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同年、冬、僕はドバイへ渡った。世那は一人旅以外にも家族旅行を何度も経験しているが僕はそうではない。それでもドバイは観光しやすい場所で、スリにも合わずに済みそうだった。
また、世那の遺した写真を見ながらの観光だった。写真はとても上手とは言えず、たどり着く景色はどれも想像以上のものだった。
観光するうち、僕は懐かしい気持ちになっていた。その正体はわからなかったけれど、写真を見て観光しているとどうしても、田舎に帰ってきたような懐かしさを感じていた。まるで子どもの時に、世那と共に歩いたことが思い出されるように。
その時だけは、世那を感じている時だけ、僕は楽しかった。昔から家にも学校にも居場所はなかったから、心を唯一許せた彼女と歩いている、そんな気になれるだけでとても心地よかった。
それから、僕は就活で忙しくなって三年生の冬にはどこにも行けなかった。なのでバイトでお金を貯め、就活が終わった四年の冬にはオランダとフランスを旅した。オランダは友達と卒業旅行で、フランスには一人で。
オランダの旅が終わった頃から、僕は寂しさを感じた。友達と写真を見て観光して、懐かしさと共に心が浮つくような悲しみを覚えた。旅の終わりなのかもしれない。
フランスには長く滞在した。世那が一番長く滞在していたためだ。僕は彼女の歩いた街を見て、そして知らないところを主に歩いた。寂しかった。独りだ。
それから僕は日本に帰り、就職した。夏、僕は初めて世那の墓の前に立った。その時初めて、世那が死んだ悲しみが僕の中を通り過ぎた。墓の前でしくしくと音もなく涙と汗で顔を濡らした。
ずっと悲しかったんだと思う。それでも、世那の死を認めたくなくて、旅を続けていた。もしかしたらまだ旅をしていて帰ってこないだけなのだと、旅先にいるはずた、と。
彼女の見た景色を歩いている時のあの懐かしさは、世那が原因だった。その景色は僕に世那を思い出させた。あの真っ直ぐで透明な景色を、澄んだ青空、薄鈍色の曇り空も、彼女の髪と同じ漆黒の夜空も。そこには多分、世那がいて一緒にそれを見ていた。
でももう、いない。旅した場所にも、故郷にも、そのどこを歩いても彼女はいなかった。
それから、悲しみを紛らわすために遊び歩いた。夜の街を歩いてみたり、とにかく遊んだ。法に触れること以外は遊んだだろう。
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