イフ イット ハズ メット エアリー(もしかしたら早まったことをした?)

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イフ イット ハズ メット エアリー(もしかしたら早まったことをした?)

自分でも少し、早まったことをしてしまったような気がしてきた。もちろん、今の恋人に不満があるわけではないし、とても上手くいっている。相手の小難しい講釈も笑って聞いていられるから、たぶんこのまま結婚するのだろうと思う。それについても、全く違和感もなく、スーツを滅多に着ない人の妻になることにいささか残念さもあるけれど、プロポーズされれば泣き笑いでイエスと答えるだろう。  そう思っていると、彼は顔色一つ変えることなく言った。 「つまり、あんたは別にフラれたというわけじゃないんだな?」  私は苦笑して、ゆっくりと頷いた。彼は残念そうに舌打ちをして、コーヒーを飲んだ。午後一時も過ぎると、学生達は午後の講義に出席するために足早に道路を歩いていく。本妙寺坂近くのハンバーガーショップも閑散として、少し薄暗い店内が寂しく感じる。私と彼以外に話す客はなく、他の客はそれぞれ個々人で新聞を読むか漫画本を読んでいた。  彼はふと動きを止めて宙を見ていたが、再び動き出し、つまらなさそうにフライドポテトをつまんで口に入れた。 「その上、恋人までいるっていうしね。なるほど、俺は一億歩ほど遅かったというわけだ」 「あら?早い者勝ちっていうわけじゃないわよ?」 「しかし、結局は早い者勝ちだ。それなら、恋人を捨てて俺の所に来るか?」 「彼より貴方のほうが好きになればね」 「その可能性は?」 「今の所、ゼロに等しいわ」  彼はもう一度舌打ちをして、コーヒーを飲もうとしたが、カップの中に一滴も残っていない事に気づいて、ウェイトレスに面倒臭そうにおかわりを頼んだ。 「奴とは、こんな店には来た事ないだろう?」 「ええ、一度も。あの人、こういうジャンクな店に慣れていないから、挙動不審になっちゃうみたい」 「ふん、奴らしいな。で、今の恋人とはどう?」 「彼はファミレスの常連よ。原稿書くのに四十八時間も篭るの。私、いつもその隣でレポート書いたり本を読んだりしているのだけど、全然こっちに見向きもしないのよ?よくあんなに集中できるものだと思うわ」 「いい男だな。うん、間違いなく奴よりはいい男だよ。あんた、見る目あるなあ」  私は吹き出して笑った。 「嫌ね!そんなにお金持ちの男が嫌いなの?」  彼は笑いもせずに、首を横に振った。 「違うよ。あんたの恋人は、仕事をする時のベストポジションをよく知っている。間違いなく出世するぜ、そいつ」 「ベストポジションって何?」 「好きな時に食えて、飲めて、眠れる場所ってことだ」 「それなら家でもいいじゃない」 「物がなくなってしまえば、外にでなきゃならない」 「お風呂は?」 「そんな些細なものは、必要がない」 「でも、本当に集中しているなら、寝食も忘れないかしら?」 「本当に忘れちまったら、仕事にならないぜ。俺達は霞みを食って生きてるわけじゃない。さらに、何もかもがギブ アンド テイクというわけでもない。そうだろう?」  ウェイトレスがコーヒーを持ってくると、彼は少し笑顔を見せて礼を言った。その仕草に、ウィトレスは嬉しそうに頬を赤らめて去っていった。  噂には聞いていたけれど、彼は恐ろしく現実的だ。無理をしたからといって、良い結果が残せるとは微塵も思っていない。彼にとって、「努力」「根性」「忍耐」などは当然なのだ。そして、それを踏まえたとしても負ける事があることを知っている。  たぶん、彼に「頑張れ」と言っても鼻で笑われるだけだろう。  こんな恐ろしい男が、どうして私に気があるのかわからない。はっきり言って、私と彼とでは釣り合わない。