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アンサーテンティ エンヴィアス(不確実な嫉妬)
「私達はどこから来たの?」
セレンは押入れから布団を出し、次々に引きながら誰に訊ねるでもなく言った。
「母親のお腹から」
と、羽田が言い、皆が軽く笑った。
「それなら、突き詰めていけば父親の精巣からだな」
と、海部が言い、皆が爆笑した。
僕は中国と答え、御門は海と答えた。
誰もどうせ知らないことなのだからと、セレンの疑問に真面目に答えようとはしない。セレンは頬を膨らませて、次々に枕を投げた。
「なによう!大人が寄って集って!」
「学校で習わなかったか?生物の時間でさ。お前は海からやってきたんだ。そして大地に返還されて、木になって、動物に食われて、また産まれるんだ」
「えー?じゃあ、海には帰れないの?どうして、海から来たのに大地に帰るの?」
御門が枕を全力で投げ返すと、セレンの胸に当たり、その細い体が体勢を崩して襖に打ちつけられた。ガタガタと音が轟き、一瞬皆が静まり返る。
僕は駆け寄って、打ちつけた背中を擦ってやった。セレンは痛さで唸っている。
「イッターイ!暴力反対!」
羽田が呆れて、御門に軽く枕を投げた。御門はそれを受け取り、もう一度セレンめがけて投げようとした。海部がそれを止める。
「おいおい、御門。加減してやれよ、女の子だぞ。可哀相に」
「俺は男女差別撤廃論者なんだ」
海部は羽田に向かって枕を投げ、「ロリコン!」といわれのない性癖を指摘した後、肩をすくめた。
「どうでもいいけどさ、ジイサン、起きちゃうぜ?」
「いいんだよ。怒らないって」
御門は相変わらず無表情で、無愛想に言った。僕はすぐに「そういう問題じゃない」と注意したが、御門は鼻を軽く鳴らしただけで、反省の色を見せない。僕を無視して、セレンのほうを見る。
「おい、お前は何処で寝るんだよ?」
「私?私は下で寝るよう。色んな意味で怖いもん、ここ」
セレンが白い歯を見せて顔をしかめると、皆が笑って肩をすくめた。
「なんだ、俺の隣りに若干の余裕があったのになあ」
「御門君って、ホントに女好きだよね。一体、何人彼女がいるの?」
本人の代わりに羽田が答える。
「俺が知っているだけで、五、六人はいるなあ。一番いい女が、赤いスポーツカーに乗ってる。一度、大学に迎えに来てた」
「おー!お金持ちだ!ヒモなんだ、ヒモ!似合いそう」
「お前、発想が貧相だな。赤いスポーツカーで金持ちか?」
「えー?菊地原君は、青いスポーツカーだよね?」
「え?うん、まあね」
「ほら!お金持ちでしょお?」
僕は居心地悪くて、力なく笑った。この中で、車を持っている人間は自分しかいなかったし、金銭を気にせず研究に没頭できる人間も自分しかいなかったからだ。そういう事実を前面に出されると、何となく引け目を感じてしまう。高校生のセレンですら、毎日働いているのだ。しかし、それも自分の優越感なのだと思うと、余計に居たたまれない。
顔に出てしまったのか、御門が僕を見て鼻で笑った。腹が立ったが、言い返せない。情けなくなって、ため息を吐いた。その態度を面白がって、御門が寄って行き耳打ちをしてきた。ニ、三の言葉が耳の中に滑りこむ。僕は御門の顔をまじまじと見て、不覚にも吹き出してしまった。滅多に笑わない御門も、ニヤリと笑う。
それをセレンが見咎めた。
「あ!エッチー!ヒソヒソ話してるよ、この人達」
「ああ?どこがエッチなんだよ?」
「御門はそうかもしれないけど、僕は違うよ」
「おっ?菊地原、裏切る気か?一緒だよ、一緒!俺もお前も、男は皆エッチなんだ。古代からのデオキシリボヌークリックアシードが為せる技」
「それ、君だけだろ?僕は研究一筋だ」
「ワーシー オブ リスペクト マン!オーイエーイ!」
「どうしていつも英語なの?」
「あー、ウザイ!ウザイよ、お前は!どうしてどうしてって、五月蝿い」
「だってえ」
「だっても言うな。早く下に行って寝ろ。寂しけりゃ、俺が一緒に行って寝てやる」
御門に脅すように言われると、セレンはバタバタと駆け足で敷かれた布団の上を駆けて、部屋から出ていった。階段を転げるように降りていく足音に、海部が就寝の挨拶を投げた。
二階にあるニ部屋を隔てていた襖を取り払って、八畳のワンルームにした寝室は男四人にはちょうど良かった。九月頃なら、雑魚寝でも平気だ。
