海の声

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 ここからは歩いていく。坂の多い街なので坂を登っていくのは大変だ。しかも勾配がわりときついから足も痛くなる。もう慣れたけど。花ノ井丘というだけに、丘になったこの土地のてっぺんにあるのは、私たちの目的地としているのは……。  花ノ井霊園だった。  たくさんのお墓が並んでいる。そこから「中島」と書かれたお墓を探す。お母さんが水を汲みに行き、私が中島家のお墓に花を手向ける。  正確に言えば、ここは中島家のお墓ではない。『中島一雄』のお墓だ。  私のお父さん。お父さんが一人で眠っているお墓。もともと児島というところにあったのだが、お母さんが私とこの街に引っ越してくるときにお父さんの遺骨も持ってきたのだ。 「お花飾った? お父さんはひまわりが好きだったからね、特にきれいに飾ってあげてね」  お墓の前にやってきたお母さんは汲んできた水をお墓にかけて、軽く掃除をする。それが終わると、お母さんの黒のバッグから、私がさっき入れた、線香とろうそくを取り出した。慣れた手つきで線香に火をつける。 「お父さん、そろそろ命日近いもんね」 「そうね。七月の……」 「私が夏休みのときだったから、七月の二十四日」  今日は七月の十七日。一週間後だ。この日だけは一生絶対に忘れない。 「よく覚えてるのね。お母さんもだけど」  そう言うお母さんの声はトーンが低い。疲れだけのせいではないだろう。 「だって……ねえ?」 「さあ、早くお祈りしましょう」  お父さんのお墓の前でしゃがみこむ。手を合わせて目をつぶる。  だって……。その続きが言えなかった。あれから十年。私のお父さんは十年前の、私が小学二年生のときに亡くなった。それから家族で住んでいた家を手放して親戚に譲り、島の所属している県に引っ越して、そこの坂の多い街で暮らしている。お父さんが亡くなったことで生活は急変し、安い賃貸アパートで暮らすことになった。お母さんはお金を稼ぐために仕事をし、副業までして、いつも忙しい。もちろん私も中学を卒業して高校生になってからアルバイトを始めた。お母さんを助けるために。  お父さんの死因。それは、水難事故。……ということになっているが、もっと正確に言えば私のせいで亡くなった。  あのとき海に行かなければ。あのとき遊ばなければ。あのとき遠くまで行かなければ。  あのとき、海で溺れなければ。  そのときの記憶をはっきり覚えたまま、そしていつのまにか夢で鮮明に思い出されるようになったまま、私だけがここまで生き残った。そう、今日もそのときの夢を見た。  本当にごめんなさい、お父さん。  私は何度お墓の前でお父さんに言っただろう。
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