第八章     さよならスプートニク

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第八章     さよならスプートニク

 スペース・テレポイント宙域を過ぎ、そこからさらに進んで、ようやくアテラへの最短ルートに辿り着いた。空間が安定していなくては危険性が高い。だから必然的にワープできる地域と、そうでない、もしくは好ましくない地域とに分けられることになる。そしてここは通信衛星からアテラへの行程中、最も安定していると言われるワープポイントを数多く含んでいる。 *** 「そんなおそろしく細かくってややこしい計算できるか。頭がパンクしてしまう」  そう信明が机に向かって頭をかきむしりながら言うのに、ジェルが優しく静かな声で、 「がんばってくれよ」  と声をかける。自分自身のせいで進捗が遅れているのを取り戻すためにこんな、ワープの中でも超特急的なことをしなくてはならないこと、それは、メンバー全員に心身共に負担がかかることが判っているので、信明は右手にペンを持ったまま、自分の左手で髪をかき上げるかのように、頭が手の中に埋もれていく。  今回選んだコースは、クレアが提示してきたコースで、その的確さに信明は驚いたものだった。そのクレアを含む三人は、この二人のやりとりにくすくすと困ったように笑っている。笑いながらカールは、脇に置いてあったスポンジボールをぽんと信明に向かって投げた。ゆるやかなカーブを描いて飛んだボールは見事に信明の頭の上に落ち、そのままころころと転がっていく。 「ってーなぁ、なに投げた? 人に向かって物投げるなよ。しかもこの部屋でさ」  信明はそう言ってむくっと顔を起こした。そこへ、足元に転がってきたボールを拾ったジェルが、信明に合図して投げた。信明がそれを受け止めると後ろからカールの明るい声がかかる。 「俺ンとこから信明、お前の方向ってミーティングルームだからお前とドアと壁しかないんだよ。気にすんな。あんまり神経細くするとやってらんないぞ」  いくらミーティングルームだからって、コントロールルームとつながって、というより同じ部屋なのだし、なによりコントロールルームで物を投げるな、と言うのは至極もっともなことだと思うんだが、と信明は思ったが口にはしなかった。別に、それこそそこまで細かく言う必要はないのだ。信明には判っている。カールの言う細かさというのは、信明が今こうしてこだわっている状態のことだ。信明は、自分以外の定位置に座っている四人をぐるりと見た。信明は一人、計算のためにテーブルに向かっており、四人を見渡す格好になっている。  手の中の地球儀の世界を指でたどってみる。人類が宇宙にのりだしたスプートニク以来、地球も人も、様々な変化を遂げてきた。生まれ変わる歴史はこの手で作る。新しい時代の扉を、もう開いてしまったのだ。そして、僕はここにいる。他でもない自分自身でここまで来てしまっている。  考えている時間が短かったのか、長かったのか、信明には判らなかったが、視線を移すと四人とも各自の仕事に戻っていた。それを見てなにを思ったのか、信明はおもむろに体を起こし、 「さぁ、やるぞ。みんな俺の言うとおりに動いてくれ」 大声を張り上げて立ち上がった。  しかし、やることなすことすべて細かい作業なので、ずっと、じっと静かにこつこつとしなければならず、かなりの根気を必要とされる。その一つ一つの精度と共に、量を要求されているので、五人のストレスはいやが上にも増していく一方だった。それでも、どうにもならないことが判っているので、皆じっと耐えている。こういう時、こんな仕事はまったく嫌になる。好きで選んだものでも、ここまで切羽詰まってるとやりたくない、というものはある訳で、しかもどうしてもしなければならない、となると余計にやりたくなくなるのが人間の心理というものだ。試験の前にやたらと掃除をしたくなる、というのと同じだ。それでも集中するのも早ければ、集中してからの処理スピードも万事が普段と変わらずというのはさすがだと言うべきだったろう。  コーヒーが大量に消費されていく。  初めのうちこそ冗談まじりに進められていた仕事も、次第に皆、口数が少なくなり、目がすわってくる。