「菊、来週は九州に行くんだろ?」
「ん?ああ・・・」
羽田が何気なく引き合いに出した話題に、海部が飛び付く。
「なんで?旅行?」
僕は答えたくなかったが、仕方なしに説明をした。
「元服式というか、何と言うか。僕の家、元々九州に本家があるらしいんだ。僕さ、高校はイギリスに留学してたから、元服式を済ませてなくて。それで行ってこいって言われた」
「ロイヤルだなあ。元服式だってよ」
海部が羨ましそうに言うので、僕は肩をすくめた。本人にとっては面倒以外の何物でもない。皆は裕福だと羨むが、実際は窮屈だ。金が僕を縛り、名前が僕を縛る。彼らを見ていれば、貧乏のほうが自由に思える。よほど羨ましい。
御門は僕のほうを見て、まだニヤニヤしていた。僕は御門が苦手だ。向こうも、僕をあまり好いてはいないようだ。たぶん、それも生活の基盤が違うからなのだろう。奨学金を得て高校、大学と進学し、生活費の全てを自分で稼がなくてはならず、講義には必要以上に出席しなかったが次席で卒業、そして大学院に入った人物。女遊びは激しいが、彼の性格に合っているからなのか誰も何も言わない。
大学二年生の時、彼の夏期休暇後の提出レポートを見せてもらった事があった。その内容に、唖然としたのを覚えている。どこで調べてきたのか、学生達にとっては目新しい理論について、彼独自の視点から突き崩してあった。見事としか言いようがなかった。一体何週間かかったのかと聞くと、彼は表情も変えずに「一日」と答えた。僕は嘘だと思ったが、海部や羽田は本当だと言った。
そうかもしれない。彼にはバイトへ行かずに生活できるような余裕はない。図書館、といっても国立図書館ならいざ知らず、普通の市立区立図書館ではそんな専門書や論文集が置いてあるはずがない。大学の図書館も十時には閉まり、書庫はもっと前に閉まる。その上、量子力学や物理学の本なんて、読むだけで数日かかる。あのレポート内容を書くには五冊では足りないだろう。最低でも、各学者の各論文を二十冊以上は読んでいるはずだ。
つまり、など関係なく、日頃から本を読み考え込んでいる証拠だ。
そのレポートで、彼は一躍有名になった。
彼は天才だ。僕との差は、ただ単に出席の有無に寄与する態度の差だけだった。もし彼が僕ほどに授業に出席していたなら、間違いなく首席を取っただろう。
僕という存在に、価値はあるのだろうか?
「・・・はら。おい、菊地原!何、ぼうっとしてんだよ?」
「え?」
海部に呼ばれて、僕は我を取り戻した。羽田もこちらを見ている。御門はすでに布団の中に潜り込み、天井ばかりを見つめていた。
「なんだ?悩み事かあ?そういえばさ、お前、憐華ちゃんとはどうなんだよ?」
「どうと言われても・・・普通だよ」
「お前らお似合いだよな。理想的カップルというかさ。俺なんて、ここんとこ女っ気ゼロだぜ?」
「御門はいいよ。顔も良いし、背もバカ高いから、女が寄って来て」
羽田に言われると、御門は顔だけこちらに向けた。
「欲しけりゃ、くれてやる」
「じゃあ、くれ!」
「俺も!」
羽田と海部が冗談半分に手を差し出す。僕が「ものじゃないぞ」と言うと、海部が「馬鹿、真面目になるなよ」と顔をしかめた。
御門に特定の女がいるという事はない。常に多数の女がいる。だから、教授達もあまりいい顔はしない。いくら優秀でも、人格的に問題のある人間を認めたくはないようだ。
しかし、虚しくはないのだろうか。心の許せない女と体を許しあっても、そこには何もないように思える。
「なあ、御門」
「なんだ?」
「好きな女はいないのか?」
「女は好きだぜ」
御門は鬱陶しそうに、言い返した。羽田が品のない笑い声を上げる。
「ヒーッヒッヒ!俺も女は好きだ」
僕は馬鹿にされたと思い、顔をしかめた。
「ふざけるなよ。僕は真剣に聞いているんだ。御門、どうなんだよ?」
「菊地原、聞いてどうする?」
「どうもしないけど、不特定多数の女と付き合うのは良くない。友人として忠告したいだけだ」
「心配するな、避妊はキッチリバッチリしてる。俺はそんなヘマはしない」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題だ?お前は彼女一人で満足していて、俺はそれじゃ満足できないだけだ。ハイリー セックスドゥ バイ ネイチャー」
御門は疲れきったように体をゆっくりと起すと、立ち上がった。そして、部屋から出ていこうとする。羽田が呼びとめた。
