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この縁は二世の契りにあらざれば
眠っているかのようなその姿を目にして、涙が静かに頬を流れ落ちた。
慈しみに溢れた眼差しも、愛を囁いてくれた唇も、永遠に失われてしまった。
叶わぬことだけれども、もしも夫婦になれていたら、来世での再会が約束されたのだろうか――
◇ ◇ ◇
いつからだっただろう。私は、人ではないものの姿を見ることができ、人ではないものの言葉を聞くことができた。
しかしその日の帰り道に出会った「それ」は、これまでに見たことのない恐ろしさと美しさを湛えているものだった。
色素の薄いブロンドの髪は夜空から零れ落ちた星屑のように肩の上でキラキラと輝き、深い青の瞳は真冬の根雪のような冷たさが感じられる。四肢は白くしなやかで中性的な、あえて言うならば大人の男性になる前の少年の刹那を切り取ったかのようだ。
鋭利な美しさは、その身に纏う闇色の衣と背丈ほどある大鎌によって鋭利な恐ろしさへと転化させられていた。
死神。あるいは死そのもの。そう実感するのに十分すぎるほど。
「くーさん?」
呼びかけられて、私はハッとした。無意識のうちに、繋いだ手に力が入っていたらしい。不思議そうな顔でアサヒがこちらを見ている。
そうだ、今この死神からアサヒを守ることができるのは私だけなのだ。アサヒは死神を認識できない以上、自分では自分の身を守ることができないのだから。
大丈夫だよ、とアサヒに微笑んでから、私はその死神を睨みつけた。
澄んだ声が聞こえる。
『秩序正しくあるように。輪廻の道から外れた魂に、刃による救済を――?』
死神は言葉を止め、アサヒと私を交互に見て眉をひそめた。
『救済を要するのは1人のはずだが、どちらだ?』
刃による救済、すなわち死を必要とする存在なんてここにはいない! そう強く思うと思念が伝わったらしく、死神はこちらに目を向けた。
『いや、間違いなくどちらかだ。魂の色があまりに似ていて判別が非常に困難だが』
大鎌を衣の内に収め、代わりに本とペンを取り出して言った。
『規則に従い、一昼夜の観察の後に判断を下す』
夕日に形作られたアサヒの長い影が、揺れた気がした。
◆
その夜はなかなか寝付けなかった。
アサヒは隣ですやすやと眠っていて、部屋の隅には死神が佇んでいる。
観察の期間は一昼夜。おそらく明日の夕方にはアサヒか私が死ぬ。もしかすると処分保留になるのでは、という淡い期待は抱かない方が良さそうだ。
ようやく、ようやく会えたのに。
まだアサヒはこんなにも幼いのに。それだけの期間しか一緒に居ることができていないのに。
私はまた独りぼっちになるのだろうか? あるいはアサヒを独りぼっちにするのだろうか?
いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ。二度と失ってなるものか。また失うくらいなら、私は、私は――
世界がぐるぐると回るような感覚に襲われながら考える。どうしたらアサヒとずっと一緒に居ることができるのか。離れずに済むのか。再び巡り会えた幸運を、手放さずに済むのか。
――ああ、そうか。
世界が、ピタリと止まった。
◆
「おはよう、くーさん」
軽やかな声で目を覚ました。いつの間にか、眠ることができていたらしい。
おはようと微笑むと、アサヒは私に抱きついてきた。
「今日は図書館にお出かけなんだって。楽しみ!」
そうだね。アサヒは昔から本が大好きだもんね。
私も、楽しそうに本を読むアサヒが大好きだよ。
「今日のくーさん、なんだかとっても静かだね」
そうかな? いつも通りだと思うけれど。
どちらかというと、いつもより饒舌かもしれない。違うかな?
だって、こんなにも晴れやかで穏やかな気持ちなんだもの。
不思議そうに顔を覗き込んでくるアサヒが妙に可笑しくて、私は肩を揺らして笑った。
部屋の隅の死神は、何も言わずにただペンを走らせていた。
◆
アサヒが一心不乱に絵本を読んでいる。
本が好きだということは、初めて会ったときから変わっていない。読み始めると集中してしまって、呼びかけても生返事しかしなくなるところも。
そんなところも含めて、私は好きになったのだ。
――それじゃあ、始めようか。もう二度と姿を見ることができなくなったとしても、私たちがずっと一緒に居るために。
私はアサヒの、淡い色をしたその魂に向かって手を伸ばした。
柔らかな木漏れ日の、豊穣の大地の、雨上がりの虹の。
輝きの輪郭に触れる、その瞬間、
鋭利な闇が、伸ばした私の手を刈り取った。
『他の魂への干渉の意志を確認』
いたい痛いイタイ痛いいたいイタイぃいいっ!
死神! どうして邪魔をする!
私はただ、アサヒと一緒に居たいだけなのに! 離れたくないだけなのに!
『意志――捕食による一体化と推定』
死神は無感情に、いや、僅かに憐憫を孕んだ声音で何か言っているようだ。
『対象の魂が、現在の器よりも長い時間の感情を保持していることを確認。輪廻からの逸脱を確認。これより救済を開始する』
救済なんて私は望まない。私が望むのはアサヒの居る未来だけ。アサヒと一緒に居られる未来だけ。
未来を掴む手は――まだ片方残っている。
『何か言伝はあるか?』
うるさいうるさいうるさい。
「私」たちはこれから「私たち」になるのだから、邪魔をしないでくれ。
私は残った手をアサヒへと伸ばした。
『言伝は無し。それでは、秩序正しくあるように。輪廻の道から外れた魂に、刃による救済をもたらさん』
闇が、再度振るわれる。
『今生を終えて輪廻へと還り、新たな生を待て』
鈍色の刃の向こうに、アサヒがこちらを振り返るのが見える。
目と目が合う。
細切れになる腕、体、崩れ落ちる視線。
アサヒ、ねぇアサヒ。
夫婦は来世でも巡り会えるんだってね、と言って笑っていたけれど、来世が約束されない私たちはどうしたら良かったのかな?
「くー、さん……?」
アサヒの唇が動いたようだけれど、もう何も聞こえないよ。
◇ ◇ ◇
全然覚えていないのだけれど、母から聞いた話では、小さかった頃のわたしはどこに行くにでもぬいぐるみを手放さなかったらしい。
公園に行くときも、旅行に行くときも、「くーさん」と名付けたクマのぬいぐるみと常に一緒にいてお喋りをしていたのだとか。
そんなある日、図書館で急に泣き出したことがあって、わたしが言うには「くーさんがいなくなった」らしい。ただ、ぬいぐるみはしっかりと抱きしめていて、母はとても困惑したそうだ。
わたしに、妹ができる前の話である。
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