どれだけ合理的に進めるかが問題なので、普通の航行よりも一層神経を使う。その分体力の消耗も早い。一日中と言ってもいい程『おこもり』を続けているので、寝不足と運動不足がどんどんたまっていった。それでも距離がかなり進んでくると、メンバーに、どこかほっとした和やかな空気が流れる。  正規の距離の二倍にも三倍にも感じられた航行がようやく終りに近づいてきて、アテラとその衛星イアラが視界に入った時、誰言うともなく手が休められて久々に背もたれにもたれ、大きな安堵のため息がもれた。  速度が下げられて一般の船と変わらなくなる。  地球にいた時もそうだったけれど、こういった船では地球やアテラなどの惑星に直接降りることはない。降りるには大きさと重量があり過ぎて無理なのだ。だから、惑星の側に浮かぶスペースポートコロニーに接触して、そこからシャトルで衛星などのスペースポートへと向かう。  そして、ここ衛星イアラでは検疫などがあり、どんなに急いでいようとも、どんなに身分の高い人間でも、分け隔てなく各種検査と体調を整える意味をもって、必ず、少なくとも一週間はイアラに滞在しなくてはならない。まさに本星アテラへの玄関となっている。  この規則は、今のジェル達にとって非常に有り難いものだった。イアラに着いたことでアテラに着いたと見なされるし、本星に降りて仕事をするには、あまりにも疲れ果てていたからだ。五人とも、今はとにかくゆっくり休みたかった。診断の結果、五人はイアラでの滞在が少々延びることになった。  衛星イアラには、赤道付近に広大なステップと、点在するオアシスがある。イアラは月ほど小さくはないが地球ほど大きくもない。だから引力も地球ほど強くはないけれども月ほど弱くもない。大きさは月の三まわりほど大きいもので、引力は地球の半分弱ほどある。重さの割に衛星であるのはアテラからの距離がややあるからだ。  イアラに住む動物達は、だから地球やアテラのものより骨がもろい、ということはあるものの、イアラの中では充分すぎるほど丈夫だ。その草原と動物達を見ていると、動物の種が違っていることを除けば、まるで自分が地球にいるような錯覚に陥りかける。が、そうではないと五人がはっきり知覚したのは、イアラ入りして三日、疲れも少し取れてきた頃だった。  夕飯を食べるにはまだ少し早い夕方、陽が落ちると急に暗くなっていっている。五人はいつものように今日はステップを広く見渡すことのできるテラスで雑談をしていた。旅の間中、そんなものとはまったく無縁だったので、ステップに限らず大地と緑を見ると落ち着く。たとえそれが生まれ育った地球や月でなくとも、それがあるだけで落ち着く。不思議なものだ。  少々空気が稀薄なので一応ドームが作られているものの、その数は少ない。基本的に、スペースポートとその他の建物は連絡通路で結ばれてステーションビルになっているが、例外的に結ばれていないものもある。そこへ行くには専用の車を使うことになっているけれども、体力に自信のある人もしくはアテラで登山を趣味にしているような人は、その間を徒歩か、時には走っていく。概してそれは整備士関係に多い。彼らが自由にイアラの大地を歩くのを見て、それを羨ましく思ったのかどうか、イアラで仕事をする人々の間では、アテラに行って登山をするのがブームとなっている。絶対人口が少ないせいもあって、ブームと言っても大したものではないが、それでもスペースポートでは、ちらほらと装備を手にした人々を見ることができる。  イアラのステップは動物の楽園だ。遠く広がる大地に凶暴性のない動物達が、あるものは群れをなしていたり、あるものは単独でいたりしている。知的生命体が地球産の人間以外いないここでは、人間が初めから計画的にできるだけその自然に干渉しないように努めているので、平和な光景がずっと続いている。その光景も、ここイアラでは赤道付近でしか見られない。季節感の薄い赤道付近でようやく一年の平均気温が摂氏十六度程度なので、イアラの極地方では生物はいない。赤道付近にいる限り、ここが赤道付近だということを忘れている限り、地球の気候の常識が通用しなくても、住みやすいと思ってしまうが、それはあくまで一時の錯覚に過ぎない。