性格も価値観も、そして容姿も。  自分で言うのも情けないが、私は小さい頃から美しいとか可愛いとか言われるような部類の容姿ではなかった。十人並で、化粧をしていなければ目立たない存在だ。人より飛び抜けているのは学問ぐらいで、これが男性に一番嫌われるタイプである事も自覚していた。   しかし、私は可愛いと思われない事に対して、男性に腹を立てて学問に走ったわけではない。自然と涌き出る疑問を追究してきた結果だった。強がりと言われようとも、それだけは自信を持って言える。  そんな私も大学に入り、しばらくすると彼氏ができた。不思議なもので、彼氏が一度できると、別れてもまたすぐにできるのだ。私は小さい頃からの経験上、結婚できないだろうと予想していたが、人生とはわからないものだなと考え直した。しかし、自分と生きていけそうな男性というのは、すぐ見つかるものではない。試行錯誤しながら出会いと別れを繰り返し、人に話せるほどの恋愛話も増えていった。 そうして大学四年生の夏に、あの人に出会った。賢明で堅実で、容姿も育ちも申し分のない男性。友達から羨ましがられたり、お洒落なレストランにも連れて行ってもらえたりと、今まで経験した中で一番華やかだった。あの時が、私の人生の晴れ舞台だったように思える。  別に、華やかさだけに夢中になったわけではない。あの人が、以前にいた彼氏達と同等の存在ならば、ただ女としての喜びを味わえるだけで、私は満足しなかっただろう。私は、あの人とは切磋琢磨していけると思った。専門とする学問は違うけれども、あの人の研究の手助けになれると思っていた。 しかし、あの人はすぐに私の妹を好きになった。 妹は私と違って、小さい頃から美しく可愛く育ち、可憐と清楚が良く似合う少女だ。その上聡明で、私と同じ大学に入学し、成績も悪くはない。誰からも好かれ、誰からも愛される。何でもしてあげたくなってしまう、そういう魅力に溢れている。私も心底妹が愛しいし、少し大げさに言えば目に入れても痛くないとさえ思っている。  だから、以前の彼氏たちは全員例外もなく、私と出会った後に妹に惹かれていった。それでも、私はそんな彼氏に対して嫉妬心を燃やし、追いすがることはなかった。所詮、そこまでの仲だったのだと、笑っただけだった。  しかし、あの人に妹が好きだと打ち明けられた時は、私なりに哀しかった。このまま結婚まで行くだろうと、勝手に思っていたからである。そうして、ずっと互いに成長していけると思っていた。少し、自分に呆れもした。ああ、私も弱い女なのだと。  あの人とは、何度か話し合いの場を持ったけれども、引き止めることができなかった。それなりの修羅場だったと思う。しかし途中で、私の行為があの人を追い詰めていると気がついた。だから、以前と同じように笑って別れた。そこで初めて妹を羨ましいと思った。  妹は私の全てを吸収していくのだろうか?  今まで何の疑念も躊躇もなく、彼氏に妹を紹介してきたけれど、今の恋人に紹介する時にはさすがに心配だった。しばらく付き合っていれば、家族と会うこともある。私が恐る恐る妹を紹介した時、今の恋人は見比べて「本当に姉妹なの?」と笑った。そこで、私は初めて自分の容姿を恥ずかしいと思った。  妹は私の全てを奪っていくのだろうか?  心配はしたけれど、今の恋人はそれっきりの反応だけで、妹に対して特別な感情を抱いていないようだ。私は不思議で仕方ないが、直接は聞けない。  さらに不思議なのは、この目の前にいる彼までが、妹ではなく私にアプローチしてきたのだ。もちろん、彼は妹の存在を知っている。私は苦笑するしかない。自分でもわからない現象なのだから。  今の恋人に訊けない代わりに、彼に質問してみた。すると、彼はやはり表情を変えずに答えた。 「女の容姿なんて問題じゃないね」 「あら、酷い言い方ね。