイディオット!」 「どういう意味なの、それ?」 微笑みながらイヴが俺のほうを見た。俺は訳に困って、冷めたワンカップを一口飲んだ。 「まあ、『可愛いソクラテス』ってとこかな?」  俺の訳に、珍しく御門は吹き出して笑った。イヴは「嘘でしょ?その訳」と言って、頬を膨らませた。 「ごめんね」 「いいよう。悪いのは御門君」 「違うね、悪いのはお前」  まるでガキの喧嘩だ。不思議と、御門もイヴには特別な感情でもあるのか、他の女と違った扱いをする。普段の御門を知っている女ならば、これはVIP扱いと言えた。  俺が今日、ここについて来たのはイヴがいたからでもある。男二人での旅行と言われれば断っていただろう。 「神楽って、いつ始まるの?」 「あと一時間後ぐらいだ」 「えー?あそこまで昇るの?」 「五月蝿い、文句が多すぎる」  御門は自分の分を飲み終わると、イヴの甘酒をひったくった。 「ちょっとお!それ、まだ二口ぐらいしか飲んでないんだからね!」 「未成年は禁酒だ」 「甘酒は酒のうちに入らないよ。御門のは窃盗だろう?」 「ミワ、頭堅いぜ?俺のは教育だよ、愛の窃盗!」 「あははは。それより、もう席取りしておいたほうがいいんじゃねえの?」  俺が腕時計を見て山の上を指すと、御門は一気に甘酒を飲み干した。イブが横から、空になった紙コップを取り上げて、ため息を吐いた。 これで計六杯。普通なら足取りも覚束ないはずだが、御門は直立不動の姿勢で山上を見ている。何か思案しているようだったが、突然歩き出した。俺もイヴもその後を追う。背の高い奴は足が速い。しかも人に合わせるなんて滅多にしない男であるから、俺達は追いつくのに少々時間がかかった。  御門は別段気を使うでもなく、コートのポケットから煙草を取り出して火を点けた。夕闇の空に、白い煙が昇っていく。 「見る場所、かなり狭いらしいぞ」 「なあ、どうしてこんな所に来たんだよ?」 「暇だったから」 「嘘つけ。お前、この時期は忙しいじゃねえか」 「今年から暇になったんだ。お前だったら女に『結婚したい』って言われたらどうする?」 「ああ?なんだ、言われたのか?」 「言われた言われた!俺、マジでへコんだよ。これから他の女にも言われるのかと思ったら鬱陶しくなって、全部切ってきた」 「マジかよ?もったいねえ。院の全員でブーイングだぞ」 「えー!?ヒモ生活も最後なの?似合ってたのにィ」  ブーツを履いているために歩き難いのか、イヴはやっと追いつくと、俺のダウンの裾を持ってゼイゼイと息を吐いた。  御門が後ろを振り向き、手を伸ばしてイヴの鼻をつまんだ。 「なんだと?」 「うー!だって、生活苦しいんでしょ?」 「お前から心配されるほど、俺はプアーじゃない」  イブは後ろに仰け反り、御門の手を振り切ると俺にしがみついてきた。俺は不意をつかれたために、体勢を崩してしまった。  御門は軽く眉を上げて、面白くなさそうにイヴを見ていた。そして、また前を見て歩き出した。イヴも俺から離れる。  しばらく三人とも無言で歩く。地を這うような太鼓の音が村中に渡り、それを合図に人々が遠山天満宮を目指して行く。  本当に小さな村だ。天龍川に沿って車を走らせていた時、山に川に霧が降りてきて、それがまた幻想的で、ずいぶんと秘境に来たのだと思ったが、今それを実感している。太鼓の音が、何の雑音に遮られる事なく響いていくことがその証拠だ。  中腹まで来た当たりで、イヴが御門の背中をドンと押した。突然の衝撃に、御門が息を詰まらせる。 「あー!わかった!御門君、好きな子ができたんでしょ?ね、ね、そうでしょ?」 「五月蝿い!」 「おー!照れるな、照れるな。ね、ね、知ってる人?大学の人?」  イヴが矛先を変えて、俺を問い詰める。俺は全くそんな話は聞いてないから、首を横に振った。 「知らないよ。院だと女は極端に少ないし、御門に釣り合う女もいない。バイト先の女じゃねえの?」 「勝手な話をするな」 「だってさあ、御門君が女の子達から手を引くなんて怪しいぞお?言っちゃいなさいよう」 「ミスフォーチュンテラー。その口を閉じろ!」  御門はアクションスターのように、いきなり後ろに飛び退くと、イヴを羽交い締めにして片手で口を塞いだ。細い足が宙に浮きバタバタと音を立てると、通行人がぎょっとした目でこちらを見た。やむを得ず、俺は慌てて止めに入った。 「おい!御門、離してやれ」 「ふん」  どうも女にも容赦のない男だ。解放されたイヴが、先ほどのように俺にしがみついてきた。今度はよろけずに、きちんと受け止めることができた。やはり御門は面白くなさそうにイヴを見て、再び歩き出した。イヴはその後姿に、白い歯を見せて威嚇した。  後ろに目でもついているのか、御門がこちらに向けて中指を立てた。 「レディー アンド ジェントルマン!プリーズ ハリアップ!オッケー?」 「イエッサー!」  俺とイヴは同時に答えた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!