ゴンドワナ大陸分裂直後時代のような感じのするイアラも、生物生存域が少ないということはシビアな問題である。  そのイアラに、夜がやってこようとしている。  日が暮れて、夜のとばりがおりようとしても、五人は席を立とうとしなかった。そこから見える景色が気に入ったのか、単に話に夢中になって時間を忘れていたのか、それともその両方なのか、またまったく違うのかははっきりしないが、とにかく五人は景色の一番よく見える所にいた。  船の発着場も、ステーションビルもこのテラスからは見えない。二つとも後方にあるので景色は自然のみだ。かすかに瞬く星明かりを外に感じていたが、部屋の明かりの反射でもないのに外になにか青く明るいものが浮かびだしているのにふと気がついた。  五人が慌ててそこを見ると、そこには『アテラ』がゆっくりと、そして確実に昇ってきていた。月にいる時に、そこから地球が昇ってくるのを見慣れているはずの五人も、久々にあっけにとられた、という感じでアテラを見ていた。  月に昇る地球は、砂ばかりの大地に昇るので、いつもどこか無機質であったけれど、イアラに昇るアテラはステップ地帯の緑と動物達、つまり生きているものの空に昇ってくるので、物凄いインパクトでもって五人に迫ってくる。特に、昇りはじめには実際よりも大きく見えるので、アテラは見える地平線のうちの半分程をも占めているかのように感じた。  『アテラ』の海の青、大陸、そして複雑な模様を描く白い雲。それらが手に取るように判る。アテラの映像を見たことは、当然ある彼らだったけれど、それを、いざ目の前で見てみると、その大きさに圧倒されてなにも言えなかった。  アテラの物理的な大きさもさることながら、やっとここまで辿り着いたのだ、という精神的なものへの影響もかなりあったに違いない。何者にも犯されない雄大なその大きさは、どこか懐かしさを全員に覚えさせると共に、畏怖さえ覚えさせた。  ようやくその迫力の波が静まってくると、五人は誰いうともなしに、各自あてがわれた部屋に戻っていった。  体が地上の暮らしに慣れてくると同時に、空にぽっかりと浮かぶ巨大な球体にも段々と慣れてきた。むしろそれを見たがっているようで、アテラが昇る時間が近づいてくると、なにも誘いあった訳でもないのに、自然と同じ場所に集まってしまう。そしてそれは五人のなかでもお互いの笑いを誘うようになった。  長旅の疲れがなんとか取れはじめて、そろそろアテラへ移る準備をしようか、と五人が動き出した頃、遠い目をしてクレアがぽつりと言った。 「どうして今こんなことしてるんだろう」  なんの脈絡もなく突然こんなことを言われて、ジェルは書類を見ていた頭ををむくっと上げた。 「なに、クレア、また『はまって』んの?」  ちょうど今、二人はリーダーとしての打ち合わせのために、後の三人をまじえずにテーブルで話をしている最中。だからジェルは、こういうクレアの危ない言葉に素直に言葉を返すことができる。クレアにしても、ジェルにならこういうことを言っても大丈夫だと思っている節があって、あっさりと口にする。以前は一人で自分の中の世界に入ってしまっていたので、それを考えると、明るくなっているのかも知れないが、いかんせんまだ危ういことは確かのようだ。 「ここが本当に私が行きたかったところなんだろうか、って思っちゃったのよね」 「ここじゃないどこか?」 「そう。私のいるべき場所はどこだろう、って思っちゃった訳」 「前に、僕が似たような命題でちょっと悩んでた時に、クレア、君が一つの答をくれただろう。あれじゃその答にはならない?」 「なる」 「ならどうして」 「理屈として、頭では納得してるのよ。でもね、それがどうもきれい過ぎちゃってて、なんだか疲れた」  とりとめのなさすぎるクレアの言葉に、ジェルは思わずため息をついた。 「よし、おいで」  ジェルはおもむろに立ち上がった。 「もうちょっとゆっくり歩いてよ」  足速にジェルは歩いていくので、クレアは小走りになりながら抗議する。 「最近落ち着きがないよ? いつもの冷静さはどうしたの」  すたすたと歩いていくジェルがどこに行こうとしているのか、一体なにをしようとしているのか、クレアにはさっばり見当がつかなかったが、とにかくついていった。