それじゃあ、私が不美人だって言っているようなものよ?」 「電気を消してしまえば、顔なんて関係ない」  その言い方に、私はまた吹き出した。 「でも、一日の大半は明るいわ」 「なあ、人を美しいと思う基準は人それぞれだ。でなけりゃ、あんたは今の恋人も妹に盗られてるぜ?」 「そうね。だから不思議なの」 「そうか?俺は、奴にあんたを紹介された時、ものすごく悔しい思いをしたもんだ。それで、奴があんたの妹と付き合い始めたと聞いた時、手を叩いて喜んだね。まったく奴は見る目がない。まあ、それよりはスタンスの問題なんだろうが」 「スタンス?」 「そうだ。女に何を求めるかによって違う。奴は疲れたんだよ。あんた、奴よりも賢いからな。奴は脳を休める暇がなかった。だから、妹に流れていったのさ」  言われてみればそうかもしれない。あの人とは、会えば必ず読んだ本などについて議論をしていた。思い出せば、そんな記憶しかない。私は楽しかったけれど、彼は私に何を求めていたのだろうか。疲れたなら言ってくれればよかったのに。 今の恋人は疲れていれば「疲れた」と言って、私の傍で子供のように眠る。余力があれば、私とのディスカッションを楽しんでいる。時々、喧嘩になって音信不通になっても、自分が悪いわけでもないのに時期を見て謝罪の電話をしてくれる。 「つまり、あの人は私に対して常に見栄を張っていたわけね?」 「そうだ。どうも、男は女より優れていなければならないなんて、腐れた明治時代あたりの考えを持っていやがる。それか、完全無欠のヒーローに憧れている夢見る少年なのかもしれない。あんたの恋人は、マジでいい男だよ。自分が弱い人間だと知っている。あんたも自分が弱い人間だと知っている。だから、自分も他人も許せてしまう」 「あの人は、それが出来なかったのね」 「ま、いいさ。あんたの妹とは上手くいってるみたいだしな。それぞれの幸せを追い求めて行け」 「貴方はどうなの?」  私が意味ありげに訊くと、彼は面白くなさそうに顔をしかめた。 「嫌な事を訊くな」 「ねえ、最後に質問してもいい?」 「なんだ?」 「私のどこに魅力を感じたの?」  意外な質問だったのか、彼は眉をひょいと上げた。 「恥ずかしいな、それ。もはや言っても殺し文句にもならない」 「教えてよ。もしかしたら、ころっといっちゃうかもよ?」 「無理だよ!無理!とにかく、あんたは間違いなくいい女だよ。少なくとも、俺の中では二番目にいい女だ」  二番目?  私はその解答に、また吹き出してしまった。なんだ、きちんと好きな人がいるのね。  彼は本当に面白くて、とても魅力的だと思う。彼となら何時間でも話していたいと思わせる。私の友達にも何人か、女グセが悪いと定評の彼に憧れている子がいるけれど、その気持ちがようやくわかった。  彼は、女に「自分は女だ」という心地よい自覚を与えてくれる天賦の才能を持っている。 「それなら一番好きな子に告白しなさいよ」 「ま、色々とこっちにも事情があるのさ」  彼はうそぶいて、残ったハンバーガーを平らげた。否定しないところをみると、大胆不敵な彼にも照れる事の一つはあるらしい。普段が素直ではないから、きっと上手く愛情表現ができないのだ。『女』が相手なら躊躇なく口説けるけれど、『好きな人』が相手では後先の事を考えて、何も言えなくなっているのかもしれない。この彼が、好きな人の前でどういった顔をしているのかを想像すると、一週間ぐらいは笑えそうだ。  それが私の顔に出ていたのか、彼にしては珍しく苦笑した。 「奴はマジでもったいないことをしたなあ。俺は、奴にはあんたが相応しいと思ってたんだが」 「あら、友達思いなのね」 「もちろん」
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