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クレハにて
あの牢屋から出されスィルが連れてこられたのは、連合王国クレハの代表国であるクレハ国の宮殿――つまりは、あの男がいる場所だった。
宮殿に着いてすぐにまた新たな牢屋に入れられるのだと思っていたスィルだったが、予想に反して通されたのは美しく飾られた一室。賓客をもてなすための部屋なのだと、置かれている調度品の輝きを見てスィルが悟る。
ペサでも黄金を使った調度品はあったが、ここに置かれているのはそんな比ではない。
国の豊かさの差を見せつけられているようで、スィルはどうにもこの空間が馴染まなかった。
繊細な飾りが施された椅子に座る気になれず、スィルは長ったらしい服の裾を翻すようにして窓辺に陣取った。
腰から下へと深いスリットが入った細身の服は、下履きをはいているとはいえ無防備であり、そして行動を制限するような野暮ったさがあった。
動くたびにいちいち足に絡みついてくるその鬱陶しさは、自国で着せられていた衣装にどこか似ていた。戦いに向かない、守られる者が着る服だと思った。
つまり男はここで、この体を飼いならすつもりなのか。
長い袖に隠された指先のまま、窓へと手を当てる。そこにあの砂漠は見えず、ただ窓に反射した紅髪の青年が映るだけだった。
独立心の強い北の国々をどうやってまとめたのかは知らないが、連合王国の建国において、多くの血が流れたとは聞いていない。そしてシアレンからペサを解放したという事実。あの大国に対してどう交渉をしたのか。よほどの後ろ盾があるのか、それともあの男の純粋な実力なのか。
そんなことを考えていたスィルの耳に、軽快なノック音が届く。
こちらの返事を待たずして開かれた扉。反射的に体を固くしたスィルに対し、姿を現したジネードはからかうようにして小さく笑ってみせた。
「似合うな。やはり赤い髪には深翠色が合う」
「……何のつもりだ」
もちろんいきなり入るなという意味ではなく、この身に部屋を与えてどうするつもりだという意味で。スィルのそんな鋭い視線を受けて、ジネードが呆れたように表情をなくした。
「お前たちを奴隷として扱うつもりはない」
スィルの意図を汲み取ったジネードが、はっきりとした口調で告げる。だが男の思惑が知れない今、スィルにとってこの状況は奴隷も同然の扱いだった。
「そういえば、お前には角はないのか?」
そんなことを聞いてどうする。話を変えようとした男へとそう言ってやろうかとも思ったが、会話を続けることすら抵抗があったスィルは、口を閉じたままジネードを睨みつけるだけだった。
和らぐことのない空気の中、ジネードのあの瞳が鋭くスィルを刺す。
視界良好なこの場所で見る男は、黒で飾られたその姿も相まって、強い威圧感を与えてくるようだった。固く握りしめた手の力だけで、スィルは男と対峙していた。
「いい加減態度を改めろ。奴隷として扱うつもりはないが、協力する気がないなら容赦はしないぞ」
「ならば力ずくでやればいい。あいつらと同じように」
吐き捨てるようなスィルの言葉に、ジネードが苛立ちをこめた息を吐き出す。
「……数日空ける。戻るまでに態度を決めておけ」
そう言って、また小気味いい靴音を鳴らしてジネードが部屋を出ていった。
見えなくなったその姿に、スィルが思わずといった様子で肩の力を抜いた。
あの目は苦手だ。全てを飲み込むような激情が見える、あの黄金の瞳が。
先ほどまでのやり取りを振り切るようにして、スィルが窓を開け放つ。心地よい風が部屋へと入り込み、スィルの長い紅髪を揺らした。窓枠に手をつき、わずか身を乗り出すようにして外を眺める。
賑わう市場通りの反対側に作られているこの部屋からは、その活気ある人々の声までは聞こえなかった。整えられた静かな庭園を挟んで民たちの居住地が存在し、その先に広がる豊かな大地が見える。ペサにはない緑に溢れた大地が、風に揺れて波打っている。
ふと、そこに黄金色の草原が重なって見えた。どこかで見たような美しい景色だ。だがスィルはその景色の正体がわからず、ただ広がる大地を静かに見つめていた。
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