途中で、道順からして、まず初めに行こうとしているのはステーションカウンターだということが判ったが、なぜなのかは判らないままだった。  ジェルはカウンタヘーでなにやら手続きを済ませると、再びクレアをうながして歩き出した。手続きを済ませたことで少しは安心したのか、歩くのがやっとゆっくりになってきた。クレアはそれでも、どこに行こうとしているのかを聞こうとはしなかった。どこに行くにしたってイアラの中だから、たかが知れている。  着いたところは、船の発着場の端の方にある駐車場だった。もちろん、普通の車が置いてある訳ではない。イアラの空気が薄いことを考慮して作られた、密閉度の高い車だ。一台につき一つのガレージが用意されているが、そのガレージも密閉型で、そこで気圧調整されてからどちらか一方のドアが開く、といった構造になっている。こういったものは月のそれと変わらなかったので、二人は特に苦労せずに車に乗り込んだ。 「どこに行くの?」  外に広がる景色に目をやりながら、静かにジェルに聞いてみる。 「ちょっとドライブ」  その言葉に驚いて、クレアはジェルをまじまじと見た。この人は一体なんのために、そんなところへ行こうとしているのだろう。  ステーションビルとスペースポートがゆっくりと遠ざかっていき、やがて肉眼でようやく確認できる程度のものになった頃に、ジェルは車を止めた。疑問を投げたそうな目つきでクレアがジェルを見る。ジェルは視線を受け止めつつ、こともなげに、 「着いたよ」 と言ってのけた。  ジェルの瞳にからかいや嘘は見当たらない。ということは、本当にここがジェルの目的地らしい。  一体なにがあるのだろうか、と思ってクレアは辺りを見回してみたけれども、これといったものは見当たらない。遠くにあるものなのかと思って遠くを見渡してみても、やはり変わったことはない。もう一度目を凝らしてみても、なにも変わりがなかったので、クレアは再びジェルを見た。ジェル自身ここに来るのは初めてなのはクレアも知っている。  ジェルは、初めてのイアラの自然風景を、優しげに見ていた。クレアがいぶかしんで彼を見ているのに気がついて、クレアと目を合わせてもただ微笑むだけでなにも話そうとはしない。ジェルはなにも言う気がないのだ。  二人はただぼうっと外を見る。そよぐ風、ゆれる緑。柔らかな光は淡くとけて大地にしみわたる。無限とも思えるその空間でクレアの心も溶けて世界になじんでいった。  クレアが目を覚ましてみると、薄い毛布が掛けてあることにまず気がついた。次にジェルと目が会った。二人とも初めはなにも言わずに微笑んでみせて軽く笑い声がもれる。彼女が大きなのびをしてから小さな息をつくとジェルが口を開いた。 「疲れは取れた?」  クレアはなにも言わずに、コクリとうなずいてみせる。 「それじゃ帰ろうか。それともまだここにいる?」 「もういい。帰ろ」  クレアやジェルが持っている問題は、なにも解決した訳じゃない。簡単に解決できるものでもないことを二人は知っているし、信明にしても同じことだ。一旦その命題にあたれば、あたったが最後周期的、継続的等、種を問わず一生付き合っていかなければならないものだ、ということが判っている。 「クレア。クレアが行きたかった星ってどこだったっけ?」  ジェルがのんびり聞くと、クレアものんびり答える。 「アテラよ」 「これで悩みが一コ消えたね」 「まあね」  二人とも軽い笑い声をたてた。 「珍しい、今日はスピード出さないのね」 「僕はスピード狂じゃないんだよ。急ぐ時は急ぐだけ。それに、速いのにはこの旅でちょっと飽きててね。車くらいゆっくりでもいいだろう」 「二人だからね」 「あぁ、それもあるね。一人でゆっくり過ぎると大抵空しさがつのるばっかりだからなぁ」  クレアはなにも言わずに笑っている。  フロントガラスに、ステーションビルが浮かび上がってきた。 「あ、この車借りるのにね、クレアの研究ってことにしといたから。僕はあくまで助手ってことでよろしく」  ジェルは今更のように思い出す。 「研究? なんの」 「テキトーにこじつけといてよ。僕の方も色々知りたかったとかなんとか適当にやっとくからさ。僕に色々隠してたことあるみたいだから、今回ぐらいやってくれるよね」 「あ、ひどい。