ヘブンズ!(天国)

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ヘブンズ!(天国)

 最愛の妻がいなくなって、僕は孤独になった。  無理して買った3LDKの中古マンションには、彼女が作ったパズルが大量に残っている。最初に飾られていた五つのパズルは、すでに完成したもので、彼女が作ったのかはわからない。結婚当初からあった。そのうち、その五つのパズルに引き寄せられるように大小合わせて一二の完成パズルがやってきて、壁を埋めていった。陸海空の景色ばかりがそろった。    その後、彼女は見ているだけでは面白くなくなったのか、自らパズルを買ってきて組み立てるようになった。 僕も仕事が休みになると時々、一緒に組み立てたりもした。パズルをやっている間は楽しく過せた。彼女はよく笑い、よく喋り、よく食べた。僕も然り。パズルは毎日の生活とよく似ている。彼女が出来るところは彼女が、僕が出来るところは僕が。分担作業の共同作業だ。 そうやって歳を取っていくはずだった。 しかし、彼女はいなくなった。 僕は絶望した。この世のありとあらゆるものを憎んだ。未完成の二つのパズルが、未完成のまま恨めしそうに僕を見つめていたから、腹が立って窓から投げてやった。しかし、飾ってある何十ものパズルが、僕にしがみついてきた。 僕は泣いた。泣きながら、彼女と最後に作ったパズルを滅茶苦茶に壊した。額縁を壊し、バラバラにし足蹴にして、ゴミ箱に突っ込んだ。そして、一日中眠った。起きると、彼女の部屋に行き、残っていた千ピースのパズルを、眠らずに一日かけて完成させた。  さよなら、僕の最愛の人。  僕たちが作り上げた完成パズルは、彼女の形見分けとして友人知人にあげた。どうか、彼女を忘れないでいて欲しい。  仕事を辞めて、わずかな退職金をもらい、マンションを売った。家具も食器も電化製品も、彼女と一緒に過ごした物は全て処分した。そうして作り上げた財産をユニセフに寄付した。もう僕には必要のないものだ。恵まれない子供達よ、生き延びてくれ。彼女の分まで生きてくれ。  どこに行くのかはわからないけれど、僕は歩いた。ずっとずっと遠くまで歩いた。自分の住んでいた土地が、何県の何市で、何町の何番地なのかも忘れるぐらいに。  海を見て、山を見て、平地を見た。太陽は昇り、月は昇り、星は帰る。雲が流れ、風は吹き、雨が降る。雪は積もり、氷は溶け、春が来て夏が去り、秋がうずくまって冬が居座った。僕は歩き続けた。髪も髭も伸び放題、歯は黄色くなり、頬は痩せ、肌は浅黒くなり、服は汚くなった。手も足も、節がごつごつと堅くなり、爪は波打っている。  どこまでも、どこまでも歩き続けた。  不意に顔を上げると、そこは煌びやかにネオンが燈る場所だった。星のない空に包まれたビル群に、原色の看板が無数に立ち並ぶ。女は強烈な芳香を放ち、男は濃厚な酒の匂いをさせていた。時々、人々は殴り合う。罵声を放ち、野次を飛ばし、青い服を着た奴らに取り押さえられて、白い服を着た奴らに運ばれていった。朝は遅く、夜は早い。そこら中にゴミが散らばっていて、太陽が昇っても闇があり、空は見えなかった。  汚い嫌な街だった。  全く好きになれなかった。毎日寝転んで眺めていても、馴染むことができなかった。  そんな街だったが、僕はとうとう見つけた。間違いなく見つけた。  彼女は生まれ変わり、汚れた街で体は腐り果てていた。しかし、彼女には違いなかった。  僕はここで生きていこうと思う。僕も腐っていこう。それがこの街で生きていく方法だ。腐れた僕と、腐れた彼女。  また会えたね、僕の最愛の人。
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