「なんだ?トイレか?」
「そうだ」
そう言い残すと、引き戸を開けて静かに階段を降りていった。僕はため息を吐き、羽田と海部は女の話で盛り上がっていた。
数分後、キーの高い叫び声と共に誰かが階段を駆け上がってくる音がして、僕達は一斉に視線を部屋の出口に向けた。すると、毛布を体に巻きつけたセレンが転がり込んできて、布団の上をバタバタと走り、窓のカーテンの後ろに体を隠した。
「ちょっとお、ちょっとお!ちゃんと見張っててよね!」
「何?泥棒か!?」
「違うよう!御門君、御門君だよう!ああ、もう!怖かったよう!」
セレンがその場に座り込み、顔を両手で覆った。体に巻きつけた毛布の隙間から、無垢な白肌が見え、僕達はギョッとして顔を見合わせた。
後から、何事もなかったように御門が部屋に入って来て、自分の布団の上に座り、煙草に火を点けた。セレンが怒って文句を言ったが、御門は「五月蝿い」の一言で片付けた。
怒りのあまり何も言えなかった。僕とは常識も倫理も、全く違う男だ。何を言っても、鼻で笑うだけだろう。代わりに火の点いた煙草を奪い、灰皿で揉み消した。御門が面白くなさそうに鼻を鳴らす。
さすがに羽田も海部も呆れてたしなめる。
「おいおい、マジかよ?お前なあ、いくら知り合いの子だって言っても」
「え?最後までヤッたわけ?」
「ヤってない」
「ちょっとお!反省しなさい、反省!」
「下着姿で寝ているお前が悪い」
「だって、服がクシャクシャになっちゃうし」
宿題を忘れてきた言い訳をする小学生のように、セレンは口を尖らせた。僕はそれが可笑しくて、強張っていた顔を綻ばせた。
「セレンちゃん、話題逸らされてるよ」
「え?あ、そうか」
セレンは十七歳だが、幼稚園児のようであったり、女神のように神秘的であったりと、その時によって雰囲気が違う。純粋無垢ではあるが、清楚や可憐さからは程遠い。僕の彼女は、清楚や可憐という言葉が似合うが、純粋無垢ではない。
憐華は言った。
「彼、いつも疲れているのよ。今まで、誰一人心を許さずに生きてきたから。菊地原君は、私がいなくても、私じゃなくても、誰かが支えてくれるわ。でも、彼はいつも独りなの。だから、私に出来る事は何でもしてあげたいの」
僕が研究に熱中している間に、彼女は同じ会社で翻訳のバイトをしている御門に熱中していた。そして救いのないことに、自分が御門を救ってやれると思い込んでいた。
たぶん、御門は誰にも救えないだろう。そんなレベルの男じゃない。
僕は腹を立てていた。もし、御門が真面目な人間であったなら、僕はこんなに苛立ったりしないだろう。どうして、僕ではなく御門なのか。
僕という存在に、価値はあるのだろうか?
「よう、占い師。俺の未来は明るいか?」
御門は無神経に話しかける。セレンは、怒ったような困ったような顔をして首を傾げた。
「私達の今は、ほんの少しの間なの。それから、私達が思い出とする時間や希望を抱く時間があって、それが途切れることなく変化していくの。でもね、本当は時間なんてないのよ。ここが未来だと言えば、ここは未来。もう過去だと言えば、遠い昔の物語。御門君の未来は暗くもなければ明るくもないよ。ただ、ここにあるだけ分よ」
ちっと舌打ちの音がした。
羽田も海部も、魅せられたようにセレンに視線と意識を注いでいる。
御門は無表情のまま、財布から小銭をジャラジャラと鳴らして取り出し、百円玉を三つ、セレンに投げつけた。
セレンが驚いて身を臥せる。僕はかっとなって、怒鳴った。
「御門!いい加減にしろ!」
羽田が僕の腕を押さえた。海部も僕を押さえようとした。
「彼はいつも独りなの」
憐華の言葉が僕の胸をよぎる。
御門は僕に見向きもせず、頭を抱えて臥せているセレンを見ていた。
「おい、お前は哲学を専攻しろ。必要な科学知識は、俺がバッチリガッチリ教えてやる。いいか、その不完全で確かな考えを昇華させろ。進学する金がないなら、出してやる。ザ プロスティチュート オブ タイム トゥ リブ イン ザ クロスドゥ タイム カーヴ!オーイエーイ! 」
御門が後ろに倒れながら叫び、家中を振動させた。
すると、とうとう家の主人が起きてしまったのか、下からゆっくりとした足音が聞こえてきた。
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