脅すつもり?」 「冗談だよ、もちろん。でも、この間テレポイントで船がおかしくなった時、誰かと交信してただろ。それでなぜ無期出向になったのか判ったよ。誰と交信してた?」 「聞いてたの?」  びっくりしたようにクレアが見たので、慌てながらジェルは弁解した。 「アテラにワイルドを移動させるってとこだけだよ。その前は気を失ってたから知らないんだ。君がそれを知ったっていうことは、もっと詳しく知りたくなったら、僕は君から情報を得ることができるってことだろ。だから僕は焦るのをやめたんだ」 「ったく、しょうがないんだから」  あの相手がウィルだったとばれてはいないらしいことを知ってクレアは安堵のため息をもらした。 「ところで、クレア、信明がやたら落ち込んでた時、あいつに『薬』飲ませてた?」  さりげなさを装っていきなりジェルが聞いてきたので、脈絡のなさにクレアは戸惑ってしまう。 「薬?」 「精力抑制剤。船に乗る時は服用の義務がある奴。信明にこれ以上おとなしくなって欲しくなくて、飲ませてなかったんだろう?」  クレアは驚いた顔になって、一瞬なにを言っていいのか迷ってしまった。 「ばれてた? どうして判ったの」 「そりゃあね。……そう睨むなって。判ったよ。教えるよ、でも怒るなよ。その、実は」  ジェルは、言い出したくせに鼻の頭を掻くようにして言うのをためらっている。 「勿体ぶらないでよ。なに、そんなに言いにくいことなの」 「あぁ、言いにくい。……信明が急に立ち直っただろ。その直前に、僕は見たんだよ。ケイトが信明の部屋から出てくるのを。待て、まだ続きがある。ケイトが出て行った後、用があったんで僕は信明の部屋に行ったんだ。そしたら、信明の奴寝てたんだ。その、素っ裸で。もちろんシーツはかぶってたけどね。で、これが朝一番の話なんだ。普通は宇宙空間では薬飲んでるから、だからといってどうこう言わないけど、信明って薬飲んでたような気がしてなかっただけに、ね」  クレアは黙りこくってしまった。なにかを考えこんでいるようにも見える。ジェルがかえって焦ってしまう。 「ごめん、悪いこと言った。忘れてくれ。だからそんなに気にしないで」 「そう、信明が」 「大丈夫だよ。もしそうだとしてもあの二人は恋人同士なんだろ。問題ないって」 「ちょっと言っとかないとね」 「おいクレア、落ち着いて」  クレアは顔をあげてジェルを見た。 「私落ち着いてるわよ。薄々感づいてたもの。ただ『上』にそのことがばれないようにちょっと操作しなくちゃと思って。ジェル、私は二人がただの恋人同士なら許さないけど、事情も特殊だし、婚約者同士だから許してるの」  まったく、クレアのこの落ち着きぶりにジェルは目を見張った。これではまったく普段と逆なのだ。 「心配してソンしたな」 「なにが?」 「なんでもない」  車は着実にステーションビルに近づいている。ジェルのはちみつ色した髪が日を反射して眩しい。 「クレア」 「なぁに?」  柔らかな笑顔。 「今度、……今度、僕と一緒に星空を見よう。アテラの地上から、星をみないか?」 「……?」 「雨上がりの道をさ、散歩しようよ」  心なしか、ジェルの顔が赤いように思える。 「うん、それもいいわね」  クレアは微笑み返した。  車を戻してステーションカウンターに戻ると、カール、信明、ケイトの三人が二人を待っていた。 「ったく、どこにしけこんでたんだよ」  カールがむすっとぼやいた。かなり不機嫌なようだ。 「調べたら、『調査のためステップに行ってる』ってことだったけど、なんの調査に行ってた?」  信明はため息混じりだ。呆れているようだ。 「行くなら行くでかまわなけど、行先の連絡くらいしといてね」  ケイトはクレアの額をちょん、とこづいた。二人は小さくなってはにかみながら謝った。 「二人とも、周りに心配かけないようにしてくれよな」  信明がこう言うと、カールがおもむろに信明に向き直った。 「信明、今のお前にそれは言えないな。ジェルやクレアをはじめとして、俺達に一番心配かけさせたのはお前だ」  信明がぐっ、と言葉につまるのに、ケイトの助け船が入る。 「もう過ぎたことでしょ。そんなこと言ってたら、なんにもできなくなっちゃうでしょ。それはそれ、これはこれよ。ね?」  ケイトは、ジェル、クレア、信明に目で念を押す。 「そろそろ夕飯の時間なんだけどね、みんなお腹すいてないの? あたしはすいたわ。クレア、行こっ」  そう言いながらケイトは、三人を尻目にクレアの後ろに回りこんで、クレアの背中をとんと押して歩き出した。  二人が仲良く先に進んで行くのを見ながら、三人はゆっくりと歩き出した。 「おい、なにがあったんだ」  信明がジェルを肘でこづいてみせると、カールもうなずいて信明を見た。 「なにがって?」 「とぼけるなよ。なにかあったんだろ」 「いつもポーカーフェイスばっかりだと顔が固まるぞ」 「別にポーカーフェイスをしてるつもりはない。ステップに出てぼうっとしてただけだよ。それがなにか?」 「それで?」 「それだけ」  ジェルは顔色一つ変えずに言う。  なぜそんなことを聞くんだろうか、と言わんばかりの顔をしている。どうもとぼけているのではなくて本当に話が判ってないらしい。 「なぁ信明、クレアってなにか幸せそうな顔してたよな」 「あぁ、どっか違ってたよ」  カールと信明は互いに言い合ってから、もう一度ジェルをじっと見る。信明がまず口を開いた。 「本当にそれだけか?」 「そうだよ?」  ジェルが相変わらずきょとんとしているので、ジェルはどうやら、こういうことはニブいらしいと判断したカールは直接攻撃に移る。 「お前さぁ、クレアのこと好きだろ」 「ばっ、なに言ってんだよ。気にはなってるとは言ったけど、そこまで言った覚えなんかないぞ」  ジェルが慌ててカールに反論するのに、いつもと逆でカールが落ち着いて一言、 「やっぱりお前、本気だったのな」 と言い、 「ポーカーフェイス、崩れてるよ」 と信明が追い討ちをかけてくる。  二人に突っ込まれて急に恥ずかしくなったジェルは立ち止まって、なにかをよけるように両腕で頭をかかえこむようにした。 「なに言うんだよいきなり。俺、動揺なんかしてないぞ」 「聞いたか?」 「あぁ」  カールと信明は、目くばせしながらにやにや。 「自分のことをいつも『僕』としか言わない奴が、今『俺』って言ったよな」 「カール、なに言ってんだ。なにもおかしいこと言ってないぞ」  ジェルの必死の反論は二人に聞き流される。 「俺にもそう聞こえた。それにこの慌てようったらな」  ついに二人は笑い出した。 「知らなかった。ジェルって結構純情だったんだ」 「信明、お前に言われたくないっ」 「じゃあ、俺ならいいのか?」 「そこで突っ込むなっ」  ジェルが顔に朱をはいていたのを見て、カールと信明は笑うのをやめて、目を合わせてから、からかうような目になってくる。 「だめですよ、リーダー? 自分に素直にならなくっちゃ」  カールの声が聞こえてくる。その声にケイトが振り返った。 「なに、なんか騒がしいね」  振り返ったケイトにクレアが言うと、 「たまにはいいんじゃない」 と別に意に介していないケイトは、肩を少ししゃくってみせる。  エレベーター待ちで立ち止まっている二人に、賑やかに三人が追いつきつつある。クレアは三人に名前を呼ばれたような気がして振り返り、小さく笑ってみせた。  自分が今、存在しているということを感じ続けるために、見失いかけたものをもう一度しっかりと手に握りしめよう。 ***  こうして、五人はアテラの住人となった。  アテラへの移住は始まってまだ間もない頃で、更にはウィルが新しく『学習する人工知能』、という特異プログラムとして、クレアの協力が必要なユニット状態でM・システムの一部となって始動した年のことだった。その年はウィルにも、クレア達にも、M・システムにとっても、新たな決断のいる年だった。  それからもM・システムは着々と計画を進めていき、その結果、人類の二分化が更に促進されて、それぞれがそれぞれの新しい文化形態を生成していくことになる訳だが、それはまだもう少し先の話である。  こうして、昔の科学者達の願いは  次代を担う若者達の手に受け継がれ  遠い星でかなえられる  未知の領域の扉は開かれ  歴史は今また、動きはじめた
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